豊かな心の育ちには、同じ世界でひとつになれる言葉を響かせればいいのかな
vol.40【ワタシノ子育てノセカイ】
相手を幸せにすることで自分も幸せになれると、人生はポカポカするのかも。
似て非なるのが、自分を幸せにするために相手を利用すること。相手をツールにした「あなたのために」で、自分の不安を解消するんだ。
損得なく、ただ尽くせる相手がいれば、人の心はあたたまる。大切な人を幸せにする喜びが、生きる喜びなのかもしれないな。
◇
ところで私には「実子誘拐」で5年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。
◇
2023年7月16日の日曜日。
長男タロウから鬼電履歴。「ご飯一緒に食べれる?」というお誘いだった。実子誘拐から6年目にして、休日の連絡は初めてかも。
油断して仕事の打ち合わせを入れていた私は、タロウからの連絡に気がつかなかった。履歴を見つけて大慌てで電話しようとした瞬間、またタロウから着信がきて、ようやく私たち親子は繋がる。
日曜日に、親子で、ご飯を一緒に食べられるなんて。生きていると、いいことがあるもんだ。
タロウがスマホを持った13歳頃から、数ヶ月に一回くらいのペースで鬼電はやってくる。メッセージを残すでもなく、架電をくり返すタロウの心情に、私は毎回あれこれ想像してしまう。
だけどすべての鬼電は、母と「会える」瞬間を、タロウが自らつくる連絡なのは間違いない。子が親に「今すぐ会いたい」想いも、間違いない。
そんなタロウに私ができることは、タロウの心が乾かないように、心が溺れないように、愛を注ぐことくらい。とはいえ注ぐ量が、あっているかは謎である。
◇
タロウはうちに着くやいなや、前日の総体の話を興奮気味にしてくれた。二試合あった一試合目で逆転ヒットを打ったらしい。小学生からつづいているタロウの野球生活は、どうやら終了みたいだけど、よき思い出になったようすが伝わってくる。
アレコレ聞こうとする私に、タロウは次男ジロウの話を被せてくる。「昨日はジロウも試合でな。満塁ホームラン打ったみたいやで!すごいやろ!?」。小5のジロウも野球少年。
自分のヒットは遠慮しながら話すのに、ジロウのホームランは遠慮なく自慢するタロウがこそばゆい。
饒舌なタロウの語り口調から、むくむくと想像を膨らませているうちに、いつしか会話が高校の部活へと移る。タロウはもう入部先を決めていて「ワンダーフォーゲル(山岳)部」に入りたいらしい。厳密には「クライミング」に興味がある。
タロウが自らしたいことを見つけて、教えてくれたのは初めてじゃないかな。
◇
中学生になってから、タロウはボルタリングが趣味になった。転校してきたお友達に誘われたのが始まりで、それ以降、週に1回以上遊びに通っているらしい。「お母ちゃんも一緒に行こ!」と誘ってくれたこともある。
ワンゲルやクライミングの話は、これまでの母子の会話に何度か登場させてはいた。タロウに合ってるスポーツだと私が感じていたから。ついでに「山中で身体性を養う原体験をしてほしい」というちっぽけな親心もある。下心?
少しでも心動かせる環境に身をおいて、自己という「内」と、環境という「外」を、行ったり来たりして「見えないナニカ」を想像できる、しなやかな心を育んでほしいんだな。
「ワンゲルえーやん!タロウに向てるんちゃう!?クライミングますます上達するなぁ」という私に、タロウは「お母ちゃんは手が長いから、きっと上手やと思うで!」とニコニコしながら両腕をのばす。
入部どころか入学もしてませんが、ワンダーフォーゲル部にありがとう。
引っ越してきたお友達もありがとう。
ボルタリングのお店もありがとう。
通わせてくれるお父ちゃんもありがとう。
なんかもう、我が子に関わるすべてにありがとう。
◇
海の日の翌日の火曜。ジロウとの密会日じゃなかったけど、なんとなくいつもの場所で下校するのを待ってみた。夏休み前の短縮授業は水曜から。給食がない日は、ジロウの下校先が代わるから、そのまま私たちは会えなくなってしまうんだ。夏休みは下校がないので。
私を見つけたジロウは、さもアタリマエみたいな雰囲気で、車にスルンと乗り込んできた。いつもみたいに車の中で、今日あったハッピーを分かち合う。
本日のジロウのふたつ目のハッピーは「習字を上手く書けた」だった。『広がる夢』というお題だったらしく、「これから夢が広がるなぁ」と私が相槌をうつ。だけどジロウは「いいや」と否定するから、「なんで?」と尋ねてみると、車窓から川を覗いていたジロウがこっち向いて笑う。
「もう夢は広がってるから」
あぁ、私はタロジロから教わってばかり。
◇
母のお家にて。おやつを一緒に食べながら、タロウがジロウのホームランを、私に自慢した話をジロウに伝える。ジロウはすました顔で聞こうとするけど、嬉しさがこみあげてくるらしく、ちょいちょい顔がほころんでしまう。
そういえばジロウが「夢」名言をとばした直後にも、ジロウは私を感動させる言葉を紡いでくれた。過去一ぐらいの感動だったのに、私はなぜかその言葉を、ジロウを送り届けるとともに忘れてしまったんだ。タロジロとの思い出の言葉を忘れるなんて、今までなかったのにな。
だけどジロウの言葉でよろこぶ私に、ジロウが嬉しそうにはにかんで、柔らかい空気に包まれた瞬間は忘れそうにない。
まぁ、それで、ええか。
なんやようわからんけど、私たち親子は相手の幸せに、自分の幸せをかみしめている。
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事実婚親は離婚親と類型的に同じで「婚姻外」の親。現在、法務省にて議論されている、共同親権導入の議論がまさにこれ↑↑、、であってほしい。
離婚後を含む「婚姻外の共同親権」をどうするかが議論の本質のはず。つまり「日本の家族のカタチ」をどうするか。
しかし、法制審でも報道でも共同親権の論調を、「離婚後」に特化させるから、国民に本質がきちんと伝わっていないように私は感じています。
子どもたちが子育てする「日本のカタチ」を今つくりなおし、軸ある礎を未来に贈れるといいな。