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『付箋と手紙』

手紙が好き
という話はここでも何度となくしてきた。

先日、好きな彼が
「もらった手紙読み返してる。」
と言ってきた。
私からの手紙すべてとってあるのは
知っていたけど
読み返してる…と言われて正直びっくりした。
「何通あったと思う?」
「え、何通??」
彼にそう問われ、自分がどのくらいの頻度で書いていただろうと振り返る。

「最初にあげた手紙が会う前だったから…
  2年4ヶ月でってことでしょ」
「そうだねー。」
「1ヶ月に1通だったとして、52通?
   いやーでも、毎月はないか…」
「どうだろう。でもここ1年は多かったと思よ。」
「あー、じゃあ、そこを考えて50通くらい?」
「50通でいい?」
「うん。」
「残念でした。正解は81通!」
「え、81??」
「そう、すごいよね!」
「やだ…なんか恥ずかしくなった笑」
「画像でくれたのも入れたらもっとだからね。」

正直、自分で書いていたとはいえびっくりだった。
50通でも多いかな?と思って言ったのに、それを大幅に…
しかも、その手紙を今読み返しているなんて…
なんだか恥ずかしくなった。

私は手紙を比較的簡単に書く。
彼にはもちろんだけど、大切にしたい人や
友達、祖母や仕事関係でも
そして、その時の気持ちを書き込む。
嘘なく、その時に思っていることを。
だからこそ、その81通の手紙は私の気持ちのブレや、その時あったことがアレコレと書き連ねているのだろう。そう思うと、2年4ヶ月の私の移り変わりを彼は見返しているのか…
と思い恥ずかしさしかなかった。

「いろんなこと書いてあるよね…」
「まぁね、いろいろあったね。でも、日付を書いて  くれているからわかりやすいよ笑」
「同じ人に81通も手紙を書くなんて、人生で君だけだよきっと。」

そんな会話さえも愛おしかった。

でも最近考える
その手紙が押し付けなのかなとか
自己満足なんじゃないかなとか
果たして読み手のことを考えた手紙になっていたのだろうかとか
手紙が嬉しいと言われて書き続けてきたけど
段々とそれを見失っていたのかもしれないと。


生きていると、どんな場面においても相手があってのことそれが当たり前。
それが職場や利害が生じる相手なら、接し方や話し方も丁寧になるけれど…
恋人や結婚相手ともなると
一緒にいることが普通になり深い仲になるうちに
忘れがちなのが相手を思いやる気持ち。
いろんなことが当たり前になって、それに慣れて
ありがとうやごめんねを言わなくなって
言わなくてもわかるだろう、とか、言わなくても伝わってる…なんて思ってしまう。
結局それが喧嘩の原因にもなるのに。

だからこそ、手紙であれ直接であれ
伝える言葉は大切にしたいし、してほしい。
言わなくてもわかるだろう、じゃなくて
その頭をよぎった一言を、伝えてほしいって思う。
そして、私ももう少し伝える言葉を丁寧に
サンドバックをぼこぼこにするような…
そんな投げやりの言葉じゃなくて…
読み手のことを考えた言葉を伝えようと思う。

81通書いた手紙が
この先どのくらい増えていくのかはわからない。
でも、書くことそれを読んでくれていること
大切にしてくれていることに
相手の想いを感じて、この先の手紙は
言葉を大切に綴っていきたいと思う。

大好きな君へ。






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