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【言葉の変異】湧き出す自分が絆の世界を創造する

Vol.6【ワタシノ愛ノセカイ
 続編②/③「言葉の変異」

統べる言葉が奏でる言葉に変わるとき、人は正気を取り戻すのかもしれない。

感情は絆を創り、絆は「仲間」を創る。真の仲間の集団は、損得なく与える喜びに満ち溢れる。絆を築ける仲間であれば、損や得で判断しない内発的な感情で、仲間の為に何かしたい衝動に駆られるんだ。

一方で、今の大規模定住社会では、損得勘定がなければ世界が回らない。

小規模定住社会は1万年前、大規模定住社会は3千年前に誕生したらしい。定住農耕による小さな集団には、収穫物をストックする「法」が必要になった。そして法により「所有」の概念が生まれる。さらに「物」だけでなく「人」にも所有の概念が適用される。婚姻の誕生だ。

婚姻については改めて思考整理したいな。むしろ、婚姻制度をたどったから、私は社会の成り立ちを知れた。我が家の「子の連れ去り」悶着による学びはもはや絶大である。

閑話休題。

大きな集団には「統治」が欠かせない。中央集権型で法によって集団を統べないと社会を回せないからだ。そんな社会システムを可能にしたのが「文字言葉」の誕生となる。文字言葉による統治を始めたんだ。

言葉は音声言葉から文字言葉へと変化した。

言語の始まりは7万年前、それまで「うた」だった言葉が遺伝子の変異で「言語」となる。言語はロジカル的で自由度が高いが、心に響きにくい。例えば、「悲しいうた」は悲しいが伝わるけど、「悲しい」だけでは悲しいが感染しづらいんだ。だからこの時期、言語はまだ隠喩的で換喩的にうたうように用いられた。

そして3千年前、人を管理するための「文字」が生まれ、社会は膨らみ統治されてゆく。ちなみに元来の「法」は仲間を守るためだ。仲間と生きる目的のために、法や文字言葉は手段として誕生したんだ。だけど、損得の計算が必要となる大規模定住社会では、法と言葉が目的になってしまう。

所有するための法。
管理するための言葉。

目的と手段の勘違いは人として生きづらくなる。子の連れ去りによる親子断絶なんかは生きづらさの賜物例だろう。もとい。だから、本来の目的である「仲間と生きるため」を思い出すべく祭りがあった。日常を逃れるハレの日によって、人として内発する私たちの心を呼び戻すために。

私たちは潜在的に絆を結ぶ愛の力をもっている。あらゆる革命によって今は、ちょっと愛を忘れてちょっと世界が滅びそうなだけ。

奏でる言葉を革命的にみんなで発すれば、きっと絆の仲間と世界を生きてゆける。

会話は絆だ。
言葉は愛だ。

言葉で人を変えることは難しいけれど、人はいとも簡単に言葉で操られる。この矛盾にきっと「愛」が隠れている。

愛とは自分なんだろうな。

私たちが正気を取り戻すとき、無償の愛が湧き出して、自分も溢れるように湧き出すんだ。

狂った私はそう感じてる。
なんやよーわからんけど。


▼続編①「ハレとケの反転」

▼続編③「婚姻の空洞化」

▼子の連れ去りについて

▼社会形成物語!?
「起源と顛末」「未来の希望」

※プライム会員は無料視聴


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