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セカンドパートナー、セカンドピアス

「はい、これプレゼント」
カフェの席につくなり彼が小さな紙袋を差し出した。驚いて記憶をたぐるが今日は何の記念日でもない。私が戸惑っていると
「まあ開けてよ」
微笑みながら彼が言う。
袋の中の包みのリボンをほどき、小さい箱をそっと開けると、キラリと何かが光る。それはダイヤのピアスだった。
「そろそろセカンドピアスにするって言ってたでしょう。だからプレゼント。これなら堂々と身に着けられるでしょう」
初めてのピアスホールを開けた頃に、そんな会話をしたのを思い出す。私が何気なく言ったことを覚えてくれてたんだ、と心が温かくなる。旦那とは違う。
宇宙を思わせる濃紺のビロードの上で、プラチナの台に止められた少し大きめのダイヤが誇らしげに輝いている。まるで双子の太陽のよう。
「こんな高価なもの、もらっていいの?」
「いいの。婚約指輪の代わりだから。本当は婚約指輪をあげたいんだけど、それはできないから。いつも身に着けてくれると嬉しい」
その一言で私は舞い上がる。このダイヤは彼の愛が結晶なのだ。彼の気持ちが嬉しくてたまらない。

今すぐ身に付けたくて、私は化粧室に立った。四苦八苦して固いファーストピアスを外し、ダイヤのピアスをまとう。虹色の輝きを両耳に飾った私が、鏡のなかで少女のように微笑む。
ドキドキしながら席に戻ると
「すごく似合うよ。顔周りが華やかになった、きれいだよ」
彼はいつも浴びせるように私を褒める。旦那とは大違いだ。私は、はにかみながら彼に礼を言う。
「とても光るダイヤをありがとう。こんなにきれいに虹色がでるダイヤは初めてよ」
「そりゃそうだよ。ルースから選んだ、セミオーダーだから。」
私は驚きで絶句した。裸石のダイヤからつくるのは婚約指輪くらいだと思っていたからだ。


私と彼はセカンドパートナー。お互いに恋愛感情は抱いているが、体の関係はない。既婚者同士のプラトニックラブだ。
学生のころからの友人同士。二人とも結婚して、夫婦の悩みを相談し合ってるうちに恋が芽生えた。でも、お互い家庭がある身。肉体関係を持ったら、ただの不倫になってしまう。汚らわしい性欲と後ろめたさにまみれた、道ならぬ恋とは言わせない。二人の恋は清らかで精神的なもの。本能なんかに左右されていない、純愛だ。
法的には、肉体関係がなければ不貞行為ではない。
だから私たちは互いの気持ちを知りつつも、手をつなぐことさえせず、何年も付き合っている。理性で支えられた仲だ。
直接会うのは年に数回。オンラインで顔を合わせるのもしない。まるで30年前の遠距離恋愛みたいだ。もちろん互いの画像も1枚も保存していない。
将来、二人とも独身になったら一緒になろうと誓い合っている。その誓いを彼は形にして贈ってくれた。


ピアスを開けると運命が変わる
若い頃にこのジンクスを知ってから、ピアスに憧れていた。耳たぶに穴を開けるのをためらって、決心がつかないうちに40歳目前になってしまった。
実は結婚してから私の人生はこのままでいいのかという思いが、通奏低音のようにずっとあった。
そして彼と愛し合い、本当に好きな人と一緒に生きたいと思ってしまった。だから、私はピアスを開ける決心をした。子どもじみた、おまじないだと思う。でも何か現実に対して抵抗をしたかった。

身体に穴を開けるのを親に反対される歳でもなくなった。しかし意外にも旦那の反応は渋かった。でも、死ぬまでに一度くらいはピアスをしてみたい、と思い切って皮膚科に行った。
ファーストピアスはシンプルな銀色の玉のデザインにした。鏡を見るたび耳元でピアスがチカッと光る。鏡を見るたびに嬉しくなった。鏡を見て喜べる歳ではなくなっていたのに、鏡を見るのが楽しくなった。


幸せな時間はあっという間に終わる。デートの後に別々の家路をたどれば、おなじみの黒くドロドロして悪臭を放つタールのような重い気分がのしかかる。
彼と一緒になりたいがために、私の旦那と彼の妻の万一を願ってしまう。それは正直な感情だから仕方ない。でも、そんな自分は厭わしい。真っ先に呪われるべきは私だ。他人の不幸の上に気づいた幸せで、私は安心できるのか。どんな犠牲を払っても、それが本当に欲しいか。
いや違う。私は子どもじみた妄想をしているだけだ。私はただ、いつか、を待っているだけ。誰かを不幸にしたいわけじゃない。
いつもの自問自答を繰り返しながら、うつむき加減で電車に揺られる。

けれども耳元のダイヤが、彼は旦那より私を幸せになれるかも・・・とささやく。彼はこうして誓いを形にしてくれた。私と彼の愛が一番強い。だからこの世で一番固い石を贈ってくれたに違いない。


旦那はこんな気の利いた贈り物はくれない。女心のわからない人だから。
彼と会った日の帰り道は、決まって旦那が頭の中にちらつく。その理由も実は知っている。でも私は全力で気づかないふり、見ないふりをする。認めてしまったら、ただ自分がみじめになるだけだから。
ピアスをつけたまま帰っても、旦那はきっと気付かない。もし気付かれたら、自分でキュービックジルコニアのピアスを買ったと言えばすむ。旦那は女のアクセサリーにまったく興味がない。本物のダイヤかどうか見分けられるはずがない。


夫婦そろって家にいるのに、孤独を感じてしまう。日々削られる自信。真夏でも底冷えするような絶望が漂う空気。これが私の家庭であり、日常だ。私はそこへ帰ってゆく。

そう、夫は私に関心がない。



お読みくださりありがとうございます。これからも私独自の言葉を紡いでいきますので、見守ってくださると嬉しいです。 サポートでいただいたお金で花を買って、心の栄養補給をします。