見出し画像

お仕事小説部門|「あなたの話し相手になります。100円/分」第四話

「どうして行かなくなったの」
「理由、聞きたい?」
「うん、でも嫌なら言わなくていいよ」
 慎重に会話を進める。彼女は泣くでも怒るでもなかった。頬はぴくりとも動かないまま、平気な顔で話を続ける。

「特にないです」
 え? と、わたしは思わず声を漏らす。
「理由はないです。っていうか、分かんない」
 彼女は念押しするように、もう一度言った。わたしは「そうなんだ」とだけ言って、まず一度話を受け取る。
「はい。勉強もついていけるし、友達も幼稚園から一緒の子が多いので、困ってない。先生はふつう」

「じゃあなんで」
「だから、分かんないの」
 わたしはハッとして、なんで、と口にしたことを後悔した。あまりに短絡的だった。そんなことは、彼女が一番感じているはずだ。
 ひとり反省に耽っていると、彼女は珍しく話を続けた。
「不登校の理由を調べてみたんです。どんな理由があったら学校にいかなくなるのかなって」
「すごい! 行動派だね。それでどうだった?」
 彼女に質問しながら、並行してわたしも手元で調べる。すぐに出てきたのは、児童精神科のクリニックやNPO法人が不登校について解説するページだった。
「えっと、先生や友達と合わなかったり、勉強についていけなくなったり。親と離れるのが不安だったりする子もいるみたい。あとは、単純に生活リズムの乱れ。寝るの遅い子とか」
 彼女が言った内容は、おおよその原因を網羅していた。
「ひまりちゃんはそのどれでもないのか」
 この時間帯に起きていれば、おそらく生活リズムに難はない。両親は今仕事へ行っているようだし、分離不安もなさそうだ。人間関係も彼女の言葉だけを信じれば大きな問題はない。ただ、この手の話で本人の話だけを聞くことは果たしてどれくらい有効なのだろうか。

 すると、彼女は新たなワードを口にした。
「わたしは無気力型」
「無気力型?」
「そう。お父さんも言ってた。泣いたり暴れたりしない、家で好きなことをしてすごすタイプなんだって。だからクレジットカードを渡されたの。ふたりは仕事があるし、わたしがお金を使いすぎないことも知ってるから」
 わたしは眉をひそめ、彼女の目を見ながらうなだれにも近い返事をした。話を聞いているよ、と伝えるため、真摯に目を見て話すが、いかんせんわたしの頭には無気力型の不登校児の情報が一切なかった。
 「ちょっとわたしも調べてみるね」と言ってから、再びキーワードをキーボードで打ち込み検索をかける。
 いくつかのサイトを流し見すると、扱いが難しいパターンということがわかった。
「『大人の意見を押し付けず、本人を尊重』……かぁ」
「ひろせさんでも難しいの?」
「わたしはお医者さんやカウンセラーの先生ではないからね」
「そっかぁ」

 話を聞けば、彼女は月1回、児童精神科のクリニックでカウンセリングを受けていた。カウンセラーの先生と絵をかいたり工作をしたりしながら話をするらしい。日によってやることは変わるが、何度通っても彼女が変化を感じることはなかった。

 この雑談サービスを申し込んだのも、「もう違う人と話したくなった」という理由だった。「カウンセラーの先生と遊んでる時間は楽しくないわけじゃない。けど、何を見られているのかなって思うとあんまり」と話した彼女に、わたしは普通の女の子の気配を感じた。


「行きたいところってある?」
 咄嗟の違う話題に、彼女はぽかんとした。数秒考えるそぶりをして、上を向いたり下を向いたり瞳と首を忙しなく動かす。
「うーん、思いつかないです」
 頭の中で、彼女の中からあとひとつ何か引き出せないか模索する。これまでの彼女は知らないが、無気力と言われていた彼女が今ここに「変化」を求めにやってきたのなら、何か引っ掛かりを見つけられるはずだ。

「やっぱり英語は得意なの?」
「人並みには。でもみんなできます。海外出身の友達も多いし。ミックスだって」
「ミックス?」
 わたしはまたもや頭の上にはてなを浮かべた。
「親の片方が日本の人じゃない子。知らないの?」
 ああ、と遅れて理解したわたしを、彼女は怪訝そうに見る。
 言葉はどんどん変わる。以前はハーフという言葉を耳にしたが、ハーフよりミックスの方が確かに本来言い表したいニュアンスを適切に表現できている。
「国際人だね、ひまりちゃんは」
 笑って自分の無知を流そうとすると、彼女は表情も変えず、「ふつうです」と言った。
 わたしは「そんなことないよ」と返すために躍起になって言葉を調べる。すると、なんと「ハーフ」という言葉は今や差別用語のひとつだった。
 胸のあたりがひんやりとする。ぼんやりしていると、こうして日本語すらも怪しくなっていく。

「ひまりちゃんは、海外出身の友達やミックスの友達に囲まれているから、自分の凄さが感じられないのかもよ」
 それは素直に感じた言葉だった。謙遜でもなく、変に持ち上げるでもない、純粋な感想だ。
「今の時代、みんな話せます。わたしみたいな親が両方日本人で、英語も幼稚園の最後から始めたような子どもはどうやったって敵わないんです」
 評価すればするほど、彼女はどんどん自信を失くしていくようだった。
「大丈夫だよ。小学生ですでに英語ができるんだから、これからもっと上達するだろうし……」
「無理です。もう発音が違うんです。手遅れです」
「手遅れって!」
 彼女との時間の中で、言葉をいくつ検索したか分からない。彼女がわたしの想像を絶するほどのハイレベルな空間で日常を過ごしているのだろう。「手遅れなんてことないよ」と言おうとしたとき、彼女はやけに落ち着いた口調で話をした。

「聞いたら分かります。舌の動きがまるで違うんです。やっぱり家で英語を使って会話している人には敵いません。だってこれまでの数が違うんですよ。これからもです。わたしの親は日本語しか話せないですし、多分これからも一生そうです」

 わたしが知る小学5年生は、そこにはいなかった。

(第五話へ続く)

▼全話収録のマガジンはこちら


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?