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ラストステージに寄せて〜レビューのような、エッセイのようなもの〜

こんにちは、コピーライターのほりけんです。
初めてnoteに記事を書いてみました。

本稿は、2016年12月にぼくがFacebookに投稿した記事を加筆修正したものです。
コンサートのレビューのようでもあり、青春の1ページを切りとったエッセイのようでもあります。

いずれにしてもライトな内容になっていますので、ネット上にあふれる有益情報の“箸休め”として読んでもらえれば幸いです。
それでは、肩の力を抜いて、どうぞ。

ぼくが大学時代に所属していた合唱団「同志社コール・フリューゲル」の、第50回記念定期演奏会を聴きにいってきました。

地元の友人や社会人になってから出会った人に「大学で合唱をやっていた」というと、「へー、意外」という反応が返ってきます。

なぜ、ぼくが歌の世界に足を踏み入れることになったのか、いまでもうまく説明できないのですが、ただ「魅入られた」としかいいようがありません。いや、もしかしたら「魔が差した」といったほうが正確かもしれません─。

「入りま……す!」

1996年4月。入学式を終えて大学構内を歩いていると、瞬く間に新歓の嵐に巻きこまれることになりました。クラブ、サークル、体育会系、文化系、さまざまな団体が入り乱れ、スーツ姿の新入生たちに声をかけてきます。

「いま説明会やってるから聞きにこーへん?」「一応テニスサークルやけど結構イベント多い系やねん」「どうも能楽部です」「天気もいいし花見に行こう」「神の存在についてどう思いますか?」いつのまにか両手いっぱいに彼らの配るビラが積みあげられることになりました。

そこに現れた、いかにも人のよさそうな男女2人組。「荷物いっぱいやね、これに入れたら?」と手渡された紙袋には「同志社コール・フリューゲル」と書かれていました。

それが大量のビラをオリジナル紙袋で包み隠してしまう巧妙な策略だとは、当時は気づきませんでした。

そして、履修相談に誘われ、デモ演(デモンストレーション演奏の略で、教室内で合唱の演奏が披露されるイベント)に誘われ、夕食会(いわゆる新歓コンパ)に誘われ、100人ほどいる団員の前で自己紹介をさせられると、お約束となっているらしい「(この合唱団に)入りま……?」という司会役の先輩の強引なフリに、ぼくはいつのまにか「……す!」と応えていました。

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アホでポンコツな愛すべき仲間たち

そんな経緯で入った合唱団でしたが、結果的には大学の授業そっちのけで熱中することになりました。

余談ですが、ぼくは4回生(関西の大学では「〇年生」ではなく「〇回生」という呼称を用いる)に進級した際、50以上の単位を残すことになります。

井村屋の「あずきバー」を鍋で温めて溶かし、おいしいぜんざいがつくれるかどうか実験してみたり。6帖一間のわが家に10人超の友人を集めて、2卓(1卓はこたつ、もう1卓はシングルベッドの上に衣装ケースを置いて)での麻雀大会を開催したり。居酒屋でリアルにビールかけをやって、出入り禁止になりかけたり。そんなくだらない思い出ばかりがよみがえります。

そうそう、団内ソフトボールサークルも結成しましたっけ。「ハーモニークラッシャーズ」という合唱団にはあるまじきチーム名で、8分音符がポッキリ折れたデザインの“クラT”を着用して、合唱の練習の前の“クラ練”に汗を流しました。

受け入れ間口が広いのをいいことに好き勝手やらせてもらいましたが、尊敬できる先輩やかわいい後輩、そしてアホでポンコツな愛すべき同回生に囲まれ、おかげさまで楽しく充実した大学生活を送ることができました。

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メンタルのハーモニー

ただ、合唱には真摯に向き合いました。大学からはじめた人間ばかりの素人集団でしたが、コンクールでの上位入賞を目指し、日々の練習や合宿に取り組みました。

1回生のときの関西合唱コンクールにおいて、同志社コール・フリューゲル創設30年(当時)の歴史で初の金賞を受賞。翌年、2年連続金賞。さらに4回生のときには“1位金賞”を獲得し、全国大会にも出場しました。

なお、金賞は複数の団体が受賞する場合もありますが、全国大会に出場できるのは“1位金賞”を獲得した1団体のみです。

コンクールで初めての金賞と初めての全国を経験したのは、ぼくらの代だけですから、いってみれば黄金世代ですね。まあ、上と下が素晴らしかっただけなのですが……。

とくに印象深いのは、執行回生(中心となって団の運営や技術指導を行う回生)だった3回生のとき。

1,800席を有する名ホール「京都コンサートホール」で、3団体ジョイントコンサートを開催し、和太鼓・笛・語り・謡曲とコラボする難曲に挑戦しました。

そしてぼくは、団の代表である幹事長も務めました。技術面で団員を導くのが指揮者ならば、幹事長は精神面でそれを行います。

わが団には「メンタルハーモニー」なる言葉が存在し、それは「団員の心がひとつになって初めて、技術的に美しいハーモニーは実現する」という独自の音楽理論(?)です。

歴代の幹事長には、メンタルハーモニーを濫発し、なにかにつけて「歌は心だ!」で片づけようとする悪癖を持つ人も少なからずいたようですが、テクニックに難がある者に限ってメンタルに頼りがちだ、と揶揄されることもしばしばでした。もちろん、ぼくもそのひとりです。

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ラストステージに寄せて

そんなぼくらを、ときにやさしく、だいたいにおいて厳しく、そして20歳前後の若者のそれをはるかに凌駕する熱量をもって指導してくださったのが、須賀敬一先生でした。

今回の演奏会をもって、その須賀先生がついに同志社コール・フリューゲルのステージから引退されます。さまざまな思いを胸に抱きながら、最後の指揮と演奏をこの目と耳に焼きつけることにしました。

曲目は、合唱に携わる人間なら誰もが知る国民的合唱曲、高野喜久雄作詞・髙田三郎作曲の「水のいのち」です。

「雨」「水たまり」「川」「海」「海よ」の5楽章からなるこの組曲について、作曲者の髙田三郎はこう解説しています。

この『水のいのち』を、これらの楽章の配列から『水の一生』と考える人が多いようである。英訳すれば"The Life of Water"である。しかし私は、この題のほんとうの訳は"The Soul of Water"と思っている。"Soul"すなわち『魂』とは『それがあれば生きているが、それを失えば死んでしまうもの』なのである。そして、水の『魂』とは、低い方へ流れていく性質のことではなくて、反対に『水たまり』は『空を映そうとし』、『川』は『空にこがれるいのち』なのであって、それはまた、私たちの『いのち』でもあり、この組曲の主題でもあるのだ。

そんな奥深いテーマを持つ「水のいのち」が、今回は現役とOB・OG合同の総勢170名で演奏されることになりました。

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のぼれ のぼりゆけ

雨が降りしきってから、海に流れ込んだ水が水蒸気となって上空へとのぼりゆくまで、ぼくはずっと心を奪われていました。今回感じたのは「大人の『水のいのち』だな」ということ。もちろんステージに立つ全員が全力で、魂を込めて歌っているのでしょうが、ff(フォルテシモ)にも余裕があるというか、聴き手になにかを考えさせる、思いを巡らせる“余白”があるように感じました。

ちなみに、ぼくらが現役時代に歌った「水のいのち」は、序盤から歌い手の感情があふれ出て、第3楽章の「川」の時点(具体的には「まこと川は〜♪」の箇所)で文字通り“決壊”してしまった、そんな記憶が残っています。

最後の「おお」という歌声がホールに吸い込まれていったとき、ぼくは幸せを噛みしめました。合唱をやっていてよかった、この団に所属していてよかった、と。

コール・フリューゲルはドイツ語で「歌の翼」という意味です。そして偶然にも「水のいのち」の第5楽章「海よ」の中には、「のぼれ のぼりゆけ 見えない翼 一途な翼 あるかぎり のぼれ のぼりゆけ」という歌詞があります。

須賀先生の引退も、50回目の演奏会も、大きな節目ではありますが、これで終わるわけではありません。「歌の翼」がさらに力強く羽ばたいていく、そんな未来を感じさせてくれる演奏会でした。

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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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