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今こそ挑もう!おいしい青空文庫【食にまつわる名著6選】

外出自粛の間に積読本を読み切ってしまった!手元にはないけれど、図書館は閉館、本屋にも行けない、配達には送料がかかる……あー、それでも読みたい!

というそこのあなた!こんなときこそ文学してみませんか?

著作権が切れた、または作者が公開を許可した作品を無料で読める「青空文庫」というサイトがある。前回、「今こそ挑もう!青空文庫」という記事の中で、みじかい、やさしい、ふかいをテーマに5つの小説を紹介したところ、思いのほか反響をいただいた。

そこで今回はより身近に!みじかい、ふかい、おいしいを条件に、6作選んでみた。手軽な随筆からしっかり腰を据えて挑みたい小説まで。未知の味に想像を膨らませるもよし、作家の愛と妄想に冷静に突っ込むもよし、食材に託された思いを垣間見るもよし。それぞれの楽しみ方で味わって!


①古川緑波『甘話休題』(随筆)

「カレーは飲み物」とは聞いたことがあるが、「クッキーを飲める」と豪語するのは美食家ロッパさん(さすがに口の中からっからになりそう)。「あそこのケーキが美味しい」とか「戦前の方がうまかった」とか、タイトル通り甘いものについてとりともなく綴られている。

書かれたのはまだ「ワッフル」が「ワップル」と呼ばれていた時代。「日本流に言えば、ワップルだ」って、今や日本流も何もないのだが、間に挟まれた破裂音には初めて味わった人のはじけるような感動が表現されているような気がする。紹介されている中には森永のキャラメルをはじめ健在のものはもちろん、今となってはめったにお目にかかれないワードも。パンとまんじゅうをあわせた「パンじゅう」、赤い砂糖が三粒ついた南京豆の味がする羊羹?「エクリヤ」、牛乳がメインの喫茶店「ミルクホール」……。せいいっぱい舌と脳を稼働させ想像で味わってみると楽しいし、タイムスリップして当時の食事情を覗いている気分になる。これだけ知り尽くした著者が絶賛すると一度でいいから食べてみたい。そんな中、「買って帰って、家で食っては、つまらない味だ。第一、ああいう風に薄く切れないし、クリーム無しで食っては半分の値打ちもない」と思いっきりディスられているお菓子が!バームクーヘンに恨みはないけれど、唐突な酷評もロッパさんが一食一食に本気だからこそなんだと思うとなんだか笑ってしまうのだ。


②森於菟「オフ・ア・ラ・コック・ファンタスティークーー空想半熟卵ーー」(随筆)

卵に愛を注いだのは解剖学者でもある森於菟さん。実験で使う卵にさえ食欲を刺激され、どうやって調理しようか頭がいっぱいで助手君の指導もままならない。中でも半熟が好物で、あまりにも旨いので毎朝泣きながら食べている。殻を割ってから口に運ぶまでの、感触までありありと伝わってくる描写は一級品。この卵にバターや魚介の風味をつけてみたい……。はちきれんばかりの愛はさらなる欲を生み出す。随筆家の空想力と科学者の論理力が大暴走。コミカルに新たな卵の形を提案する。

大分で地獄をめぐっていたところ、温泉ピータンなる代物と出会った。サイズは普通の鶏卵と同じだが、殻も中の白身も茶色く染まっていた。あれはどういう仕組みだったんだろう?もともと色のついた品種なのか、それとも醤油かなにかで味を染み込ませているのか。「才能とぼしきゆえ、一生を捧げた科学の世界ではぼくの名はどうやら後世に残りそうもない。せめて半熟卵にでもぼくの名が残されるならば」と「味付き半熟卵」の開発を切に願う森さん。温泉ピータンの要領が分かればそれも現実となるかも?とにもかくにも卵ひとつでここまで書けるその情熱よ。宣言通りしっかりと卵で後世に名前が残っていますよ!

ちなみに父、森鴎外は「饅頭茶漬け」なるものを好んで食べていたそうだ。想像しただけで舌がぎゅっと縮こまる。この件に関しては調査を続けたい。


③④北大路魯山人『蝦蟇を食べた話』『山椒魚』(随筆)

魯山人、というとはねるのトびらを思い出す。私が中学生の頃に一世風靡したテレビ番組で、その中の「ほぼ百円ショップ」というコーナーが好きだった。いくつか雑貨が用意されていて、ほとんどが100円程度の価値なのだが、中には高額商品が紛れている。それを避けて100円を選んでいくのだ。選んだ商品は自腹でお買い上げというルールもあって出演者たちのリアルな反応が子どもながらに面白かった。そしてその高額商品の常連が「魯山人」だったのである。おごそかな佇まいだが素人目にはパチモンに見えなくもない、という絶妙な陶器はたいてい魯山人。いつしかその音だけしっかりと覚えてしまった。

というわけで陶芸家であり、料理研究家でもある魯山人さん。食事そのものをプロデュースしていた多才な人物だと大人になってから知った。鮎や鮪など高級食材の食べ方や調理法を記した随筆が並ぶ中、ひときわ目を引いたのがカエルとサンショウウオである。「蝦蟇が美味しい」と聞けば伏見稲荷の池まで捕まえにいくし(神社のカエルなんてバチが当たりそうだけどおかまいなし)、初めてのいきものも中国の文献をたよりに自分で調理しちゃう(オオサンショウウオは天然記念物で絶滅危惧種だから今は食べられない)。恐るべきプロの探究心と根性だ……。

さて、山椒魚とかえるの取り合わせはどうしても井伏鱒二の小説を連想してしまう。山椒魚のキャラクターが人間臭くて好きなんだけど、食べちゃうんだよなあ。


⑤永井荷風「羊羹」(小説)

【終戦後、運送会社で働き始めた新太郎には金が入ってきた。食べたいものを食べ、飲み、親や近所の子どもたちに土産も渡して、それでもまだある。新太郎はこうして余裕のある身分になったことを、自分を叱りつけこき使った人たちに見せつけたくなった。そこで、かつて見習いをしていた銀座の小料理屋の主人を訪ねることにしたのだがーー】

有名私大の合格通知を手にし、単純な喜びと学生生活への期待が去ったそのあと、浮かんできたのは少し意地悪な想像だった。19点というろくでもない点数を叩きだしてしまい、ろくに進路相談も乗ってくれなかった先生。点数を聞いて呆れて笑った友人たち。私の顔すらまともに思い出せないであろうスクールカーストのトップたち。この合格通知を見せたらどんな反応をするだろう。たった一枚の紙で完全無欠になった心地がした。実際、今まで言わなかったお世辞を言いだす人、自虐を始める人、「昔から努力家だった」と見抜いていたアピールをする人、豹変した人はいっぱいいた。ただ「見返してやった」と人生を逆転させた気になっているのはこちらだけ。肝心の相手にとっては日々の出来事のひとつでしかなくて、彼らの人生は何も変わらない。そして学歴は自分の欠点を補ってはくれないし、そもそもこんなことで人間の優劣をつけているのがなんだか虚しくなってしまった。

会社だって政治だって、実績はいつもエライ人のところに、お金はお金持ちのところに回っていって、こちらが全身全霊でわめいたところでひとり相撲にすぎないのかもしれない。そういう社会への風刺としても読めるけれど、どんなにお金で財布をいっぱいにして、高価な食べ物を胃に収めても、本当に大切なところは充たされない虚しさが、羊羹のずしんとたまるような甘さと響きあっているような感じがする。


⑥芥川龍之介「芋粥」(小説)

【時は平安。藤原基経に仕える五位という役職の侍がいた。見た目はぱっとせずだらしがないので、侍の仲間には空気のように扱われ子どもにも馬鹿にされている。そんな彼の好物は芋粥。これを飽きるまで食べてみたい、というのが唯一の夢だった。そこへ現れたのが藤原利仁という男。望みを叶えてくれると言うのだが、いざ実現するとなるとだんだんーー】

2泊3日の旅行の2泊目の午後ぐらいからセンチメンタルになる。晩酌のために酒は買うが、疲れているので1泊目ほどの興奮はない。この眠気に負け、次に目が覚めたときには現実に引き戻される絶望感に苛まれるのだと思うと、瞼をセロハンテープで貼り付けておきたくなる。3日目はチェックアウトからすでに寂しく、真逆の方面へ向かう特急電車を見つけるとこのまま飛び込んでしまいたい衝動に駆られる。スーツケース片手に意気揚々と降りてくる観光客とすれ違いでもすれば「終わる旅があれば始まる旅もある」と哲学的になって、その頃には旅の半分ほどを暗い気持ちで過ごしていたことに気付き愕然。結局は旅行をご褒美にめきめきと仕事して、ちょっとずつパッキングしていたあの時が一番幸せだったのではないかとさえ思えてくる。この小説はなんだかそんな気分の話だ。

楽しみが終わってしまった人はどこへ向かうのだろう。帰り道は無理やりにでも次の予定を決めるようにしている。ただそれさえ大人になるほどに難しくなってきた。どの写真も行ったことがある場所に見えて、どの名物グルメも食べる前から味の想像がついてときめかない。人生にだけは飽きたくないと思うのだけれど。

ちなみに芋粥とは山芋を甘葛(甘い汁が出る植物らしい)で煮たお粥のこと。そんなのたくさん食べたら飽きる以前の問題で喉がかゆくなりそう。

この企画のために作品名検索欄に食材の名前を打ち込み漁ったのだが、出てくる出てくるおいしい話。食べることは生きることである。食への探求は人生の探訪である。この際皆さまが喜んでくださるかはどうでもよい。第2弾、第3弾とシリーズ化しておいしい話マニアを目指してみたい。もしよろしければ、一緒に文学しましょう!


追記

まだまだ読みたいあなたへ。

第3弾「今こそ挑もう!文豪と原稿の青空文庫」


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