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医療を選ぶ権利がある医療消費者という考え方

下記は2008年に受けた「生と死を考える講座」の第4回目の感想をブログに残していた文章の加筆修正です。乳がんサバイバーの方が講師でした。当時の私はまさか自分が乳がんになるとは思ってもいませんでしたが。。。

以下転載。

講師は乳がんサバイバーの方で、癌から生還して得た新しい人生を、癌と闘う人たちのためにささげたいと、患者グループを立ち上げて、国会への働きかけを初め、幅広い活動をしていらっしゃる精力的な方です。

私は、母といっしょに闘っていたときには、日本の医療制度とか、医者の態度とか、いろいろ疑問を感じて、改善していきたい!って鼻息荒くしていたのですが、母が亡くなってからは、関心が薄れているように思います。
今は母のことを鮮明に思い出すから避けているだけなのか、面倒だから避けているのか、自分でもどういうつもりでかわからないけど、もうあの頃のような情熱がないのです。

それはそれとして、この講師の方は、患者グループで患者同士、包み隠さずいろいろな思いを語り合うこともしていらっしゃるのですが、そのような中で、多くの友人が亡くなっていったそうです。

多くの癌患者の死を見ていくなかで、一番重要なのが、夫婦、家族の関係だそうです。自宅で治療を続けたいのかホスピスに入りたいのかという決断以前に、夫婦や家族の関係が悪いと、それどころではないのだそうです。「夫と同じ墓に入りたくない」というのが死に際での最大の願いであった人もいるとか。。。生きるか死ぬかというときになって、夫婦や家族のあり方が問われるものですよね。前回の日航機墜落事故についての講座のときにも、子供を失った夫婦が離婚に至ったケースを聞きました。

幸い我が家は、母の闘病と死を通して、父と母、私と夫、夫婦、家族としてこれまで以上に結束することができるようになったと思います。

親が癌と闘病中という多くの方とネットで知り合いましたが、その方々も皆、家族の絆を深めていて、私も多くのことを学ばされていて、このような出会いを嬉しく感謝しています。

昨日の講義で、家族だけで闘うより他人が入ったほうがいいといわれ、その通りかもしれないと思いました。患者グループに入って第三者の意見を聞いたりするのも一つの方法だと思いますが、私の場合は、このようなネットで知り合った友人、そして身近にいた教会の牧師夫妻が、私たち家族の戦いにちょうどいい頻度で入ってくださいました。今思えば、このような他人の介入がなければ、家族だけで盲目的に母の癌と闘っていたかもしれません。

もうひとつ心に残ったのが私たちは医療消費者であるということ。食べ物や服はいろいろ吟味して選んだりするけれど、医療に関しては、医者や病院にお任せになっているという問題を指摘されました。私たちは、消費者であって医療を選ぶ権利があるし義務があるのですね。セカンドオピニオンとか、少しずつ病院や医者も意識が変わってきたかもしれないけど、まだまだ医者の言いなりになってしまうことは多いですよね。私たちが正しい消費者として、医療というサービスを消費していけるようになるために、やはり私自身、母の闘病を通して感じた多くの疑問を、様々な機会に投げかけていかなければならないあと思いました。

転載終わり。

13年ぶりに、自分自身が癌患者になって読み返してみて、患者グループでいろんなことをオープンに話したり、また、戦友を何人か見送った中で、なるほどなと思うことや、それは一概には言えない、というようなことを感じました。また頭を整理して、後日少し付け足せればと思います。

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