人生は選ぶくり返しだから、ほとんどを捨てるくり返し
vol.38【ワタシノ子育てノセカイ】
NOは自分の人生を創りだすスイッチ。だから断ることは自分を生きること。
「NO=悪」と思い込むと、誰かの人生を歩まされるし、自分の人生を誰かに歩まそうとする。
ポチっとNOを押せるほど、人生は楽で楽しくて、可能性が拡がってゆくのかもしれないな。
◇
ところで私には「実子誘拐」で5年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。
◇
2023年7月の第一月曜日。
下校中の長男タロウがひょっこりやってきた。第一月曜は部活がないらしく、タロウは母との密会交流の候補日にしている。
タロウから候補日を教えてもらった私は、2021年から月一でソワソワしては、来る来ないに一喜一憂しているんだな。どうやら7月の第一月曜は、当たりの日と思われる。私、ラッキー。
タロウと私はおやつを食べながら、月一の本屋さんの日を本日に宛てると決めた。タロウと私は、漫画本「ワールドトリガー」を、春先から2冊づつ買い足しているんだ。
やっぱり本日の私、ラッキー。
◇
自転車のタロウを見送り、車でタロウを迎えにゆき、本屋さんまでドライブする。月一の川沿いを通りながら、ワールドトリガーの話をしていると、夢と現実をゆきかう気分になった。
買いたい巻を見つけた満足気なタロウに、私も満足する本屋にて。ジャンプ・コミックスが夏のイベント中らしく、レジでシールを選ぶように促され、タロウは私を見て小さくはにかむ。中3タロウがシールを欲しいかは謎だけど、私たち親子が楽しんでいるのは間違いない。
本屋さんは本が並ぶだけでなく、幸せも詰められている場所なのかも。
漫画も乗車した帰りの川沿いで「お母ちゃんとこで読むわ」と表紙眺めて呟くタロウ。なんか本日の私、ラッキーすぎやしないかい。
◇
夕刻4時半過ぎ、タロウは漫画を読み始める。タイムリミットは40分で、ノルマは2冊。タロウは私に読んでほしいから、時間内に読み切らなくてはならない、らしい。
読書中はお話できないので、私も横で読書する。なんて贅沢な親子時間なんだろうか。だけど何か意味あることを語り合いたいと願う私が、ちょくちょく私の邪魔をする。
人間とは業の深い生き物だ。
帰宅までの残分と漫画の残ページに、集中力の消え始めたタロウがいきなり立ち上がる。「あとちょっと読めてへんけど、大丈夫!お母ちゃんコレ読んどきや。送って!」。
優雅な時の流れが、一変した。
◇
車に乗り込むやいなや、タロウからサクサクと指示がくる。「タロウが車から降りたら、お母ちゃんはすぐ帰ってな」と言い放ったそばから「いや、あかんわ!」と前言撤回。
あかんかったらしいタロウは、いつもと違う道と下車位置を指定して、200mを歩く選択をした。目まぐるしい約20秒。父母の家は車で30秒の距離。私は心がキュッとなる。
子どもが親に会うことを、子どもが親にバレないように、なんで子どもが必死になっているんだろう。「会うな」への勇気のNOも、会いたいという願いも、なんでずっと叶わないんだ。
タロウの「すぐ帰って」も前言撤回に含めた私は、あぜ道歩くタロウの姿を見つめる。すると100mほど進んだあたりで、タロウが振り返って手をブンブン振ってくれた。
すぐ帰らなくて、私、ラッキー。
↑ あぜ道のお話 ↑
◇
離婚家庭には「面会交流」という、子どもと別居親が交流できるシステムがある。我が家は2017年から4年ほど、裁判所でなんやかんやしているので、もちろん面会交流をする文書は交わしている。
なのに会えない理由は単純で、会えなくなるようなシステムだからだ。
養育費も不思議なシステムなので問題が山積している。そもそも養育費と面会交流の概念は、ふたりの親が子育てするという「共同親権制度」からくる。なので子どもの養育について、まともに取り決めせずに離婚する家庭があっても頷ける。
私たちは「子育てはひとりで」という単独親権制度の概念をもつ国民だから。
厚労省の調査によると、養育費の取り決めをしていない母子家庭は54.2%。取り決めをしていない母親の理由で、私が興味深いと思う項目を3つあげてみる。
子どものための費用について、「親のため」に話合わないようすがうかがえる。ちなみに単独親権制度下での子どもの概念は「所有物」なので、子どもの権利意識は育ちにくい。ついでに君主制なので「対話」の概念も乏しくなる。
また、ひとり親家庭の貧困率は約50%でOECD加盟国中で最下位。子どもを養育できるお金がないのに、なぜ単独親権者になるのだろうか。
日本人は「お金」を「子育て」として、認知していない節もある。そもそも日本には「お金の教育」もない。
ちなみに養育費とは、子の監護や教育のための費用である。そして親権者とは監護者のことで、監護者が養育を担う。ゆえに世界中で共同親権制度がデフォルトなんだろう。子の監護や教育は「親」がするもので「婚姻」によってするものではないから。
母子家庭における養育費の不払いでは「払わない父親が悪い」という論調をよく耳にするが、さて。
「子育てしたい父親」と「子育てしてもらいたい子」は会えているのだろうか。実に離婚家庭の約70%の子どもたちが、アイデンティティである親との断絶に陥っている。
単独親権制度により埋め込まれた「女=子育て、男=仕事(金)」は、なかなかの威力がありますな。
◇
あぜ道に想い馳せた翌日の夕刻、タロウからLINEがやってくる。
「明日お昼ごはん一緒に食べに行ける?」
期末テストの時期らしい。今年度からいきなり始まった、テスト期間中のランチ会は、どうやら継続するもよう。しかも結果的にランチは3日連続となる。1週間に、4日も、母子で会えた。7月の私、めちゃめちゃラッキー。
14歳の大きなタロウが小さくなっていったあぜ道は、下校する小さなタロウを、次男ジロウと私でくり返し出迎えた散歩道。3日間のランチタイムでは、心でジロウを探しつつ、タロウとのありがたい時間をかみしめた。
あぜ道で途中下車から4日後のランチ最終日、バイバイしながら何の気なく、タロウと私は手を合わせる。
2023年七夕、小さかったタロウの手が、私の手と、同じ大きさになっていた。
自分の願いを感じ、自分で選択をし、自分で創りあげる人生を、どうか子どもたちが掴める世界になりますように。
▼中間テスト編
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