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#03 INTERVIEW アートディレクター/市川亮太

“Life is a series of choices.”
3.11の年から始まった東京、 市川亮太の“選択”とは?



はじめに。

今回は社内編、同期のアートディレクター・市川亮太さんをご紹介。38歳・静岡県出身の彼は昨年、私と一緒にこのgrand designに入社した同期。
実は、このインタビューは第一回目に協力頂いたSAM(※第一回目 インタビュー『SAM』: https://note.com/grand_design/n/n7aabe7c4a05c?magazine_key=m27f641f1bad0) さんからのリクエスト。
『とっても優しい人のイメージの人です。こんな、お父さんだったらいいなぁって思ってました。しゃべる機会がないから、彼を知りたい!』
そう言われ、市川さんへインタビューをご依頼することに。さて、彼の歩んだ人生とは?


デザインの道を選んだのは、学生の頃のレコード集めがきっかけ。

まずは、彼がデザインを志したきっかけから。
「高校のとき、友達の間でレコード集めが流行ったことがあったんです。それを見て、僕もそれを真似てレコード集め始めました。なんかレコード持ってることが、カッコイイなと思って(笑)。そこから音楽自体も好きになって、そのあとはそのレコードジャケットのデザインに興味が出てきたんです」
──そうなんですね。一番印象に残っているアーティストのジャケットはありますか?
「New OrderのBlue Mondayです。型抜き加工がしてあり文字情報の一切ないレコードですが、中古レコード屋さんで異彩を放っていたのを強烈に覚えています。」

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──ほんとにかっこいい! レコードのジャケットデザインを筆頭に、音楽ってグラフィックデザイン含めファッションなどの文化に強く影響を与えた歴史があるんですよね。名盤と言われるレコードやCDは、そのデザインも名作だと聞いたことがあります。
「はい、まさに影響を受けた1人ですね(笑)そして多摩美術大学を受験しました。父は銀行員で固い仕事だったから、とても反対されましたけど(笑)。それを押し切って入学しました。」
──なるほど!たしか、SAM(※第一回目note参照)のお父さんの銀行員でした(笑) 大学時代もまだ音楽好きだったんですか?
「好きでしたね!サークルではジャンベ(民族音楽楽器)を弾いてました。」


大学進学を考えてる人へ。「自学」の習慣をつけること、一生学び続ける姿勢を大事にしてほしい。

──大学を有意義に過ごせたのですね。美大を目指す人なら、誰もが憧れる大学ですし、羨ましいです。
「いえ実を言うと、3年目に大学を中退しました。入学して、美術を学び、そのうち僕は、大学へ行ったらなんとかなると思っていた自分がいたことに気づいたんです。周りが全てを教えてくれて、導いてよくれるものなんだと。でもそうじゃなかった。そして、だんだんとまわりと自分を比べてしまい、つくることにコンプレックスを抱くようになってしまったんです。」
──そうなんですか・・・難しいですね。大学自体、どういうところなのか行ってみないとわかりませんしね。
「近年は、物理的に大学に通えない方が増えてるそうで、大学の意義を今まで以上に問われている時代になってきたと感じています。
大学進学するにしても、しないにしても、やめるにしても、身近で気になった小さな事からでも良いので「自学」の習慣をつけることが大事なのではないでしょうか。それはたとえ今、秀でていなくても、一生学び続ける姿勢があればより良い生き方ができると、僕は考えています。それがこれから学びたいと思う人たちにとっての「学問」であって欲しいですね。」


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そういえば以前、大学中退した人のブログを読んだことだある。
『『なぜ大学をやめたの?』とよく聞かれるが、逆に僕は『なぜ大学に行ってるの?』と問いたい。』という記事だった。目標とビジョンがあって日々を過ごしているのか?大学にいく価値を理解しているのか?
目標やビジョンもなくただ大学にいるだけでは意味がない、と彼は主張していた。おそらく彼も同じような考えにぶつかり、中退を決心したんだろうと思った。
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それでも諦められなかった、デザイン。


「そして地元に戻りました。でもやっぱりデザインの道に進みたくて、美術やデザインに関する仕事を探しました。」
まずはフリーペーパーの制作会社に入社し、編集兼デザイナーを2年経験後、印刷会社の制作部に所属。そこでDTPを6年経験を積んだという。
「そして音楽もやっぱりまだ好きだったから、合間にクラブでVJしてました。ちなみに、そこで奥さんと出会ったんですよ(笑)。」

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※実際の当時の動画。

──VJ? 多才!いつかイベントで是非みせてくださいね(笑)そして2011年、東京へ再就職することを決めたのですね。
「はい、2月頃に当時の会社に退職届を出しました。」
2011年。そう、あの震災の起こった年だ。


2011年。東日本大震災の年に上京。
“もし今日死ぬとしたら、このままで終わるのは嫌だ” そう思った。


彼が東京に来たのは2011年。東日本大震災の年だ。
すこしだけ、当時のことを思い出してほしい。
東日本大震災、マグニチュード9.0のその地震は、日本の観測史上最大規模であったという。今年で9年が経ったが、あっという間に都市や車を飲み込んでいく津波。当時のその映像はとても衝撃的で、今でも鮮明に覚えている。大津波、火災、福島原子力発電所の事故が伴い2万人以上もの人が犠牲になった。当時、コンビニでは食料がいっさいなくなり、被爆の情報で、東京を脱出する人が増えた。


地元静岡でも地震の揺れはすごかったという。
だが、彼は東京へ行く決断を変えなかった。
──まわりのご両親や友人の方にひきとめられませんでしたか?なにもわざわざ今年、東京に行かなくてもいいんじゃないか?と…。
「もちろん皆に引き止められたけど、このまま何もせずにとどまるより、もう一度挑戦したい。それで東京に戻ってきたんです。」
私の問いに、彼はそう静かに答えてくれた。
上京後、短期で派遣をいくつか経験した後に不動産系の制作事務所へ就職。その後、印刷会社のクリエイティブ部門へ、そこでは主に国内の時計メーカーの販促ツールやカタログの制作を担当。
勤めた6年、スキルだけではなく、様々な経験が出来たという。世界最大の時計・宝飾新作見本市「バーゼルワールド」の現地のスイスへ出張したことや、いま彼の一番の取り組みの1つとも言える『欧文組版』と出会えたことである。


人生の転機は『欧文組版』との出会い。


前職のクライアントと、飲みの席でちらりと話題にあがった『欧文組版』のセミナーがきっかけだったという。
「セミナーに行ったことがきっかけでした。皆気にするのはメインのビジュアルで、欧文については、誰が気にするわけでもない場所だったりする。その皆が何となくで済ましてることを、つきつめてみたい、と思ったんです。嘉瑞工房の髙岡昌生さんと、そこで出会えました。人生の転機にも思えます」

セミナーの内容は以下の通り。

第1回 オリエンテーリング『欧文の基礎Ⅰ』
歴史から、用途から、成り立ちから書体や書体選択の方法を学ぶ。
第2回 『欧文の基礎Ⅱ』
欧文の使い方を学ぶ。イタリック、スモールキャップ、数字、イニシャル、大文字表記など。欧文の基礎Ⅱ』欧文の使い方を学ぶ。イタリック、スモールキャップ、数字、イニシャル、大文字表記など。
第3回 『欧文組版の基礎Ⅰ』
組版形式、インデント、コラムの切り方、イニシャル、ハイフン、引用符、記号など。
第4回 『欧文組版の基礎Ⅱ』
和欧混植・合成フォントについて、「使用サイズ感とオプチカルサイズ」、日本語版から英語版をつくるさいの注意点、短文の改行位置など。
第5回 書体の選択方法(準備と練習)
より高いレベルの欧文組版。組版を磨き上げる心を学ぶ。
第6回 『欧文組版の応用Ⅱ 課題から組版の見る目を養う』
※引用 https://typography-mag.jp/news/660/


「少人数で年齢も経歴も違う、欧文組版に興味を持つ人が集まってのセミナーは、全体を通して学校みたいな雰囲気で好きでした。特に印刷博物館で活版印刷の実習をした回(今回のオンラインセミナーでは感染予防のため無し)では、やったことのない1文字ずつの文字詰めが難しくて楽しかったです。」


──ありがとうございました。いろんな経験を積んできてるんですね。一番意外だったのは、クラブでVJしてたことと、奥さんとそこで出会ったことです!支えてくれる誰かがいることは、励みになりますよね。
「うまくいかないときも、妻と子供がいてくれたから、やっていけたんだと思います。いつも感謝しています。」
守るものがあって、きっと人は強くなるのだ。そしてそれらが、実は自分自身を支えてくれたことも気づいたときに更に強くなれる。

ここでちょっとだけ、“自主性”について考えてみた。


『選択の科学』という著書で有名な、シーナ·アイエンガー博士という人がいる。TEDにも出演し、何年か前にすこし話題になっていた方だ。彼女の研究の1つに、白人系とアジア系米国人の子どもたちに実験協力してもらったものがある。その実験結果についてこう彼女は主張している。


(アジア系米国人の)二世である子どもは選択において、彼らにとって選択とは個性の明示や主張の手段だけではなく、信用し尊敬するひとたちに選択をゆだねることで社会や調和を築く手段でもある。大切な人を喜ばせることは自分自身ののぞみを満たすことに匹敵する。言葉を変えれば個人の選択傾向は特定の人の望みによって形成されているのだ。※シーナアイエンガー氏TED動画より引用

自分で考え、自分で決めて、自分で行動していく。集団行動を重んじるこの国では、そのような行動をする人はすこし浮いて見えたりする。
上記でアイエンガー博士が言うように、我々日本人はその自主性がかなり弱い傾向にあるように思う。とっても真面目だけど、良くも悪くも受け身主義な国民性だ。

ちなみに近年、決断力のない子供が増えている、という。親が子供の進学、就活に深く関与していることが関係している。
就活については、内定後でも親の反対で辞退するケースが増えていることから、「オヤカク」を取り入れる企業もあるという。「オヤカク」とは、会社資料や手紙を “親に” 送付したり、電話や直接訪問して “親に” 挨拶をしたり、“親に” 同意書をもらったりと、親の納得や承諾を確認することを意味するという。親の言うがまま、そのとおりの人生を送る。子供の人生を親が決める。“親孝行“という錯覚を起こしそうな言葉だが、それは違う。ただ流されて生きているだけだ。

彼もそういう選択も出来たはずだ。皆に流されるがまま、何も考えずに大学に在籍し、卒業することも出来た。
そうはせず、自らの意思で、人とは違う道を選んだ。
そして、2011年。
日本中が大地震に恐怖したあの年。東京でもいつ起こるかわからない、と騒がれていたあの年に、彼は東京へ戻ってきたのだ。
『このまま死ぬくらいなら・・』その強い意思が、今の彼をつくったんだと思う。


おわり

話を聞いた彼の住む飛鳥山公園は、とても静かで落ち着いた場所だった。
風が吹く音。公園で遊ぶ子供の声とお母さんの声。
私の質問に耳をかたむける市川さん。
物静かで、1つ1つ物事を丁寧に考えるのが彼の素敵なところだと思う。誰かに、周りに流されない強さ。そしてそれは家族の支えがあってこそのものでもあった。

彼は今、大手電気メーカーの海外カタログ業務を行いつつ、自主プロジェクトの動画撮影チームの一員も担っている。とてもやりがいがある、と彼は嬉しそうに言った。まるで遠回りをしたようにも見える彼の足どりだが、誰の人生にも近道はない。VJだった経験や学んだ欧文組版は彼の糧になり、強さになって、生かされていくんだろう。

彼の活躍を今後も見守っていきたい。
まだ、彼の人生はスタートしたばかりなのだ。


市川亮太 PROFILE
多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科 中途退学
出身 :静岡県静岡市/生まれ:1982年 /好きな色:ビリジアン/好きな映画:Into the wild,、127時間、エベレスト/これに出会えてよかったと思う分野やジャンル:タイポグラフィー、VJ、ゴッホ /好きな時間:キャンプで焚き火を眺めてゆっくりする時間。
RYOTA ICHIKAWA note:https://note.com/grand_design/m/m45bd4258563f


来月もよろしくお願いします。



過去インタビューはこちら。よければご一読くださいませ〜


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