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【文藝春秋×note応募作】アサガオに二度、水をやる

2歳の娘が初めて植えた植物はアサガオだった。
保育園で種を蒔いた。先生は熱心にその様子を教えてくれる。
種のサイズは、幼児の小指の爪よりさらに小さかった。それを握る娘を想像し、もう簡単には物を口へ入れなくなっていたことに気づく。


アサガオの苗は、梅雨の時期に我が家へやってきた。まとわりつく湿気を振り払いながら、リング支柱を取り付けた大きなプランターへ移す。

梅霖は今年も駆け足だった。季節の移ろいとともに、娘も少しずつ変わった。
「おかーたんがおみずやって」と言うようになったのだ。
滑舌の成長と思考の成長は一致しない。舌足らずの可愛らしい声で、一丁前なことを言う。そんな娘はどんどんできることが増え、今月はソフトブロックで城を作ることに忙しい。

「何言ってんだよ、一緒にやるんだよ!」と、口の悪いわたしが喉元まで駆け上がってきた。それをぐっと押さえつけ、「おいで。一緒にやるよ」と母の声で娘を諭す。



今日の暑さばかりは敵わないぞ、と思ったある昼下がり、わたしはベランダに置いていたアサガオを覗いた。
アサガオの葉に朝の活気はなく、くしゃりとしなっていた。根元の土を見るとぱさぱさに乾いている。

わたしは急いで二度目の水をやった。
100均一のゾウさんジョウロを持つ手に、ほんの少しだけ躊躇する。わたしは、植物に水をやりすぎて根腐れさせてしまう小学生だったのだ。
ワイルドストロベリーが流行った平成の半ば、わたしも流行りに乗り実家のベランダで育てようとしたが、どうしてもだめだった。

そうして飛び出した先は外だ。
北の地も、当たり前に夏は暑い。グランドや河川敷で、汗をにじませながら思う存分に走り回った。

しかし今は、庇や日よけネットを取り付けないと子どもは外で遊べないことが増えた。
まだ初夏だというのに、保育園の連絡帳には「今日は暑かったので、室内遊びをしました」とポップな絵文字とともに書かれている。

子どもが走り回れない屋外なんて、と思いながらわたしはアサガオに水をやった。
わたしがあげても、もうそう簡単には根腐れしないのだ。そんなもの、異常事態に他ならない。


保育園から帰ってきた娘に、葉っぱの元気がなかったため再び水をやったことを話した。

「ありがと!」と、さっぱり言う娘。
きっとお通しをサービスしてくれた、くらいにしか思っていない。

その瞬間、「ああ、これなのか」と、わたしは自身がなすべきことを理解した。

(了)
991字


テーマ:「目標13:気候変動」に対しての教育

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