誰かを愛したあの瞬間がいつかの自分も包みこむ
vol.65【ワタシノ子育てノセカイ】
道に迷うと目的地すら見失うことがある。目的地ではなく道を探そうと必死になるから。
迷子で不安だから正解の道で安心したいのかも。近視での狭い世界から、正解を見つけようと迷走するんだ。迷ったときこそ、目的地を見定めて、選んだ道を正解にもっていけばいい。
方向さえあってれば大丈夫。いつかきっとたどり着くから。
◇
ところで私には「実子誘拐」で6年間離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。
◇
新学期。朝の親子時間がささやかに再開する。
次男ジロウとは田畑を挟んだ500m間で、長男タロウとは2階の窓と真下の道路で。平日に毎朝会える、尊い瞬間に、改めて感謝なんだ。
新学期の二日間は短縮授業。タロウからランチ会の連絡はなく、ジロウは別宅へ帰宅のもよう。どんな風に3学期がはじまったんだろうと、ひとり空想の子育てを楽しんだ。
実子誘拐から7年目になった私は、子どもがいなくても子育てするスキルがある。我が子に届いているかは謎めくが、子育てはしょせん親の自己満足みたいなもん。
子育てする親としての自分を、ありのまま認められるのであれば、それでええねん。自分を信じられないと、子どもを信じることもできないんだから。
◇
2023年の11月12月はボーナス月で、タロジロと私の母子時間は、2021年からの2年間で最大級にあった。
私の祖母が亡くなり、葬式や49日で、いつもより会う口実ができたからだ。おばあちゃんの命が親子の時間となったんだ↓↓
タロウは週1で2時間くらいは決まって会いに来てくれて、ジロウとは平日に5日も会える週があった。だけどクリスマスイブの祖母の納骨日に、49日のお参りは終わり、冬休みへ突入してしまう。
未熟者の私は、ちょっぴり寂しくなってしまったんだ。会えない冬休みはもちろん、新学期が始まればもう、会う口実はなくなっているから。人は欲深い生き物である。
◇
ジロウとの下校密会は、1月11日に再会する。祖母のお参りのために変えていた集合場所が、いつもの神社のふもとに戻った。
私の車を見つけた登校班の子どもたちが、ジロウより先に駆け寄ってきて、賑やかなお喋りがはじまる。
ジロウはみんなを眺めるように、のんびり歩きながら登場した。「おかえり」と私がジロウを迎えると、子どもたちは通学路へ戻ってゆく。うん。ジロウと私の日常だ。
実はジロウは下校時のお迎えについて、私に連絡することになっていた。だけど連絡がなかったんだ。
私は少し悩んだものの、木曜日に迎えに行ったわけだけど、ジロウは当然のように車に乗り込んだ。私が来ると信じているらしい。もはや今は、母が家みたいなもんやしな。
とはいえこういうことを曖昧にすると、期待とズレたときに不安を抱えることがある。
◇
親と分断されている子どもたちは、会えない親に「捨てられた」としばしば勘違いを起こす。すなわち「自分は大切じゃない」と思い込むんだ。
絆をつくる時間の曖昧さは、ときに自分を喪失させてしまう。
単独親権家庭の子どもの問題行動が、割合高くなる大きな理由のひとつだろう。もちろん共同親権家庭でもよく起きる。
だけど曖昧からくる不安は、コミュニケーションがあれば避けられる。言葉は、なんてありがたいツールなんだ。
◇
私たちの価値観を創造するのは、社会制度。人間は社会の中で生きるから。そして社会の営みの礎は「親権制度」で、日本の基礎価値観は「単独親権制度」になる。
単独親権制度とは家父長制の家制度のことで、本来であれば、戦後憲法の樹立により、民法から撤廃されるはずだった。単独親権制度は「個人の尊重」も「男女平等」もない、差別制度だから。
だけど約80年後の2024年まで継続させ、今の日本ができあがる。世界に類をみない「男女格差大国」と「実子誘拐大国」になった。
男女差別と子ども差別が、呼吸するように日々起きている。現に私の声はこの6年間、どこでもほとんど理解されず、ときに善意として不憫なキチガイ扱いもいただいた。お返し迷うやん。
のどかな国内をよそに外圧により、家族法制の見直しが始まるも、出てくる国の意見は、単独親権制度の温存。家制度が臣民を赤子とするように、日本国は今、国民をアホだと勘違いしているんだろう。
赤ちゃんこそ、親の大切さ、わかってんねん。
日本を根底から再生させる、社会の枠組みを創造できる瞬間に、なんで私はたまたま生きているんだろう。しかもなんで原因も解決策も知ってしまったんだ。
知識とは諸刃の剣で、身の丈に合っていないと、絶望感に押しつぶされそうになる。
私はただ、我が子とおはようとおやすみを交わし、喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだりして、ふつうに子育てしたかった。
でもまぁ、知ったもんはしゃーないな。
◇
ジロウと私は3学期の下校密会の計画を、きちんとすり合わせることにした。
ジロウの意見を3秒ほど待つ。夢みたいに会えていた平日が、これにて確実に幕引きかも、と私は少々センチメンタル。
「ん?毎日来てよ!」
金曜日だけ予定が変動するので、別途連絡すると教えてくれた。2学期末の特別枠を、そのまま継続するらしい。
ジロウにとっての11月と12月は、特別な母子時間じゃなかったらしい。習慣をただ創りだした、ただ普通の時間だったっぽい。あぁ、なにもかもを特別のように感じてしまう、私の余裕のなさと、過去を生きる切なさよ。ジロウは続ける。
「毎日会いたいやん。会えるんやから」
私がくり返しくり返し、幼いタロジロに語りかけてきた言葉が、ジロウの口からつむがれた。
大丈夫。私はまだまだ頑張れる。
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