3月4日 今までとこれからの話
みなさまこんばんは。津麦ツグムです。
なかなか更新せず、気がついたら前回から1ヶ月以上あいていました。さすが三日坊主。だめですね。
まあ、特に更新頻度に対してこだわりもないのでさほど自己嫌悪だとかそういったものはありません。
それもそれでだめですね。
さてさて、筆が進まなかったのには2つほどそれらしい理由があります。
まず第一に仕事が忙しくてふわふわ考え事をする余裕がなかった。そしてもうひとつはあんまりネタがなかった。そこらへんです。どのみち、あんまりよろしくないです。
ネタがない、というのはあまりにも代わり映えのない生活をしていたので生活に密着して書くと本当に前回、前々回の焼き増しになってしまう感じでした。
仕事の方では色々あったので別に生ける屍のような生活ではなかったのですがそれをここに書くのもなんだかなあ、というところで。
相変わらず私は元気です。
寝起きにコーヒーを飲み、花を週1くらいのペースで買い、仕事で頭を抱えたりしながら生きています。
ここ1ヶ月くらいはそんな感じでした。
さて、では何で今回?ということで。
昨日はなんと午後10時くらいには寝落ちしてしまいました。最近はそんな感じのことが多いです。朝がものすごい早いというわけでもないのですが、大体10時が12時らへんにはスイッチが切れてしまいます。
もしくは要らないことをぐるぐる考え込んで眠れないままじっと布団の中で起きています。
「要らないこと」というのは、本当に要らないと自分で重々承知しているのに考えてしまう主に過去のあれやこれです。
これは今に始まったことではないので、私としては「ああ、またか」くらいのテンションなのですが、時おりあります。他の人はどうなのでしょうか。
元々考え込みやすく、引きずりやすい面倒くさい性格をしているので、「まあ、あるよね」とおもっているのですがやっぱり真っ当な人々というのは過ぎ去った過去をいちいち、うじうじ悩んだりしないのでしょうか。
夜に叫びだしたくなったり、人知れずになんだか妙に泣いてしまったりしないのでしょうか。
私にはそういったことを言ってくるような知り合いや友人がいないので、自分だけなのか、それともみんな大抵そんなものなのか、判断がつきません。
ただ別段、今ものすごく思い悩んでいるだとかそういったものではなくて元々定期的にそんな気分になってしまうというだけなのでなんというか、「すごい!病んでるんですよ!」みたいな感じでもないのが自分でも不思議です。
いつもそんな感じといわれればそんな感じだし、そうでもないと言われればそうでもないような気がする。
色々考えこんで夜眠れないという人は結構いるんじゃないですかね。知らないけれど。
とまあそんな感じで元気に生きています。
さてさて、今回は「今までとこれからの話」です。
これは題名にしたくなかったのでこんな感じにぼやかしたのですが、簡単に言えばコロナに関する、コロナ、というよりも世界中に大打撃を与えている疫病、天災によって変わっていく生活ということが主軸の話です。
今朝は私にしては早く起きまして、なんと目が覚めたのは午前7時でした。
いつも通りにぼんやりとしながら窓際でタバコを吸いながらコーヒーを飲んでいました。
ふと、「そろそろ1年かあ」と思ったのです。この「そろそろ1年」というのは、少しだけ人によって誤差があるものだと思います。
なにしろ地域や環境によって緊急事態宣言の発令やら実際に打撃を受けた時期が変わってきます。私のおぼろげで適当な記憶によれば東京と大阪は早くて、福岡の方は1ヶ月ほど遅かったような。
ざっくりと「そろそろ1年」です。
色々変わりました。花粉症とインフルエンザ、あとは受験生でもないのに国民すべてがマスクをするようになったり。
リモートワークを実施する企業が増えたり。
観光・飲食といったサービス業が大打撃を受けて経済が低迷の一途をたどったり。
大学生も大学の講義がリモートになったり。
国民に10万円の給付金が配られたりもしました。
アベノマスクというなんともコメントしづらいマスクが家のポストに突っ込んであったり。
本当にがらりとたった1年で。
こんなに変わる?っていうくらい変わりました。
私はごりごりのサービス業だったので、わかりやすく売り上げが落ちていくのも、だからといって大事なお客さんをお店に呼べない、という歯がゆさも感じました。
結局私のすんでいた都市でも緊急事態宣言が発令されて職場を閉鎖されてしまいました。
ちょっとそれはほっとしたところもあります。
来ない、呼べない、という時点で課された予算をとるなんてことは到底無理でそれでもどうにかしなければならないというジレンマと、日々暗くなっていくスタッフの顔と。
どっちも見ないで済むと思うと末端の末端としては無責任に安堵してしまいます。
もっとも、私は緊急事態宣言が明けてすぐに別部署に異動してしまったので、最前線から退いてあとは家に引き込もってのデスクワークになってしまったのですが。
在宅勤務、リモートワークもこの1年で急激に浸透した働き方です。
作家だとかフリーランスだとか、そういった人々がやる働き方だというイメージが私にはありました。
人と顔を合わせることなく自宅で仕事をする。
あまり対人コミュニケーションが得意ではなく、ついでに言えば一人きりの環境に対して全く苦手意識のない私にとっては仄かに憧れていた働きかたでした。
まさかこんな形で叶うとは。
1年前までだったら想像もできませんでした。
元々リモートワークを想定した仕事ではないので、時折りそれなりに不便なこともありますがおおよそ問題なく。
ほんのたまに必要性に駆られてしぶしぶ出勤する程度です。
それはそれでちょっとした気晴らしやら気分転換のような気分になるので、きっと向いているのだと思います。
それに!寝坊してしまう悪癖がある私がこの勤務形態に救われた回数は数えきれません。いえす。駄目人間。
マジでSFですよね。この世界。
マジでこんな世界あんの?っていうくらいには現実感がありません。
今日、「穏やかで平和に狂った世界」をアップしました。これは、私の感じた本当です。
1年前に目にした本当のことです。私の受容体が少しばかりずれているのかも知れませんが、そういう風に見えました。
あの光景は、確かに美しくて穏やかでそして狂っていたと思います。でも、それが現実なのだと思います。
あれは、一瞬理想郷のようにさえ見えました。
そのくらいには平和に見えたのです。
それまでの生活が、あまりにも余裕がなく荒んだ、息切れしてしまいそうなほど目まぐるしいものだったというのもあるのかもしれません。
これはただの主観です。
私という人間のたった二つの目玉で、たったひとつの脳みそで、感じたものです。
それでも、穏やかな時間であったのは間違いなかったのです。
反対側には困窮し、忙殺され、病に、苦しんでいる人がいたのだということくらいは知っています。
それでもなんだか妙なほどに穏やかで、馬鹿馬鹿しくなってしまうほどに平和な時間があの場所では流れているように見えました。
なんだか、それはそれで世界の形のような気がしました。
ただの思い過ごしだとおもいます。
一時の感傷でしかないと。
きっとその通りです。
幸いまだ若く、大事な人を病に奪われていない、収入も途絶えていない、言うなれば幸福な立場にたっている人間の戯れ言でしかありません。
それでも、あの光景は恐ろしくなるほどに幸せそうに見えてしまいました。
子供と穏やかな時間を過ごす大人。
買い物をするカップル。
それも本当で、その美しいグロテスクさに目を奪われてしまったのだと思います。
NEW NORMAL、AFTER CORONA。
そんな言葉が聞こえるようになったのがこの春夏です。
変わってしまったことを、受け入れて変わってしまった世界でどう生き抜くか。
そういうしぶとさと強かさがある言葉だと思います。
もう、2019年以前には戻れないのかもしれない、となんとなく思います。戻らないでほしいところもあるのは事実です。
例えば「体調不良の場合は休むこと」。
こんなことを今さら言われないと、コロナという大義名文がなければ体調不良のまま働くのが当たり前だったのだと思うと、なんとも言えない気持ちになります。
最近ちょこちょこテレビを見ると少し前までは冬なら大抵やっていた「絶対仕事を休めないあなたに!」という謳い文句の解熱剤のCMを見かけなくなりました。当たり前といえばそうなのですが。
あれはあれで、確かに狂っていたのだと、こんなことにならないと気づかなかった自分にも正直少しげんなりします。
リモートワークだって、こんな状況になったので急速に普及しましたが別にコロナが流行る前から技術の基盤はすでにできていたのです。
そっちの方が働きやすい人なんて、見当たらないと言い張る方が難しいです。通勤時間のロスやら、出掛ける前の準備やらでどんなに近くても30分から1時間はもっていかれるでしょう。
その時間を会社が補填してくれるわけもなく。
環境というものは、なにか外からの大きな、のっぴきならない状況というものがなければ変わらないものなのだなあ、とちょっと思ったりします。
そこにどれだけ効率的かつ生産的な方法を実現させる技術が転がっていても。
そんなことをぽつぽつと考えてしまいます。
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