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お仕事小説部門|「あなたの話し相手になります。100円/分」第八話

 子どもが幼稚園に行っている間、わたしは平均2件/日の雑談を受ける。
 まったく予約が入らないときもあれば、急遽続くときもあった。今のところ、固定客が3割、飛び込みの客が7割といったところだ。

 こんな平日の真昼間に時間がある人には、ろくでもないやつもままいた。
 ちょっとお酒が入っていることも珍しくない。頭が悪いから話が合わないなどと一方的に怒鳴られ切られることもあった。
 また別の日は、紳士的だと思われた男性から「おっぱい見せてよ」と言われる始末。そして昨日の最後の予約は、ビデオチャット開始早々に、画面いっぱいに自分の陰部を見せてくる人だった。
 そんなときは事務的に説明をしてから切ってしまう。サイトの運営に通報すると、1分も話していないのに予約されていたコース料金がまるっと入金される。儲けものだ。

 立派な性犯罪だが、この仕事を続けていると変質者は一定数出会ってしまう。さっさと切って、そしてお金が満額もらえれば、まあいいか、としてしまっている自分にも、画面越しに揺れていたソレと似た嫌悪を抱いた。




「えー、ちんちんはだめでしょ」
「何だってだめですよ」
「大変だね、意外と」
 今日の1件目は信二さんだった。
 彼は週1~2回ほど予約を取ってくれるお客さんだ。30分のときもあれば、1時間のときもある。ただ、前回の予約から3週間も開いていた。少々きつく言いすぎてしまったかと、わたしは家事の合間も何度か彼のことが頭をよぎった。

「最近はお忙しかったですか」
 今日は30分の短いコースの予約だった。
「ちょっとね」
「気を悪くさせてしまったかなと、ずっと考えていたんです」
「廣瀬ちゃんにずっと考えてもらってたなんてな」
 へへ、と彼は以前と変わらない顔をして笑った。わたしが「ちょっと気持ち悪い」と言うと、彼は輪をかけてどっと笑った。


「実は断酒会に行ってみたんだよ」
「断酒会?」
「そう。アル中の集まり」
 彼は新たな一歩を踏み出していた。断酒会とは、お酒をやめた人や、やめたい人がざっくばらんに話す会のようなものだ。以前から主治医からすすめられてはいたが、気乗りしなかったらしい。そして今回、彼はやっと見学に行く気になったのだった。
「いいですね。同じ悩みを抱える人は多いでしょうし。それに実体験に基づいたアドバイスももらえそう!」
「そうなんだよ。そのお陰か、今禁酒して15日目。どう? すごいでしょ」
 わたしは彼の変貌ぶりに驚きを隠せなかった。わたしが言葉を失っていると、彼はニヤリとして言った。
「それに、道も変えたよ。キャッチに捕まらないし、案外面倒でもなかった」
 彼は気恥ずかしそうにしながらも、こちらをまっすぐに見つめていた。



「俺はね、木を見ることにしたの」
「木?」
「そう、木!」
「それって、森を見た方がいいんじゃ……」
 わたしは、彼の言う「木」の意図がいまいち分からなかった。

「いやいや、俺が全体を見たら死んじゃうでしょ。40代、独身、もちろん子なし。契約社員、アル中!」
「別に、信二さんの構成要素はそれだけじゃないですよ」
 言葉を並べている最中の彼の顔が面白くて、わたしは思わず吹き出した。それを見て彼も顔が綻ぶ。
「でも今日だけ見れば、『ガールズバーに行かなかった』とか、『家でもお酒を飲まなかった』とか、俺にも褒められる部分が出てくるわけ。それってすごいことだろ? 本当は褒められたもんじゃないのに」
 彼は以前より体調を持ち直していた。素人目から見ても、元気になった。


「むなしくならないですか」
 わたしは、彼に甘えていた部分があったのかもしれない。
「わたしは『排水溝まで綺麗に掃除できた』『ちょっと手の込んだ料理が作れた』とか、小さいことを褒める自分が陳腐に思えてできないんです」
 彼は突拍子もない告白に心底驚いた様子でこちらを見ていた。

「案外、豪快なふりして潔癖なところあるよね」
 彼は頬を掻いて、考えるそぶりを見せた。

「廣瀬ちゃんは、色々やった方がいいよ。家で主婦してるのも、フルタイムでせかせか仕事に生きるのも違う。どっちもやる! 半々で」
 彼は右手の人差し指を天に向け、わたしに説いた。
「子どもが幼稚園なんです。小学生にあがっても午前で帰ってくる日もあるし。案外、女の人は子どもが大きくなるまで家を開けられないものですよ」
 ひと昔前の話をしているような錯覚に陥る。これが現代の話には到底思えない。女性の社会進出も、多様化したサービスも、どれも一部の世界の人の話だった。

「でもどっちもやらないと気が済まないタイプでしょ。そういう人はお金に困ってなくても働こうとするし、だからといって子どもに放任ってわけでもない。パンクするか、超人になるかだ」
「わたしは……」
 仕事を辞めたときのことを思い出しながら、「パンクする方かな」と言いかけたとき、信二さんが言葉を重ねた。

「どっちだとしても、やるしかない。それがあなたの生き様なんだから。そう簡単には変えられない」

「だから覚悟するしかないね」
 信二さんは漂っていた辛気臭さを、今までにないほど豪快な笑いで吹き飛ばした。

「この前と逆ですね」
「あはは、そうだ。色々お母さんは大変だと思うけど、廣瀬ちゃんも頑張ってよ。俺も、何度でも訪看さんに怒られる覚悟を持つから」
「そうじゃないでしょ」
 わたしたちの間の雰囲気は戻っていた。

「じゃあ今日は夜勤だから、日中少し寝るよ。じゃあ」
「お仕事がんばってください。では、また」

(第九話・最終話へ続く)

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