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「自作自演」に見えないかと葛藤した:『東京となかよくなりたくて』制作秘話

月と文社の1冊目の本『東京となかよくなりたくて』は、自意識とたたかいながら出版した本です。今日はそのことについてお話しします。

この本は、東京を舞台にした全50編の「イラスト&1ページ短編」を収録した「大人向け絵本」として2023年12月に出版しました。上京してさまざまな人生を送る男女の日常を通して、社会人として働くこと、人間関係での痛みや喜びなどを描いた創作作品です。

昭和~令和のJ-POPから選んだ「エアBGM」

各編には、内容のイメージに合わせて選んだ楽曲タイトルを「エアBGM」として1曲ずつ添えています。日本の1980年代から2020年代(昭和~令和)の楽曲からセレクトし、YouTube Music、Spotify、Amazon Musicでほぼ全曲が聴けるプレイリストも作りました。

例えば、「下北沢」という編には小沢健二 featuring スチャダラパーの『今夜はブギー・バック』、「熟成のカフェ時間」という編には松田聖子の『SWEET MEMORIES』、「搾取されない自分」という編にはYOASOBIの『群青』、「歴史上の大切なひと」という編にはレキシの『きらきら武士』という感じです。曲は編集者である私の感覚で、「聴けば当時の時代の空気を思い出せるような、ある程度メジャーな曲」や「知らない曲だったとしても、聴けばいい曲だと思ってもらえる」ようなものを中心に選びました。

「この人のイラストで本をつくりたい」

最初は、satsukiさんというイラストレーターさんの絵で、大人向けの絵本のようなものを作りたいと思ったことが発想の原点でした。satsukiさんとの最初のご縁は、前職時代に日経WOMAN別冊ムックの表紙のイラストをお願いしたことです。かわいくて、優しくて、どこか懐かしい、すごく好きな感じのイラストだなあと思いました。
お仕事を依頼するイラストレーターさんとお会いすることはめったになかったのですが、その表紙の仕事をお願いした時期にちょうどsatsukiさんが都内で個展を開催されていたので、足を運んでみました。ご本人といろいろお話しし、独立したら一緒にお仕事をしてみたいなと思っていたのです。

自分の出版社を始めるにあたり、最初につくる本のテーマを「東京」にしたのは、社会人として働くことのハードさや、活躍する人が大勢いるなかでの自意識との向き合い方など、大人が生きていくうえでの悲喜こもごもが凝縮されている象徴的な場所だなと思ったからです。表現としても描きやすく、多くの人が自分を投影しやすいのではと感じました。

会社を辞めて出版社設立を準備している段階で、satsukiさんにこの企画を提案したところ、やってみたいと快諾をいただきました。イラストに文章を添えるにあたって、もしsatsukiさんが文章も書く方であればお願いしようかなと思いましたし、お好きな書き手の方がいたらその人にお願いするのもありかなと思っていました。ただ、satsukiさんは文章を書く習慣はないそうで、特に気になる書き手もいないとのことでした。

私はこの本の具体的なイメージを固めるために、「例えば下北沢というテーマなら、こんな感じの文章」というサンプルを2本ほど書いていました。それをsatsukiさんにお見せすると、いいと思うので藤川さんが書いては?と言ってくれたのです。satsukiさんがそう言ってくれるなら、勇気を出して書いてみようかなと思い、自分で書くことにしました。ということで、この本の文章を書いている月水花(つきみずはな)は、私のペンネームです。

「昔の自分」に背中を押された

文章を書くことについては、satsukiさんに背中を押されたことに加え、だいぶ昔に私のなかで小さな成功体験がありました。30歳前後のとき、まだ2000年代のはじめでしたが、ネットで自分の素性を明かさずに文章を書いていた時期が数年間ありました。まだブログというシステムも普及していない時代でしたが、私は仕事を通じて、ホームページ作成ソフトで簡単なウェブサイトをつくるスキルを得ていたのです。面白い日記風のものを書いているネット上のプチ有名人に触発されて、自分でもサイトを作って書いてみようと思ったのが最初でした。

仕事や人間関係で直面する普遍的な感覚を、日記のようなエッセイのような文章にして、日記ランキングのサイトに登録したところ、徐々に読んでくれる人が増え、ピークの時期には1日1000人くらいが読みに来てくれるようになりました。

この当時、出版社で編集の仕事をしていましたが、担当していたのが特定の業界向けの媒体だったこともあり、もっと広く一般の人に読んでもらえる文章を書いてみたい、という密かな願望があったのです。20代後半くらいから感じていた面倒な自意識へのモヤモヤを言葉にして、誰かに読んでもらって肯定的な感想をもらうことで承認欲求を得たかったのでしょう。

青かったなあと思いますが、このときネットで文章を発信していたことで、今でも関係が続く貴重な飲み友と知り合えましたし、自分の文章に、好きだとか面白いといった反応をもらうことで、書くことや、物事に対する視点の持ち方に少し自信を持てるようになった気がします。

「自作自演」に見えないかと悩む

とはいえ、自分が立ち上げた出版社で、自分が著者の1人になる本を最初に出すなんて、自作自演もはなはだしいのでは…と正直、だいぶ悩みました。名前をペンネームにしたのも、少しでも自作自演感を緩和したかったためです。ただ、月水花という、月と文社という社名とリンクした名前にしたのは、あえて正直にその関係性をほのめかしたほうが、長期的な信用につながるかなと考えたからです。この書き手は誰なんだろうと興味を持ってくれた人が少し調べれば、書き手の素性がわかり、そういうことなのねと理解する…というくらいの距離感でオープンにできればいいかなと。なので、他のSNSでは特にこの本の書き手について触れていませんが、長い文章を書けるnoteやトークイベントなどでは公開することにしました。

おそらく私は、まあまあ自意識が強めの人間だと思います。なので、『東京となかよくなりたくて』の文章を自分で書くことを決めて、全50編を書いてsatsukiさんにお渡ししてからも(文章に合わせて絵を描いてもらいました)、このような本を世に出していいのかと葛藤していました。ただ、何人かの親しい人に相談すると、特に気にすることないんじゃない?という反応が多かったのです。言ってみれば YouTuber だって自作自演だし、今はそういう時代じゃないの?と…。
また、いろいろ知っていくなかで、ひとり出版社のなかには、代表者が著者として本を出しているところが意外と少なくないことにも気づきました。

「人生を走馬灯のように振り返れる」絵本

そんな葛藤を経て思い切って出版してみた『東京となかよくなりたくて』。50の短編はエッセイ風の文章ですが、創作です。語り手は女の子だったり男の子だったり、年代も20代から40代と幅広く設定しています。東京での暮らしや街歩き、仕事や恋愛、人間関係、自分の見せ方などで直面するさまざまな思いを、小さなエピソードとともに短編としてまとめています。

出版後は、私を知っている人からも知らない人からもいろいろな感想をいただいていますが、一番多いのが「これまでの自分の人生を走馬灯のように思い出した」という感想です。同じようなシチュエーションを若いときに経験した、この音楽をよく聴いていた時期の情景がよみがえってきた…など。
東京を舞台にはしていますが、東京に住んだことがない人にも、若い頃の葛藤や、がんばっていたときの自分を思い出す、という感想をいただきます。

日経WOMAN時代に毎月、私に感想のお手紙を送ってくださっていた80代の女性がいます。私が会社を辞めてからも薄くやりとりが続いていたので、この本のことをお手紙でお伝えしたところ、長文のお返事をいただきました。そのお手紙には、この本を面白く読んだという感想とともに、上野、原宿、六本木…と、本に出てくる東京のいろんな地名での仕事やプライベートの思い出が綴られていました。80代の方の気持ちにも届くような本をつくれたのかもしれないと思えて、感無量でした。

本の前文に「この本のどこかにきっと、あなたの物語が描かれています」と書いたのですが、それに限りなく近い形で、多くの方にこの本を受け止めていただいたことを、本当にうれしく感じています。

『東京となかよくなりたくて』の制作については、見ているだけでワクワクするようなsatsukiさんのイラストについてをはじめ、まだまだ語りたいことがたくさんあります。

2月25日に東京・蔵前の透明書店さんで、この本のこと、ひとり出版社の立ち上げのことについてのトークイベントを開催しますので(satsukiさんにもお話しいただきます)、リアルでも、配信でも、アーカイブ視聴でも、ご興味のある方はぜひ聴いていただけるとうれしいです。

>>透明書店のイベント:「いま新たに出版社を立ち上げ、本をつくり、届けることについて」大手出版社から独立しスモールビジネスとして出版活動を行うことに関するよもやまばなし

>>『東京となかよくなりたくて』Amazonページ

>>レビューサイトNetGalleyの『東京となかよくなりたくて』ページ
(レビューが上手な人たちばかりで感服します)

(この記事冒頭の写真で開いているページは、『東京となかよくなりたくて』の「新しい人格」という編のイラストです。ペンネームを使って文章を書くことで別人格を獲得するような感覚もあったので、今回の記事に添えてみました)


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