変わらない私と変わる自分で刻々と世界が創られてゆく
vol.100【ワタシノ子育てノセカイ】
完璧でないから人は人を愛するんだ。
不完全な凸凹こそが人の魅力。足らずを補いあうように、人と人はたすけあい、絆を育み寄り添ってゆく。完璧じゃない自分は、人と繋がれるすばらしい自分なんだ。
ありのままの不完全を慈しめるほど、愛は深まり人は繋がる。あなたもわたしも、ただ、ただ、ただ尊い。
◇
ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。
◇
2024年10月21日月曜日。次男ジロウは修学旅行の代休で、母と過ごす日となった。
当日の朝7時台。8時10分のお迎え連絡が長男タロウのLINEから入る。指定された時間より10分ほど遅く迎えに到着するも、ジロウはでてこない。
5分後にLINEを入れるが既読にならないので、スマホはタロウと共に登校したのかな、と首をひねる。高校生のタロウは常日頃、スマホを携帯せずに学校へいくんだ。
さて。20分待っても現れないので、ジロウのDiscordに架電する。8コールくらいすると、ゴキゲンナナメっぽい声のジロウが応答して「今、準備してるから」と豪速球で言葉を投げつけてきた。
私には「お母ちゃん愛して」とこだまするんだけど、世間の解釈はまず違うだろうな。
私の知らない我が子の日常が、透けて見える瞬間に出くわすたび、実子誘拐が常識の日本社会が、親としての私を問うてくる。
◇
日本の単独親権制度という親子のシステムは、徹底的に自分を失くせるシステムだ。親という子どものアイデンティティを誰でもよしとするので。私たち日本人は単独親権制度で約80年間すごして3世代を回しきった。主体性のない人間が、再生産しつくされているんだ。
ゆえに日本という国には、家族がなくなりつつあるんだろう。親子がないから、しかたがない。親が子を産んだ事実ではなく、婚姻制度によって親子となるファンタジーに、未だ溺れる私たちの国は、これからどこへ向かうんだろうか。
日本社会によって我が子が奪われる真の意味を、7年の時の流れとともに、私はいやがおうでも実感する。
日本社会が母親の私から子を奪うだけならまだしも、刻々と自分を奪われていく息子らを、ただ見守りつづける絶望感を、表現したとて響かない日本社会、への絶望感もまた響かない現実。
真空のごとく響かない社会の中で、懸命に息をして躍動する子どもたちだけが、世界を照らす唯一の希望で、未来への道標なんだ。絶望すら響かない危機的な世界だからこそ、子どもたちは、朝日のように、ひときわ輝くんだろうな。
◇
もしも今、違和感に気づける「私」がこの国に残っているのなら、日本社会は今後、壮絶な痛みを味わう過渡期となり「繋がり」が問われ見直されていくだろう。
自分という主体性を奪われた者へ「私」を取り戻す子育てが始まるから。世界に「私」が誕生するときはいつも、壮絶な痛みがともなう。だからこそ、私に還る再生はひとりでは成しえない。
母が子を産みだすように、子が母から生みでるように、繋がるなにかが確かにあれば、人は幾度も生まれ変われる。主体性を奪って育てあげた思春期からの子育てが、異常値の忍耐を要するように、今後の日本には新たな子育てが待っているんだ。
30年前の子育てが今の社会で、今の子育てが30年後の社会。くり返しも、先送りも、もういらない。私は、私が育つ、子育てで、教育で、つまづいても転んでもいいから、歪まずに育ちたかった。
まだどこかで粛々と息づいている、響き輝く世界を探し、強くしなやかに繋がるんだ。子どもたちに「私」であれる社会を贈るために。
◇
約束の時間から30分ほど経ち、ジロウはバツ悪そうに現れた。
「おはよ!朝からジロウに会えて、お母ちゃんは幸せやわ」と私がご挨拶。するとジロウは「おはよ」と太陽の如く私を照らす。
母宅に到着すると8時45分。朝食がまだだというので、私は昼食用の下準備で朝ごはん作りをし、ジロウはコロコロコミックの中に入る。
5分後、読書のきりがよいところで食事しようと呼びかける。10分後、おかずが盛られた食器がお盆にのり、よきタイミングでテーブルに運ぶように依頼する。私の声のすべてに反応するも、ジロウは漫画の世界から出てこない。私はキッチンから移動してジロウに軽く声かけて、お手洗いと仕事のメールチェックをしに姿を消す。
8分後に戻ると、テーブルの上に朝食が並んでいて、ジロウが椅子に座っていて、「お腹空いたなぁ」とあたたかい声が響いた。
◇
朝食を取りながら、久しく映画を一緒に観たいという私に、観たい映画がないと答えるジロウ。
そうか、12歳のジロウは、みたいものを、みたいのか。
ジロウは、お母ちゃんとこで漫画を読んで、お母ちゃんとドンジャラして、お母ちゃんにswitch教えて、お母ちゃんとマクドに行きたい、という。ジロウの記憶にある、母子の風景をなぞる提案に、自分の鼓動がなんだかうるさい。
朝食後。コロコロコミックを満喫して、ドンジャラで大騒ぎしたら、ジロウのお腹がもうランチを欲した。マクドで昼食したいというジロウに、いくつかの代替案をだすも、けんもほろろな母の意見。
どうやらジロウは食べてみたいハンバーガーがあるらしく、アプリにて倍ダブルチーズバーガーの画像を見せてくれた。ふたりして想像を巡らせてのりのりでマクドへ着くと、取り扱いがないとわかる。
ジロウは素直に諦めて、食べたいものを、するっと代替した。
だけどすぐさま、どうやったら食べられるかを調べて、ランチタイム以外だと導き出す。「ほな晩ご飯でまたマクドにこよか」と返す私に、ジロウは微笑んでこの日のオーダーを済ませた。
マクドで繋がる、私たち親子の未来。
◇
お腹も心も満たされてswitchで盛り上がると、いつのまにか辺りは薄暗くなっていた。今度はバイバイするために、ふたりして車の中へ。
1分もしない遥か彼方の世界へジロウを送る。いつもの道がなぜか大渋滞していて、赤いランプが点々と並びつづく。迂回してあぜ道を選ぶと、幼いジロウと散歩した日々が押し寄せてきた。
小学生だった小さなタロウのお迎え道とは反対側の、あぜ道。走るジロウに早歩きで追いつけた、あの頃。2024年の今、隣に座る6年生のジロウが歩いても、私はきっともう、追いつけない。
砂利道をガタガタと進みながら「お母ちゃんはいっつもジロウを愛してんで」とささやく私に、ジロウは揺れながら「なんでなん?」とからかう。愛される理由をも、求めようとする、本日の我が子。
お家が3つあるジロウのメインハウスに着き、今週のお迎えについて、母子で予定をすり合わせる。背景には、今日という奇跡の日と金曜のオープンスクール。日が暮れゆく車の中で、ジロウは今週のお迎えをなしと決めて、小さな車から放たれていった。
23日水曜日の小学生の下校時間。ジロウの顔を拝みにいくと、ジロウはいつものように車に自然と乗り込んだ。秋うららで汗ばむジロウに「お母ちゃんは今日もジロウを愛してんで」と奏でる私。そういえば、10月のはじめにジロウと一緒にまとった金木犀の香が、もうしない。
助手席のジロウは「知ってんで」と頬あげて、あの頃と変わらない太陽みたいな顔をした。
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