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「辛い」の尺度は、相手のものさしでは計れない【寄り添い疲れから身を守る方法】

「しっかりしなきゃ。一番辛いのは、彼だよ」

病気になった家族に寄り添うことが、辛いときもありました。話を聞いてくれる人を見つけては、心境を吐露していたと思います。でも、「一番辛いのは、彼」と言われると、哀しみが増しました。「ひどい」「私だって」「どうしてわかってくれないのだろう」と。

でも、10年経ってわかりました。それは、精一杯の励ましであって、悪気なんてこれっぽっちもないんです。私を心配し、元気でいてほしいからかけた言葉なんだって。今では、感謝しています。

けれども、その言葉を受け止めるのには10年かかったわけです。実際、このように言われてしまい、哀しい想いをしたご家族の方もいらっしゃるのではないでしょうか。

でも。お願いがあります。「辛い」に蓋をしないでください。大切な人が病気になったら、辛いです。当然、患者さんが辛いのは、紛れもない事実。けれども、寄り添う側も辛いと思っていい。自分の気持ちをごまかすと、「私なんてまだまだ」「もっと頑張らなきゃ」と奮い立たせ、疲弊してしまう原因になってしまうからです。

「辛い」の尺度は、ものさしでは計れません。他人と自分を比べることも、患者さんと自分を比べることも。それは、当時から感じていたことでありました。「一番辛いのは、彼」と言われても、「いや、私も辛いよなぁ。うん、辛くないわけない」と、自分の気持ちには嘘をつかないようにしていたと思います。

一人芝居のようで恥ずかしいのですが、でも、それだけで随分と楽になったのは、今でもはっきり覚えています。

こういうとき、かけてほしい言葉というのも、一人ひとり異なると思います。「辛いのはあなただけじゃない」と言われて救われたという方もいらっしゃると思いますし、「あなたになにがわかるの」と悔しくなってしまう方もいることでしょう。それまでどんなに仲が良くても、たった一言で、もう一緒にいられないかもしれない、と思ってしまったことも、私にはあります。相手は、私のことを思ってくれていたのに。

でも、それも仕方のないことだと、思っています。しんどいときには、自分の欲しい言葉をかけてもらえるのが、一番の薬になるのですから。心無い言葉をかけられたと思ったら、一旦距離を置いて。そして、自分にとって心安らげる言葉をくれる人のそばに身を置く。私はそうやって、自分を守っていきました。

あのとき私は、どんな言葉がうれしかったか、この記事を書くにあたり考えました。「辛いよね」「もう十分頑張ってるよ」…ですかね。辛い気持ちも、支えようとしていることも、ただ認めてほしかった。前向きになれとも、強くなれとも言わずに。そんな人が一人でもいたら、あなたの光になることは間違いありません。


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