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3回の流産の経験談、および乳がんとの関連性について思うこと

2010年夏に稽留流産したときのことをブログに書いていたものをこちらに移し加筆します。

私が経験した流産は気付いているものだけで3回。そのうち2回が稽留流産で、手術が必要でした。

以下ブログからの転載は、1回目の手術のときのものです。そのあとに2回目のことも思い出しながら付け足そうと思います。

私のブログは昨年他界した父も見ていたので、2回目については、またいろいろ心配かけるといけないからと思って、ブログには書いていなかったのです。

~*~*~*~*~では1回目~*~*~*~*~

稽留流産は、胎児が亡くなっているものの子宮にとどまっているタイプの流産で、放っておけばそのうち自然に流産に進行するらしいのですが、激痛や大量出血を伴う可能性もあるらしく、また、それがいつ来るかわからないので、現代の医学では、人工的に子宮の中身を出す処置が行われるようです。

私の場合、今回の妊娠では、胎児(胎芽と言ったほうがよいでしょうか)の心拍を1度も確認できませんでした。あまり早く病院に行っても心拍確認は難しいので、あえて最初の受診はだいたい心拍が確認されるといわれる6週ごろに行ったのですが、まだ小さな胎嚢と卵黄嚢しかなく、6週にしては小さくないですか?と質問したら、「排卵が遅れただけでしょう」と言われ、また2週間後に受診となりました。このときから、おかしいな、成長が遅いから今回は流産かもと心の準備ができていたように思います。

2回目のときは、赤ちゃんが入っている袋である胎嚢はあるものの、赤ちゃんらしき姿はなく、もちろん心拍も見えませんでした。私のほうから、もう心拍確認できないといけない時ですよね、と言ったのですが、胎嚢は前回よりもずっと大きくなっていて、ドクターいわく、「胎嚢は確実に大きくなってますね。赤ちゃんが見えるのが遅い人もいるので、流産と診断するにはもう少し時間をください」と慎重な答えでした。胎嚢だけ大きくなることはまずないし、流産なら胎嚢の形がいびつになるらしいのですが、私のはきれいな楕円だったのです。それで、1週間後に、ということになりました。

1週間後、また受診。慎重に2人のドクターで確認されましたが、胎児かなと思われるものは映ったのですが、やはり心臓は動いていないと判断されました。これは先週のこと。夫が休みを取れる日などとの調整もあり、明日から入院となりました。処置そのものは日帰りで行う病院やクリニックも多いと思いますが、私が今回お世話になる病院は息子を産んだ大学病院でもあり、慎重な方針をとっているのでしょう、基本的に1泊の入院で行うようです。ここに入院するの2年ぶり。ちょっと懐かしいです。

この時期の流産はほとんどが一定の割合で誰にでも起こってしまう染色体異常が原因なので、お父さんのせいでもお母さんのせいでもありませんから、とドクターは仰いました。自分のせいではないといわれたこと、それに一度もお腹の赤ちゃんの心臓が動いているのを超音波の画面を通してですが見ていないこともあり、あまりショックは受けませんでした。涙の1滴も流していないんです。息子のときのように姿かたちも人間になって、お腹の中で元気に動いている様子まで見てしまったあとに、しかも安定期といわれる5ヶ月に入ってから破水して「この子は肺が育たないので生きることができない」と言われるのとはわけが違うので、この手のことについて私にそうとう免疫がついていたのかもしれないけど、とにかく今回は冷静すぎる自分に不安なほどです(苦笑)。涙の数滴でも流さないと、お腹の子に申し訳ないのではないか??私は冷淡なのか??と。

結局流産で終わるのなら、なんで息子の育児で大変な中、何度も病院に通ったり、つわりや倦怠感がある1ヵ月半を、神様はわざわざお与えになったのだろう、とも正直思いました。それは神様を責めるような思いではなく、純粋な疑問です。きっと理由があるのです。

少なくとも、妊婦に義務付けられている子宮がん検査の結果は問題なく、また、久しぶりに卵巣の大きさなどもチェックされましたが、腫れなどもなく正常ということが分かりました。

先週入院の手続きをして帰るときに、病院の中庭のようなところで点滴をつけたままゆっくり歩いているとても痩せた子供の入院患者を見ました。1回目の受診のときは20代くらいの女性が私の隣に座っていて、癌研の医師に宛てた紹介状のような封筒を持っていました。私は明日と明後日の処置がちょっと怖いですが、私が経験するであろうちょっとした痛みなんて、生死にかかわるものでもなく、大したことではないのです。

それにしても、1人の人間が元気にこの世に誕生するというのは、ものすごい奇跡だなあと、数少ない2回の妊娠経験ですが思います。息子が死の淵から今のように元気に育っているのも奇跡ですが、私を含め大半の子がお腹の中で問題なく9ヶ月を過ごし、お母さんから元気に生み出されたというのは、その誕生の一つ一つが奇跡なのだと思います。神様の許しと守りによるものです。神様が何か理由あってとても短い命しか与えなかった赤ちゃんには、また別の、特別な恵みと守りがあって、早くに神の元に帰ることを許されていたのだと思います。

それにしても一つ一つの命がどんなに尊いものかを深く覚えたこの夏、終戦から65年ということもあってたくさんの新聞記事やテレビ番組を目にしましたが、命を物のように扱い、終戦後も人々を苦しませ続けている戦争というものは、全くもって間違いで、二度と繰り返されてはならないと強く思わされています。

書こうかどうか迷ったのですが、きっと同じ稽留流産で悲しまれている方が検索されて来られて何かの参考になるかもしれないし、少しでも慰めになればと思い、書きました。

1回目のことをブログに書いていたものを転載したのはここまでです。

ここから2回目のこと。

2回目は息子が小学校2年生のはじめのころでした。このときは、心拍が確認できたのでした。この約1年前にも妊娠したのですが、これは心拍確認前に自然に流れました。さすがに結構な出血量でした。でもそんなに体へのダメージはなかったと思います。このときにかかった近所のクリニックの女医さんが、はっぱかけるのですよ。

「次も急いでがんばりなよ、すぐ44,45になっちゃうでしょ。45超えると妊娠はなかなか難しいから。葉酸とかのんでさ」って。

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