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心がざわざわするとは:『海がきこえる』と『かざらないひと』

渋谷のBunkamuraル・シネマで『海がきこえる』が期間限定で上映されていると知り、観に行きました。
1993年にスタジオジブリの若手スタッフが制作したアニメ映画で、10代の終わりの微妙な心の揺れが、高知と東京を舞台に描かれている「エモい」作品として支持を集めています。愛聴するポッドキャスト番組「奇奇怪怪」の過去回で絶賛されていて、まだ観たことがなかったので、これは行くべしと足を運びました。

自分が10代のときに憧れた大学生に近い、ちょっと大人びた雰囲気の高校生たち、カセットデッキやFM雑誌などの90年代カルチャー、修学旅行のプリント写真を回して買う人を募る、など、懐かしくてぐっとくるポイントが満載でした。
でも、いちばん胸に来たのは、登場人物たちの「ざわざわする気持ち」だったように思います。

東京から高知に転校してきた里伽子という女の子が、美人で運動も勉強もできて注目の的になるのですが、周囲になじもうとしない態度が反感をかい、孤立してしまう…という状況に陥ります。クラスの大部分の子は、彼女から自分たちが見下されているような、ざわざわした気持ちになっていたのだと思います。実際に見下されていたかどうかは別にして。

ふと、自分がこれまでの人生で、どんなときに心がざわざわしていたかを思い起こしてみました。

・高校時代、いわゆる1軍みたいな人たちに混ざって、行事の運営をしなければならなかったとき

・会社員時代、自分の行きたかった部署で、元気いっぱいに配属の挨拶をしている新入社員の女の子を見たとき

・自分の前任者が、過去の実績として「数字をV字回復させた」という内容を公表しているのを見たとき

こうした経験を振り返ってみると、心がざわざわすることって多くの場合は、ひとり相撲なんだなと思います。ざわざわする対象の人が自分のことを見下していたということはまずなくて、自分が勝手に劣等感や悔しい気持ちを抱いていただけ、ということなのです。

この「ざわざわ」は私にとって結構気になるテーマで、2月に弊社から出したインタビュー集『かざらないひと』では、「その存在に、とても心が惹かれるけれど、心がざわざわしない人。」という書き出しで、インタビュアー・編集者として前文を書きました。

本書に登場する5人の女性(フリーアナウンサーの赤江珠緒さん、家政婦で料理人のタサン志麻さん、産婦人科医の高尾美穂さん、フリーアナウンサーの堀井美香さん、「北欧、暮らしの道具店」店長の佐藤友子さん)が、私だけでなくおそらく多くの人にとって「心がざわざわしない人」で、だからこそ絶大な支持を集めているのではという仮説をもとに、その秘密を検証すべく、「かざらないひと」というくくりでインタビューをまとめました。

実はこの「ざわざわしない」という言葉は、本書の帯に入れるかどうかをかなり迷って、結局入れないことにしたという経緯があります。
読む人によってはこの本に出てくる人に対して「ざわざわする」こともあるかもしれないし、「ざわざわする/しない」というのは自意識が強めの自分だから抱く感覚かもしれない。帯にまで入れてしまうと「じゃあ、ざわざわする人ってどんな人?」と、見た人がモヤっとするかなと思ったのです。

そんなこんなで帯には入れなかったものの、前文を「ざわざわしない」という表現から始めたことも、これでよかったのかなと思っていたところ、その言葉にしっかり反応して、この本を紹介してくださった方がいました。
丸善丸の内本店の文芸書担当書店員の高頭佐和子さんで、小学館の「小説丸」というサイトで『かざらないひと』の書評を書いてくれたのです。

なんというか見事な書評で、私がこの本に込めた思いの一歩先を照らしてくれるような内容でした。「ざわざわしない人」という言葉を拾ってくれて、誰かの「ものさし」で測られることの居心地の悪さについて、ご自身の経験を絡めて語ってくれています。

文章のなかで、私が感服してしまった部分を引用します。

 当たり前のことだけれど、自分と似ている人はいても、全く同じ人はどこにもいない。できることもやりたいことも違っていて当然で、本当は誰もが自分のものさしを持っているはずだ。それを使うことを恐れない人が「かざらないひと」なのではないだろうか。

「小説丸 目利き書店員のブックガイド vol.140 丸善丸の内本店 高頭佐和子さん」より

ここに書いてくださっているように、本当は誰もが持っている「自分のものさし」を大事にして、自分に正直に生きられれば、世の中はもう少し風通しがよくなるように思います。

世の中の人に優も劣もないということを大前提に、いろんな人のことをフラットに見たいと思っています。でも実際は、自分のことを含めて、優劣で見てしまう感覚は完全には捨て去れません。そういう優劣の判断軸から別のところを泳いでいるように見える人たちにインタビューしたのが『かざらないひと』です。

もちろん、登場する彼女たちも、優劣の判断軸を自分に当てはめて悩んだ時期もあったようですが、今はそうしたところから自由に見えて、人のことも優劣では見ていない――じっくりお話を聞いてインタビューをまとめて、そんな印象を抱きました。

おすすめ本として『かざらないひと』を選んでくれたこと、素敵な文章を書いてくれたことへのお礼を高頭さんにメールで伝えたところ、丸善丸の内本店の文芸書の棚をつくるにあたっての思いを打ち明けてくれました。とても心が動く内容だったので、ご本人の許可を得て、以下に紹介します。

丸の内のお客様は努力家の方が多く、
人より上に行きたいとがんばっていらっしゃる方が多いように思います。
一方で、自分の本当にやりたいことはなんだろうか、
とも考えていらっしゃるようです。
どういうふうに棚をつくればいいのかなと、日々思いながら働いています。
「かざらないひと」はそういう思いにぴったりくる本でした。

高頭さんからいただいたメールより

ここまでお客さんの気持ちをイメージして、棚をつくってくれているんだなと、なんだか感激してしまいました。
そして、自分のことに引きつけるのも恐縮なのですが、私が前職で『日経WOMAN』という雑誌をつくっていたときも、同じようなことを感じていたかもしれない、と思いました。人生に「勝ち」も「負け」もないんだよ、と、読者に言いたかった。

ちなみに丸善の高頭さんは、私が大学時代にアルバイトをしていた書店(当時、新宿ルミネ1にあった青山ブックセンター)で、同じ時期に書店員として働いていらっしゃいました。その後、複数の書店へ転職され、たまにやりとりをする間柄でしたが、本屋大賞の創設時から実行委員を務めるなど書店を盛り上げる活動に尽力されていて、楽しそうに仕事をされているなあと感じていました。

そういえば、青山ブックセンターでアルバイトをしていた時期は『海がきこえる』の舞台と同じ90年代で、音楽好きのバイト仲間が推し曲のカセットテープを作ってくれたなとか、お店ではレジ打ちくらいしかしていなかったけど、たくさんの本と、本を買うお客さんを見ているだけで楽しかったなとか、当時のことを思い出しました。

本が好きだった気持ちともう一度向き合って出版社を始めてしまった自分ですが、「誰かに心がざわざわする」ことからは、だいぶ自由な人生に踏み込めているような気がします。


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