幸せに耐えうるための日常の脱構築

無際限の不幸に耐えるためには日常を取り壊さなければならない。

それは全てを創作物に作り替えることである
それは全てを包み隠さず書くことである

おそらく人の過去など語るに値しないもの
これらは全てフィクションか

フィクションを書けば書くほど、人の未熟さは露呈する
想像力は経験に比例する

ストーキングについて
15歳までにストーキングを受けた経験は二回ある。僕の恋愛はそれによってどんな進路変更を余儀なくされたのか、知る由はあるのだろうか。

一つは小学生の頃、相手は内気な同級生だった。覚えている限りの経験した内容を書き出してみる。
、常に視線を向けてくる。相手から話しかけてくることはなく、こちらから話しかけると、視線を落とし俯くので話ができない。
、常に視界に入る距離にいる。学校集会や、クラスの整列の際には必ずと言っていいほど、僕の隣を歩いていた。また、僕と同じグループに入ってきた。歩く歩幅をそろえ、時々こちらを盗み見ることが続いていた。
、単純な接触回数がとても多かった。体がぶつかったり、手が触れたり、のちに意図的だったことが分かった。


上記のようなことが続いていれば、だれだってその好意と不気味さを感じるだろう。ぼくや、僕の友人も例外でなくそれに気づいていた。それを知ってもなお彼女はやめず、僕のフラストレーションは増していった。
 

小学校高学年から始まり、卒業まで続いたその行為だが、そこまで長引いたことにはいくつかの理由があった。
ひとつには、彼女にはこちらと話す意思があまりなかったことだ。話しかけても言葉がどもってしまうし(彼女は吃音症だった)、その状態が続くと泣いてしまうほど気の小さい子だった。
もうひとつは、同級生による冷やかしのせいだ。誰でもすぐにつき合わせたがる彼らは僕が彼女と距離を置くことを良しとしなかった。二人組になる際には、必ず僕と彼女のペアができるようになっていた。運動会、委員会、サークル(のようなもの)……
さらに言えば、僕が抱いていた嫌悪感はうまく彼女には伝わってなかった気がする。なにしろ目が合わなかったのだから睨むこともできない。

二つ目のストーキング行為は中学1年生の終わりから始まった。
その子は同じクラスになった転校生で、家がまあまあ近かった。僕は彼女に対して親切であったはずだ。何人かのグループで彼女のうちに遊びに行ったり、夜遅くに出かけ肝試しをしたりと仲が良かった。そのグループが崩れ始めたのは恋愛関係によるものだった。
 僕は次第に彼女のことが好きになっていった。というのも彼女のほうも僕に気を許してくれていたし、時々好意を向けるようなこともあった。子供時代の恋愛は大体が分かりやすいものなのだ。しかし、僕はフラれた。その時は半ば周りにおだてられ、電話越しで告白してしまったというのもつく加えておく。フラれた際に僕が彼女に言われたのは、あなたのことを好きな子が他にいて、彼女の手伝いをする約束をしてしまった、だから付き合えない。というものだった。その子というのは小学校時代の先ほどの子であったように覚えている。
僕はそのあとかなり落ち込んだ。好きでもない子(いや嫌いだった)との仲を取り持つがためにフラれるやるせなさ。もちろんそれは彼女の口実なのだろうけど、素直にフラれるより深く傷ついた。

しかし、その後僕はフラれた子から何度か連絡をうけ、また遊びに出かけるようになった。といっても学校では話もしないし、月に一度遊ぶかどうかぐらいだったが。告白もしなかったので付き合ってはいなかった。
 

しばらくして突然、彼女からリストカットの写真が送られてきた。その腕は彼女のものではなかった。記号的で、なんらかのメッセージに過ぎなかった。僕にできたことはただひとつ、心配しているというメッセージを送り返すことだった。

それから、彼女は自傷行為の写真をネットで拾っては、僕に送るということを繰り返すようになった。たとえ彼女自身の傷ではなくとも、彼女の心が病んでいることは明白だった。彼女は学校を休むようになった。本当なら、僕は彼女のうちに行って話をすることもできたのだが、僕はそれをしなかった。理由は思い出せない。ただ、彼女に好意を持っているということを知られるのが恥ずかしかったのか。それとも、自分に責任があるように感じて、彼女と会うのが怖かったのか。彼女とはもう連絡を断ち切りたかったのか。次第に彼女からの連絡も減り、僕も機種変更と同時に連絡先がすべて消えしまったので、それからは一切の関わりがない。
 
そのあと僕も、理想と現実の埋めがたい差に。両親の狂気やおかしさによって自身の精神を病むことになった。彼女の影響をどれくらい受けたのか、自分では知ることはできない。自傷行為、拒食、過食嘔吐、喫煙、飲酒、施設にも通った。そこで見たのは、リストカットや瀉血によってところどころ黒ずんだ腕。過食嘔吐のせいで扁桃腺だけが異様に目立ち、手足には全く肉がない骨のような体。
付け加えておくと、実際にはそこまで狂気は感じられなかった。それに、彼らのしていることは、はたから見れば異常だが、本人からすればなんの造作もない反復作業だった。

そこで学んだことだが、彼らが行う自傷行為は自殺とは目的が違う。自殺は救いのない悲しみに駆られ、この世をさろうとするものだが、自傷行為はそれ自体が一時的な救いなのだ。フロイトでいえば人殺しの夢を見るように、行動心理学でいえばシャツの襟を正すしぐさをするように、自傷行為は自分の変化を望む(もしくは過去の自分と決別を付ける)無意識的な行為、又は儀式なのだ。

自傷行為の際の苦痛は脳内のホルモン(脳内麻薬)によって静められる。
それは快楽をもたらすものであるから、当の本人は気づかない間に薬物中毒者のようになってしまう。治療者は依存行為にこそ目を向けるべきである。

また患者は、いずれも依存行為に悩まされる(駄目だとわかっていながら、無意識的にそれ等の行為を求めてしまう自家撞着の)被害者である。

 と、ここまで書いて(タイプしてというべきか)僕はパソコンに向かい合うのをやめた。デスクの上の四角いデジタル時計が目に入る。02:32。ついで右腕につけているレザーの腕時計を見る。03:22。はっきりとずれている。しかし、今の僕には時間がずれていようが(それは体内時計が?)いなかろうが関係がないことだ。前に僕が目を覚ましてから、たぶん4回太陽が沈み、3回太陽が昇った。それが今の時間だった。

ふと、人はどのくらいの期間眠らずに過ごせるのかと考えることがある。かつてオアシスのボーカルはクリスタルのせいで、不眠のまま一週間を過ごし、ライブをしたことがあった。つまり、まだ僕は生きられそうだ。安堵。

さて、夜が明けるまでどう過ごそうか。およそ今現在、考えられることと言えば、首のあたりを突き刺す痛みだけ。何気なく指でその辺りをさすると、自分の皮膚がすこしざらざらしていることに気づく。押してみると筋肉の収縮と鈍い痛みが遅れて届く。少しずらすと骨。明らかに垂直ではない方法で僕の体に吸収されている骨。さらに動かした途端、激しい痛みが波打って脳内に届く。ここはいったいどこなんだろうか。思考を巡らせようとするも、血流が、脳が、何かにさえぎられているようで何も浮かばない。仕方なく僕は考えるのをあきらめる(それしか方法はなかったように思える)。指を首元から離す、血液が流れを速める、その瞬間私は別の世界に取り込まれる。脱自の感覚。

そういえば前にも一度、不眠症を患ったことがある。医者からはストレス性の適応障害だと診断され、処方された薬を飲んでいた。長時間型の睡眠薬で半減期を迎えるまでに24時間かかるものを毎日飲む。最初の一週間だけは快適だった。寝ている間に何者かによって僕が作り替えられていく感覚。時間の流れがとても急いでいく感じだった。10日目あたりを過ぎたころ(それは僕の感覚で言ったらまだ4日程度のものだったが)再び、僕は全く眠れなくなった。ベッドに仰向けになり、何も見ずに天井だけを視界に入れる7、8時間。暗く憂鬱で、体が布団に押しつぶされている感覚。全て表面下で動いているのは、僕の意思に反する僕。眠らずにいることを嬉しく思う僕。脱自の感覚。

そこまで考えて、僕はある程度の時間が経ったことに気づく。たぶん4回太陽が沈み、4回太陽が昇り始めている。それが今の時間だった。

イスに座ったまま脚を組みなおす。首を回す、瞬きをする、右手首をさするキーボードに手を置く。続きに取り掛かろう。はて、僕はいったい何を書いていたんだろうか。

思えば僕は環境が変わるたびに性格を全く取り替えようとしている。小学校から中学校へ上るときは(すぐ隣に校舎もあり、友人もそんなに変わらなかったが)名前の呼びが変わった。中学は少しやんちゃな時期もあった。中3で通院を経験し、付き合っていない子と初めてした。それが嫌になって高校では普通であろうとした、というより元々なんの特出した特技もなかったし普通が性に合っていたのかも。高校に入ってから初めて付き合った子とはとてもプラトニックな関係だった。その子に対して僕は結構な数の嘘をついた。お互いのために、というのはずるいのかもしれない。しかし、ついた嘘を自白することは今後ないだろう。彼女は永遠にそれを知る機会がないだろうし、勝手ながらそれで良いと思っている。本当に勝手だが、彼女はそれぐらいの関係を求めていたんだと思う。承認欲求のはけ口。悩みを言える相手。自分を大人っぽく見せてくれる相手。


キーを打つ手を止める。いまの時刻は?
再び僕は痛みのある世界へと巻き戻される。反脱自の感覚。
時間性、もはやそんなものフィクションである。脱自の感覚。 
文章、あるいはフィクションでしかない。脱自の感覚。

いぬのさんぽをしなければ。僕は立ち上がり、重たい頭を揺らしながら、外に出る準備をはじめる。いぬは少し嬉しそうだった。あるいは、喉が渇いていただけかもしれない。

9月19日、外は秋の季節になっていた。

いぬに連れられいつも通りのコースを歩き、いぬの脱糞を見ながらトラックのクラクションを聞いた。途中に、接続先を失った空気入れのように鳴く鳥がいた。けれどそんなことはさして重要ではない。

家に帰ると母親がタブレットでYouTubeを流していた。内容はあまり覚えていないが(それはおそらく覚える必要もないものだった)いつも通り、自己啓発セミナー的語りを模した誰かが誰かについて語っていたと思う。靴箱を掃除して私は確実に運気が上がった、その言葉だけを私は聞いた。いったい何のために、私たちは朝から靴箱について語らなければならないのだろう。

人は原理的に、その行為に間違いがないと思っている限りで間違いを起こす。確率論的に「私は確実に正しい」という時にこそ、間違いの確実性は上がる。恐らくその擬自己啓発的語りは、視聴者に靴箱の美的価値判断の誤りを強いている。なんのために?

靴箱とメタファー

考えながら、冷凍の唐揚げを温める。野菜室のレタスを二枚ちぎって洗う。マヨネーズとマスタードを和えたものを薄切りの食パンに塗りたくる。僕の朝はそこで終わる。

サンドイッチとメタファー

不眠とメタファー

現実とメタファー

現実は常にフィクションである。僕はいつもどこか違う世界にいて演技をしているのだ。痛覚、反痛覚、時間、反時間、実存、反実存、複数の世界に入り込んでは、離れていく。そこに時間の概念はない。だから不眠なんてあるはずもない。

ウインドウに表示されているのは21:44の文字。まだまだ時間はある。この15分後、僕は恋人と電話をするだろう。浮気、食人、反道徳的、ルサンチマン、図書室、ソシュール、一番古い記憶、写真の削除、今日のハイライト、創作と論文。その話の後に恋人はきっと僕が寝ていないことを心配してくれるだろう。だけど、恋人は僕が眠る必要も、眠れない必要もない事をしらない。もしかしたら後何回か一緒に寝てくれるかもしれない。願望。けど、僕は不眠だ。その事によって何かがすれ違っていくかもしれない。恋人はもっとまともな睡眠を求めて離れていってしまうかもしれない。

眠りとメタファー

僕は創作が苦手で、恋人は創作が得意で、
僕は論文が得意で、恋人は論文が苦手で、      

これは創作物だろうか。それとも事実だろうか。僕の恋人は確かに魅力的だ。しかし、書き出すことによって創作物になることは事実だ。文脈のうちに吸収され、消費される。可愛さの搾取。日常性の搾取。願望の搾取。

僕の睡眠は創作によって搾取されている。普通の人が寝て、疲れを取る際の意識を飛ばす脱自感は、僕にとって複数の世界に入り込むことの脱自感に肩代わりされる。

性交とは脱自行為だ。ある域に達した時、自我を失うことは、もしくは意識を飛ばすことは、自分の存在という次元から抜け出すことができる。そこに相手との境界線は存在しない、一つになるだけである。

愛撫とはそこに存在しない精神を肉体に求める行為であり、精神と肉体の境界線を消滅せることを望む。尽きることなく、何かを探るように指を這わせる事は無目的的だが、しかし無目的的だからこそ強く欲望することが許される。

痛みとは脱自行為だ。痛みというのは脳内で発せられる痛覚神経(それは感じる事しかできない精神面のものである)でしかない。ある域を超えた痛みがもたらす肉体の不必要性こそが、傷は肉体のものであるのに肉体を忘れさせる事で、肉体と精神という次元から脱自する。肉体の不必要性は全くの無痛状態でも同じ事が言える。

19:14の文字、日付は進んだ。それでも結局、僕は僕の存在から抜け出すために生きている。ただこの時の一時的な救いに縋ることに必死で、時間の流れには気づきそうもない。

今暴力を受けていない幸福、今犯されていない幸福、今死んでいない幸福。生きている限り幸福は責任として私の前に現前し、常に無限の不幸を対価として求める、想像させる。幸せであることが幸せでいられるわけがない。

出来るなら、鳥や魚に変わりたい。そして一日のほとんどを寝て過ごしたい。僕も同じだ。












この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?