「普通」じゃない

今日は通院の日。
朝の8時に起きて、着替えてご飯を食べて、メルカリ発送と送金をしに郵便局へ行っただけでも充分なのだが、薬が切れては困るので電車とバスを乗り継いで病院に行く。
若い…と言っても同い年くらいの、キラキラした「普通」の女の子達の声が聞こえてくるのがかなりのストレスだが、薬のためなら耳栓を付けて我慢する。

「普通」とは実に眩しく私の世界からは遠い世界の人達だ。
聞こえ過ぎて辛いこともなく
流行りのワイドパンツが履けて
手の甲や指のムダ毛まで剃ってクリームを塗り
日常的に化粧をしている
これら全ては私にとって「普通」ではない。
聞こえすぎるため電車や都会に行く時は耳栓をし
つやつやした布の服や風でばたつく服は着れず
カミソリ負けしやすい柔らかく過敏な肌で
化粧品が肌に付いている不快感が耐えられない
これが私の「普通」で、これらは常にある。
それに脚を晒すようなことも嫌いで、夏でも水着以外では膝を出さないというこだわりがある。
私は「普通」に適合できず、一般試験では不合格な女性だ。小さい頃から私はそういった立場であったため、根本的に「普通」にできる女性達とは元々の作りから違うのだろう。

根本的な理由で「普通」になる事が難しいとはどういうことかと、私は幼い頃からASDとADHDの症状に悩まされてきたということだ。これは脳の機能の障害で、服薬治療や環境改善をしても良くなるだけでけして治りはしない。
「普通」にしている多数がなぜ「普通」にできるのか理解する事が、生まれつきできないのだ。
ましてや、私は言語知能指数と知覚統合知能指数は90台であるのに、記憶知能指数と処理知能指数が70台と、自身の中で指数の差が20点ほどあるため本人自身も違和感を成人した今でも感じる事がある。
話したり物語や感想を書くことはできるのに、質問に答えたり用事を頼まれると忘れてしまい何もできないという凹凸のある発達障害なので、発見が遅れ、さらに親の理解が得られなかった。
これらの症状があるためとは言い切れないが、私が「普通」にできない大きな理由である事は確かだ。

「普通」の世界が広くなることを祈ってはいるが、なかなかそうはいかないだろう。
「普通」は護身のための武装手段であり、ホモソーシャルやカーストなどと呼ばれている。横同士・同類同士の仲間内にいれば、考えたり悩んだり頭を使わなくて済むため「楽」なのだ。
「普通は楽」だと当の本人達は気付かない場合が多く、自分達の「普通」以外の人間と関わらないどころか、差別の対象とする事で自分達を護身しているのではないかと私は小学生の頃から感じてきた。


私1人がどうこうできる話ではないが、自分自身はさまざまな「普通」に寛容であろうと思うと同時に、差別に対して声を上げていこうと思う。

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