生命は見えにくい現実を照らしてくれるミチシルベ
vol.57【ワタシノ子育てノセカイ】
理想を思い描くうちに、ナイモノねだりになるときがある。
思い描く自分が、理想の中だけで生きて、現実を生きていないと、ナイモノばかりを探すから。
思い描く理想のアルベキ何かは、こだわりすぎると現実を滅ぼしかねない。0からではなく0にするから、理想が現実となるのかも。
「今」があまたを創造するんだろうな。
◇
ところで私には「実子誘拐」で5年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。
◇
2023年11月7日の早朝。私の祖母が息を引き取った。
享年99歳の祖母は、早くにふたりの我が子を亡くしている。私の伯父と父だ。父は25年前、伯父は15年くらい前に、同じ病気にて両親より先に旅立った。祖父も10年くらい前に、お先にお墓へ。
我が子の死と夫の死を、祖母はどんな風に受け止めて、残りの人生を過ごしていたんだろうか。
死を刻々と迎えゆく我が子にも、夫にも、そして葬儀でも、涙を見せなかった気丈な祖母。戦後に夫婦二人三脚の一代で、財を成した商売人でもあり、メンタルが鋼のイメージしかない。
そんな祖母だけど、一度だけ私に涙を見せたことがある。
孫と曾孫の母子断絶を知ったときだ。
◇
近親者のみの葬儀には、孫6人を中心に、5歳から16歳までの13/15名の曾孫が集った。
祖母らしからぬ遺影につっこみまくる孫と、親の子ども時代の写真を笑いながら棺に入れる曾孫たち。穏やかに流れる時間を見つめていると、みんなを集めてくれた祖母に、感謝の気持ちが湧いてきた。
私たち孫と曾孫が大きくなるにつれ、家族のかたちも成長し、一方で親戚づきあいは、どんどん薄くなっている。
◇
実子誘拐による親子断絶に陥ると、子どもは片親だけでなく、片親の親戚とも断絶される。
私の息子のタロウとジロウもしかりで、断絶とまではいかないが、私の親戚とは6年間ほど疎遠がち。なので曽祖母を見送るには、タロジロは努力、というか気合がいるのである。
気合を要させる理由は「婚姻」と「出産」を紐づける価値観が大きい。単独親権制度の特長のひとつだ。「家」と「子」をセットにして、婚姻解消によって親子まで解体させて、国家を維持する家族のあり方となる。
子の一方のルーツの断絶を、なんだかアタリマエにしてしまうんだな。
単独親権制度によるただの「勘違い」で、親と生き別れる子どもの数は、年間約15万人。元子どもを含めた断絶親をもつ子どもの現存数は、300万人は下らないだろう。
世紀の児童虐待事件である。
子から親を奪う行為は、子の尊厳の搾取だ。30年後くらいには社会通念となって、子どもを今より大切にできる国に、日本が変わればいいな、と私はこっそり願ってる。
◇
亡くなる2週間ほど前、倒れた祖母が施設から病院に緊急搬送される出来事があった。祖母は翌朝には施設に戻れて、大事なかったのだけど、どうやら老衰らしいと耳にする↓↓
知らせを受けてすぐさま私はタロジロに、おばあちゃんとの時間を、どのように過ごしたいか問うた。
施設に会いに行きたいこと、最後の瞬間を看取りたいこと、葬式に参列したいこと、などを確認。
可愛がってもらった曽祖母が、タロジロの中に息づいていたようすに私は安堵する。一方で祖母とタロジロの最後の時間の創出には少々緊張が走った。
◇
さて、緊張の結果。
葬儀に絞ってまとめると、タロウは葬式から、ジロウは収骨からの参加となった。ちなみにスタートは親戚が集う昼食会からなので、タロジロは遅れての登場に。
母からの交渉はタロウに却下されたので、私はいつも通りの見守り役となる。そしてどうやらタロジロは、各々で交渉したっぽい。
そのせいか当初ジロウは不参加になり、ジロウの要望を受けて私も交渉役へ。だけどびっくりするほど想像どおりに、交渉は難航する。
思い描く理想がかけ離れていると、言葉の理解は、ほんとうにほんとうに難しい。
とりあえず、ジロウが参列できそうな布石だけ落としつつ、私は交渉をサクっと閉幕させた。併せて、タロウと同時刻からの参加も諦める。
おばあちゃんが骨になる時間が、ジロウの下校時間。タロウと親戚の子と一緒に、ジロウを迎えに行く作戦に切り替えることにした。もちろんジロウが参加を望まないなら不参加でよい。
葬式は一瞬だけど、その後の日常生活は長いから。
だけどジロウは、おばあちゃんを見送る選択をしたんだな。かたやタロウは、緊張が走ったようすだった。
◇
親戚が休憩中の葬儀会館に到着する。
子どもたちは「ジロウ来れたんやー!よかったなぁ」などと盛り上がってジロウを迎え入れ、おばあちゃんを一緒にお見送りできる喜びを分かち合う。
数時間遡るけど、遅れて気まずそうだったタロウも、いとこたちが率先して出迎えてくれたんだ。
やたら賑わうお見送り。せっかく楽になった祖母は、ゆったりできずに苦笑いかもしれないな。
ほどなくして、ジロウは骨になったおばあちゃんとご対面。なかなかシュールな再会である。
◇
晩年、祖母は施設で暮らしていたけど、ほんとは自宅に帰りたかったんだ。だけど私にはどうしてあげることもできず、自分の力のなさに向き合うしかなかった。
また、祖母は私に養子になってほしいと打ち明けたこともある。子どもと引き離された私を、気遣ってくれたのかもしれないな。我が子を失う辛さを、祖母は深く知っているはずだから。
親子ともども、生きているのに、この国ではなんで、親子が会えなくなるんだろう。大正生まれですら、違和感あり。
親戚みんなが遺体のおばあちゃんと挨拶した一方で、ホネホネばあちゃんと再会したジロウは、おばあちゃんの人生において、最後に手を握って言葉を交わした家族なんだ。
祖母の緊急搬送を知り、すぐさま行動したのは、ジロウだけだったから。
祖母とつないだ手について、冷たいと感じた私と、めっちゃ力強いと感じたジロウ。
確かに力強かった祖母は、祖父が亡くなったときに、自分の戒名もしれっとつけていた。使いたい言葉があったらしく、葬式と同日の初七日の法要にて、私たち家族はお寺さんから久しく伝え聞く。
鋼メンタルのおばあちゃんが、現世に刻みたかった言葉は「愛」だったんだ。
命が尽きる瞬間は、愛が放たれる瞬間かもしれないな。
おかげさまで、ジロウの脱走、おとがめなし。
生命は、愛なんだ。
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