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お仕事小説部門|「あなたの話し相手になります。100円/分」第三話

 マイページを開くと、今日は2件の予約が入っていた。9時半から10時の30分枠と、11時から12時の1時間枠がひとつずつ埋まっている。

 予約時間の5分前になると、わたしはパソコンの画面の前でヘッドセットを装着し、そしてサービス購入者のみが入ることができるビデオチャットの待機画面で予約の時間を待った。手元には、メモを取るためにノートを広げる。


「あ、こんにちは」
 切り替わった画面の向こうには、小さな女の子が映っていた。重たい一重の奥に、黒々とした瞳がある。
「こんにちは。ご予約ありがとうございます。廣瀬と申します」
 女の子は初対面の大人にも表情を変えず、静かに話を聞いている。

 わたしは、唇を左右に大きく引いて唇の皮膚を張るように意識した。自然と口角が上がる。わたしの情報はこの画面からしか受け取れない。リピート客を増やすには、醸す雰囲気や間の取り方など地道な心配りが重要だった。

「今回が初回でしたので、簡単にサービスの説明をさせていただきます。本日は30分のコースをご予約いただきましたので、10時までお話しましょう。それ以前に切っていただくことも可能です。また、この後は11時まで予約がありませんので、延長も可能です。気軽にお申し付けください」
 機械的にサービスの説明をした。これを仕事と呼んでいいのか、数か月経った今でも心の隅で問い続けている。この何かに対する後ろめたさは、専業主婦になったばかりのころの感覚に似ている。

「何とお呼びしましょうか」
 会話に入る前に、わたしはいつもこの時間だけの呼び名を聞く。単純にアカウント名の人もいれば、実際の名字や下の名前を名乗る人もいた。
「ひまりです。小学5年生。敬語じゃなくていいですよ。ひろせさん、年上だし」
 話し方が大人びている。きちんとしているのに、やはり声の高さが年齢相応でちぐはぐとした印象を受ける。
「わかりました。では、ひまりちゃん、今日はどんなことを話したい?」
 すると、これまでとは打って変わって、彼女は目を画面から離した。話す内容を考えているのか、言い出しづらい何かがあるのか、表情が乏しいために分かりづらい。

「……そういえば、こんなこと聞くのもあれだけど、お金は大丈夫?」
 途切れた会話を立て直すように、わたしは彼女に声をかけた。誰に聞かれるでもないのに、ひっそりとした声で問う。
「大丈夫です。親からクレジットカードを渡されているので。好きに使っていいって」
 彼女は再びこちらに視線を戻し、支払いについて淡々と話す。彼女、あるいは彼女の家族にとっても、まるで取るに足らないことのようだった。そして以前も誰かに聞かれたことがあるような流暢さだ。わたしはあえて深く追及せず、相槌を打つに留まった。
「わたしが小学生のときは、クレジットカードの使い方なんて分からなかったよ」
「別に難しくはないですよ。番号入力するだけだし」
 あはは、と雑談を混ぜながら場の空気を作ってゆく。


 再び会話が途切れたとき、彼女は自らから口を開いた。
「学校って、行かないといけない?」
 突然、雷に打たれたような衝撃を受ける。子どもらしい声がスピーカーから響いたのだ。甲高い声音からではない。細い線のゆらゆらと揺蕩う様が、声の抑揚に乗って見えた。

「どう思う?」
 平日の日中に子どもが現れた時点で察するものはあった。――学校に行っていないのかもしれない。そうだった場合、オンライン上での雑談で何ができるのか。彼女は何を期待して予約を取ったのだろうか。

「質問に質問で返さないで。うざいよ、ひろせさん」
「ああ、ごめんね」
 油断していたわたしは、彼女の反撃にまんまと怯んだ。いかにもませた小学生の女の子といった返しに、後を追って微笑ましさがやってくる。
「学校ってさ、色々あるんだよね。ひまりちゃんの学校はどんなところなのかなって思ったの」
 一方で、もっともらしい言い訳を瞬時に思いつく自分に白ける。年を重ねていた。

「国際バカロレアPYP認定校」
「なにそれ」
「知らない。でも、海外の大学に行きたいときに有利なんだって」
 聞きなれない文字列に、わたしは急いで別窓で検索エンジンを開いた。表示された検索結果には、「スイス・ジュネーブで設立された国際バカロレア機構は、……」「国際人としてのコミュニケーションを……」「PYPコースは、3歳から12歳の児童を対象にした一貫プログラムで、……」など難しい話が並ぶ。

「今調べてみたんだけど、『世界共通のパスポート』って書いてる。すごいね」
「別にすごくない」
「こういう学校に入れるってことは、ひまりちゃんは英語が得意なのかな」
「昔からやってるだけ」
 彼女は、それとなくすべての言葉を避けて歩いた。

「英語が得意なら、どこにでも行けるよ。わたしは日本語しか話せないし、ろくに海外旅行もしたことないからなぁ」
 わたしは英語を話せない。たいした努力もしてないが、義務教育に英語が入る前だったし、海外旅行の経験も近隣のアジアのみでここまで来た。
 しかし今は国際色豊かな学校が出てきて、こうして『世界共通のパスポート』などと冠されるプログラムが日本でも学べるようになってきている。
 悠長にわたしが世代の違いに感嘆していると、彼女は吐き捨てるように言った。

「小学校も行けないのに、どこに行けるって言うんですか」

(第四話へ続く)

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