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デザインとアート

デザイン【design】
∴desire 望むこと

アート【art】
∴祈り

わたしが聞いてしっくりきた解釈の仕方です。

デザインの解釈は祖父から聞いた言葉です。
祖父は高齢で、珈琲屋で常連になってしまいそうな(実際も)、外国の方がいるといつの間にか声をかけに行っている、子供ながらに洒落た人だなあと思っていた。
母が子供の頃は、英語の教師をしていて、とても厳しい印象だったらしい。

私が大学時代デザイン科に所属していた時、原研哉の本を、本の虫の祖父に貸しました。炬燵の中でその本をじいっと読んでいた祖父がボソリと「そうか、デザインはdesireなんだね。」と言って、そのまま残っています。

もっと深掘りして聞いたらよかったかしら。
その言葉が心地よくて勝手に反芻してここまできてしまった。もう亡くなってしまったし、言葉というのは生物だし。

確かにそうだなあと。
意思決定というか、決断というか、デザインには責任がついてくる気がする。特に対象が広くなるほどに。

いわゆる物の意匠設計、形に起こすところから始まるものではなく、その前のどういう世界を作るかを持っている人がいる事を私は知っている。物に起こすのは手段でしかない。

理想はもはや科学に近いのかもしれない。そのデザインをした人が居なくなっても、同じような世界を望む人がいて、同じ事をしたら再現が出来るような。(相手が人なのが難しいけれど)

アートは昨日聞いた言葉です。
SHOWKOさん(陶芸家)と中根一先生(鍼灸師)の対談が行われていまして、傾聴しました。

メモを取らずに聞いていて全文は覚えてないのですが、アートは祈りなのだなあと。

陶芸家として作品、つまり物を作って、世に出した時。環境に適合できるヒトと違って、物は原則変わる事が出来ない。だから物は変わらずに、ヒト側が日々変わっていて、タイミングが合えば受け入れられる。

みたいな事を言われていて、それに対して鍼灸師の中根先生が、どこかの先生の言葉(祈りについて)を参照されてました。

結構身を削る作業だよな。
過去のことを思い出すと、この世界にある綺麗だと思った現象を形づくるだけでも大変だった。そのままじゃなくて、自分の目で見た世界が感じるようにしないといけなくなる。これを写真でできちゃう人もいる。いろんな人がいる。続ける人がいる。尊敬する。

その頃の私は、当時知っていた方法でやることしか出来なかったし、願いとも祈りともつかない幼稚な限りの考えだったけれど、伝えて外と繋がりたかったんだなあと思う。

伝わった実感があったとき嬉しかったもんな。
本当にその世界に残ってほしい人は、こんなに文章をつらつら書かないだろうな。手を動かし、足を動かし、言葉にならない世界を生きている気がする。

今日話をしていた美容師さんも祈りの人。1ヶ月もの間、ひとつの案件がこと無く、どうにか良いように終わるのかどうかずーっと緊張していたらしい。頭にその事がずっとあって、当日が終わるとすぐにヘルプしたそうだ。すごい。

人は物体という意味では物と変わらないはずなのだけど、身体は感情や身を置いてる環境で変わっていくのがおもしろい。

物としての身体と、感情としての行動やその結果の居場所、この2つが影響しあって、お互いに変化しあってしまう。