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朝食会議

こんがりとキツネ色に染まったトースト。
ハムを敷いた目玉焼きに添えられた瑞々しいトマトと胡瓜。
目玉焼きの黄身は出来たら固焼きの方がいい。弟は半熟が好みらしいが、私は断然固焼き派だ。
淹れたてのホットコーヒーがかぐわしい香りの湯気を上げている。
イチゴジャム、バター、蜂蜜。その日の気分や好みで選べるトーストのお供たちは準備万端といった顔。
素敵な朝食だ。
ホテルか、よくできた恋人か、新婚のご家庭かもしれない。
実情どれでもないのだが、見た感じは幸せで穏やかな朝のひと時といった風情なのは間違いない。

大きくない丸テーブルにこの朝食セットが3セット、場所を取り合うみたいにところどころ重なりながらぎゅうぎゅうに置かれてさえいなければ。
肘の先でもうっかり当たったら最後。けたたましい騒音と共に盛大な地獄のピタゴラ装置が爆誕しそうだ。
そこまで想像して真咲は目を閉じ深呼吸をした。
いや、起こってもいない未来のことを考えるのはやめよう。

「おはようございます」
「お、おはよう」
キッチンから出てきた彼は、ひよこのパッチワークが可愛らしいエプロンの紐をほどきながら初夏の風のような笑みを浮かべた。
先に身支度を済ませてたらしく、エプロンを取れば清潔感がある感じのよいサラリーマンにしか見えない。
爽やかさだけで言えば朝の情報番組に出てくる若手の男性アナウンサーともタメを張れる。
彼こそが本日の朝食係。そしてこの三好家の居候だ。
庭に面した窓ガラスにぼんやりと映りこんだ自らの姿を真咲は視界の端で捉える。
髪はぼさぼさで、顔も洗ってない。もう5年以上愛用している黒のスウェットは袖のリブが伸びきってだらしなく垂れている。
爽やか朝のお兄さんと相対する自宅で孤独死したアラサー女性の亡霊。
彼は爽やかさで除霊できそうだし、私は彼の爽やかさでうっかり除霊されてしまいそうだ。
止めて欲しい。この世に未練がある。いや、まだ死んでない。
先月までは他人様の前でこんなだらしない恰好を、という恥じらいらしきものもあった。
あったにはあったのだが、どんなにだらしない恰好でも眉ひとつ動かさない要に真咲も認識を改めた。
あ、これぞまさに『眼中にない』ってやつですね。把握!じゃあいいや!

「オレンジジュース飲みます?」
「ありがとう」
いえいえ、と言いながら要は慣れた動作でグラスを取り出し、冷蔵庫から取り出したオレンジジュースを注いで真咲に手渡す。
そのまま「景を起こしてきますね」と軽い足取りで階段を昇っていってしまった。
少しばかり足音が軽やかな気がする。まあ、それもそうか。
寝坊助の恋人を起こすなんて、まあ、恋人らしいイベントのひとつだしなあ。
うん、とオレンジジュースを飲みながらひとつうなずくと真咲はテレビをつけた。
いつもよりも音量を10目盛り程上げて。多少五月蠅い位がお互いにとっていいような気がするのだ。真咲は。

「今日飲み会だから、姉ちゃんよろしく」
わが弟はなんでもないように言うと、トーストの上に半熟の黄身だけを器用に乗っけて軽く崩した。
そういえばそうでしたね、と一足早く食べ終えた要さんはのんびりとコーヒーを飲みながらうなずく。
「ん?」
「ほら、彼女の振り。前に設定とか話し合ったじゃん」
私は景の姉で、要さんの彼女、という話だったか。正直、冗談だと思っていた。
だからさあ、と呆れたように景が溜息をつく。
「元々、姉ちゃんとカナメが恋人同士で、偶然俺がカナメと同じ職場に就職した。
 それで、金遣い荒くて家賃払えなくなった俺は姉ちゃんとカナメが同棲してる家に転がりこんだって話」
「それってさ、あんたの印象悪すぎない?」
私は箸で切り分けたハムエッグをトーストに乗せながら景の方を見る。
「いんだよ。俺のキャラ的にありえそうなんだし」
「本当に?なんていうかさ、そこまで無神経な人間ではないでしょあんた」
「無神経だろ。離婚して一人暮らししてる姉のところに恋人引き連れて転がり込むくらいには」
要さんの方を見ると、空になった食器をキッチンに手際よく移動させ始めている。垂れた前髪に隠れて表情は見えない。
―――恋人がこんなにセルフネガキャンしてるのなら、フォローしてあげたりしないのだろうか。

「時間と場所は休憩時間にでも連絡するから。
 ちゃんと着飾ってくれよ、カナメの彼女って言って違和感が無いように!いってきます!」
「いっていきますね」
呆然としているうちに、会社員の彼らは慌ただしく支度を終えると一緒に出ていった。
私はしんと静かになったキッチンで、すっかり冷めてしまったハムエッグ乗せトーストをもそもそと飲み込んだ言葉と一緒に咀嚼する。
さっきまで美味しかったはずの朝ごはんはすっかり味を無くしてしまっていた。

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