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結婚したのに会社に行けない



「ああ、駄目になる」

 もう何度目かわからない。自分で自分が嫌になる。30歳になっても、結婚したとしても、私が勝手に強くなることはなかった。誰かが救ってくれると内心思っていたのかもしれないが、何も、無慈悲で煌めき変わらなかった。

 10年ほど前、私はパニック障害になった。治るのに10年かかると病院の人に当時言われた。あの頃はその年数に酷く絶望したものだ。いまはどうだ。むしろ最期まで連れ添ってやるという気概と諦めが混ざり、今日も黒くなるのを拒んでいる。

 新卒で採用された会社を辞め、なんとか転職。「正社員」以外は、ひらたく絶望だと思っていた。なんのために大学に行ったのかを問われてしまう恐怖があったからだ。

 ただ、続かなかった。

 夜中、布団の上で手足が震えた。脳が痺れるような感覚があった。次第に身体は鉛になったかのように"自分のもの"から遠のいていく——


 嫌になってしまうよな。

 自死の勇気も出てこなかった。じわじわ刺さったこの毒を消したかった。


 私は人と"仕事で"話すのが苦手だ。人と話すのはむしろ好きだが、どうやら私は責任を纏うコミュニケーションにおいて胸が締め付けられてしまう。周りと意思疎通をして、認識を擦り合わせて、時に協力し、報告し合い、困る前に相談、相談されやすい空気を作ったり、常にご機嫌でいるのが本当に難しくて疲れてしまって、普通に、ほんの些細な言葉の棘で涙が出てきてしまう。

 自分の使った言葉。相手の使った言葉。解釈の不一致。齟齬。妬み嫉み。婉曲。曲解。お世辞。不気味な配慮。猥雑な会話。

 ぜんぶ向いてない。けれどそれをせずに生きられるほど、努力する勇気もない。ただ私は文章が書ける。でもそれは、私は歩ける、と言っているようなもので、痛みもなく、泡のような心は破裂していた。


 ・・・



 過呼吸になって、駅のホームでうずくまってしまうこと。もう何回目だろう。いい加減にしてくれ。いやだいやだいやだ。めちゃくちゃ優しくされているのに、どうしてどうしてできない。私は——

 よだれのように涙が溢れ、内臓がひっくり返るように嗚咽した。影へ逃げ込んだ。誰の邪魔にもならないよう逃げた。逃げて、逃げて、逃げまくってきた人生だ。だけれど人はあたたかかった。

「大丈夫?」と声をかけてくれる人に、私は「大丈夫です」と返した。大丈夫ではないが、言ったところで相手も私も、何をしていいかわからなかった。人が離れていきほっとし、哀しんだ。憐れだ、自分がだ。

「これ飲んでちょうだい」と、ペットボトルの水を横に置かれた。水を自動販売機で買う人が信じられなかった。家に帰ったら水道があるのに、どうしてお金を払って人は買うのだ。綺麗な水?そんなのわからない。水は冷たければおいしいでしょう?

 ただ私はよくこうして水をもらってしまった。私の人生、「水」ばかりだ。会社に今日は休むと連絡を入れて、帰りの電車で4分の1ほどそれを飲む。嫌気がさすほどうまかった。

 もう、変えてやる。



 ・・・



 会社を休んだら、家に帰らなければいけないと誰が決めた。私がなんとなく決めていた。私は真面目なのではなく、ずっと、誰かに怒られたり、嫌われたりするのが怖かっただけなのだ。ああ。私は手取り18万円の正社員で泣きべそかいているのに、どうして街にいる人はこんなにも輝き、みずみずしいのだろう。私の知らないところで、皆努力しているのだろうな。


 ひさしぶりにバスに乗ろうと思った。どうやらこの乗り物は、私を少し遠くに連れていってくれるようだった。

 時刻表を眺める——。1時間に1本しか来ないようだった。空を見上げれば灼熱の太陽。噴水のように湧き出る汗。奪われる体力。ああ。でもなあ。私会社でなんにもできないし。だったらバス、乗らなくていいかあ。



かわいいお花




 私は案外、暑さに弱くない。弱すぎることはない、という方が近いか。どんどん言葉に守りを入れてしまう。

 まあ、30分くらいで行きたいところに行けそうだったので、バスには乗らず、歩いていくことにした。暑すぎておかしくなりそうだった。いつか夏という季節が災害になってしまわないことを願いながら、一歩、また一歩と進む。仕事をして頭がおかしくなるより、何倍もましだと思った。

 歩くというのはとてもいい。歩けば進む。とても単純だ。努力が報われるという過程を手軽に味わえる感覚がある。


 結局50分くらい歩いた。もう少し早く着けただろうが、スマホのナビを見るのが暑さで億劫になり、看板と勘を頼りに歩いた。思ったより遠回りをしていたようだ。

 ぜんぜん大丈夫だった。実は気づかぬところで、私は自分の人生の遠回りを許すことができている。

 ようやく目的の浜辺に到着した。



屋根の下で休憩


これはマリーゴールドかな


唯一見つけたひまわり


会社で食べる予定だったお弁当



 朝早く起きて作った、会社で食べる予定だったお弁当を浜辺で頬張る。安堵しただろう食べ物たちも。私がまた涙でも流しながら食べられたらたまったものではない。残されていた可能性だってある。過呼吸はあんなにも苦しいのに、どうして私は"平気"みたいにして数時間後穏やかになれてしまうのだろう。

 浜辺に行って、家に帰ってくると上司から連絡が来ていた。


 心配です。あと2日はゆっくり休んでください。


 ああ。ほんとうに優しくてさ。自分はなんなのだろうなと。

 迷惑をかけて、苦しくて、やっぱりまた過呼吸になってしまって。

 しばらく涙を流したあと、休ませていただきますと返信した。私は弱い。


 ・・・



 人はそう簡単に変わらない。でも。

 翌日、私は朝早くまた起き、今日も仕事へ向かう妻のお弁当を作った。無力な私を見て、妻はちっとも落ち込む様子はない。むしろ快活なほどだった。

「行ってきまーす!!」

 子どものように元気に出かけていく妻。天真爛漫だ。今日は楽しむんだよ!ちゃんと!と言ってくれた。そして、私が文章を書きたいと言えば微笑み、私が文章を書ききると踊り、讃えてくれた。


 また今日も出かけることにした。私は弱くも強いから。

 自分の弁当も作り、身支度を整える。

 往復数千円で行けるその場所。なんて簡単だろうと思う。私の近所には、あまりにも楽園がある。

 電車を乗り継ぎ、向かった。普段乗らない電車は私を軽く高揚させた。スマホは見ずに、景色に目をやった。やさしくて、すうっと馴染むようだった。



 着いた。そこは海だった。 




 昨日行った浜辺だけでは物足りず、海まで来てしまった。私は30歳を越えてやっと、"こういうこと"ができるようになった。

 変わらずこの日も暑かった。うなだれるほどであったが、私は一度も「下」を向かなかった。もったいないと思ったからだ。風を余すことなく浴びようと、ひかえめに腕を広げて歩いた。


 海はいいな。私は「水」が好きなのかもしれない。いつか私も与えたい、渡したい、伝えたい。波の音も、潮の香りも。抱きしめられているようだった。

 海岸の方まで歩いていく。座ってくれと言わんばかりの流木を見つけた。今日はここにしようと決める。






 何も言いたいことがなかった。

 何も言う必要のない世界だった。ああ。今日も私は生きてしまっているのだ。

 作ってきた弁当をむさぼる。うまい。冷凍の唐揚げに、巻いた玉子。ゆでたまごにブロッコリー、トマトとウィンナー。そして握り飯。あまりにもやさしい世界に気づき、私はまた自分の無力さに嘆きそうになった。


 ぼんやり海を眺めた。ひさしぶりだ、こんな時間。

 何を得たのか聞かれたくないくらい、静かだった。静かな文章も、いつか書きたいなあと想った。





 ずっと、一生懸命仕事をしてきて、すっかり本を読む体力なんて失っていたけれど、この日は読めそうだった。自分へご褒美を渡すようにして物語を心に流し込んだ。

 ああ。涙が出るほど気持ちがいいな。私は泣いてばかりだから、"涙が出るほど"の言葉の価値が、年々下がっているような気がするよ。でもいいんだ。今日も涙が出るから。涙も出なくなってしまったら、それはあまりに——



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 家に帰り、私は少し眠った。

 ちゃんと眠ると、人はわずかに健やかになれる。

 人は勝手に強くはならない。歳を重ねても。結婚したとしても。私は私を生きねばならず、私から背くこともできない。

 きっとまた出勤する頃、私は過呼吸になってしまうだろう。けれど、この人生がきちんと続いていくことを、しっかりと心の隅で確信している。


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