あなたの望む、栗ごはんのためならば
冬の足音が聞こえ始めた先週末、息子のぜんそくが出た。
肩を上下し胸をへこませ、苦しそうに呼吸をする。
息苦しく眠れないので、夜中に救急にも連れていった。
普段は寝る直前までおしゃべりしっぱなしなのに、口数少なく横たわる息子を見ていると胸が痛くなる。
子どもが病気の時ほど、自分の無力さを痛感することはない。
代わってあげたいとどれだけ強く願っても、当然代われるわけもなく、ただおろおろと途方に暮れるばかりである。
***
週明けも回復せず、学校を休んだ。
学校が大好きで、普段は絶対に休みたがらない息子が、気弱な声で「今日は無理そうだなあ」とつぶやいた。
ずっと前から楽しみにしていた給食の献立だったのに。
クラスで近くの山へ、秋を探しに行く予定の日だったのに。
そんな時にちょうど実家から、新米や野菜の詰め込まれた荷物が届いた。(実家の父母は、本気で自給自足を目指している。)
大きな箱を開けてみると、オレンジ色に熟れた柿やさつまいも、アケビなど、畑や庭で採れた秋の味覚にあふれていた。
「ああ、もうすっかり秋だねえ」
そのなかには、ひと袋の栗も入っていた。
一緒に箱をのぞき込んでいた息子の目が、キラリと光る。
「栗だ! 栗ごはんがいい!」
ここ数日しんどそうだった息子が、久しぶりにイキイキとした顔をしている。そうだった。この子は食べることが大好きなのだ。週末から食欲をなくしていたのだけど、今、栗ごはんが食べたいと言っている。
「ああ、作ろう! 今晩は栗ごはんにしよう!」
母にできることが、ひとつ見つかった。
いつもだったら、栗の皮は固いので風味が落ちるのを承知の上で、湯がいてから皮をむく。でも今日は、とびっきり美味しく作らなくは。
ほんとはちょっと怖いのだけど、生栗の鬼皮から剥きましょう。
あなたが元気になるのなら!
そう意気込んで、さっそく栗を水につけ、お米をといだ。
鬼皮が少し柔らかくなったところで、ザラザラした底の部分を包丁で切り落とす。
子どもたちが手伝いたい! と言うので、その裂けた鬼皮を手で剥いてもらうことにした。
ザクッ。ザクッ。
研いだ包丁で栗をひとつ切るたびに、緊張が走る。
平たい面のある栗はまだ切りやすいのだが、丸っこい栗はなんとも強敵。
最初の切れ目がなかなか入らない。
苦戦する母をよそに、
「むけた! じゃあ次の栗をもらいまあす!」
と、息子も娘もニコニコと手伝ってくれる。とっても楽しそうだ。
こんな空気を含んだ栗ごはんは、ほくほくして美味しいだろうな。
***
そんなささやかな幸せを感じていた次の瞬間、
グラッ、ザクッ!!
「ぎゃ~っ」
丸い栗を切ろうとした包丁がぐらついて内を向き、栗を抑えていた私の中指に刺さった。
血がどっと滴る。まずい。
栗の鬼皮を切るためにこめた力で、自分の指を切ってしまった。
ああ、やってしまった。
「ママ、どうしたの?」
「だいじょうぶ~? みせてみせて」
指を握りしめ、その場にへたり込む私を、ふたりが見に来る。
「いや、大丈夫じゃないの、大丈夫じゃないのよ」
もう、母、パニック。
私の慌てぶりを見て、ふたりもただ事ではないと感じたようだった。
こんな時、ドンと落ち着いた冷静なママでいられたらと思う。
おっちょこちょいな上に、子どもみたいに慌てふためく母でごめん。
そんなことを思いながら、『病院』という文字が頭に浮かんだ。が、引っ越してまだ間もなく、整形外科がどこにあるのかも知らない。それに、子どもたちを連れて、こんな夕方にどうやって病院に行けようか。
こりゃ自分でなんとかせねばと、流水でひたすら流し、開いた傷口をグッと強く抑え続けた。
***
血が止まり、ドキドキも落ち着いたので、消毒をして絆創膏をいくつも巻いて固定した。
「ママ、大丈夫?」
と、心配そうに息子が聞く。
「うん、もう大丈夫だよ。ありがとう。でも、ごめんね。今日は栗ごはんは無理みたい。また今度つくるからね」
鬼皮剥きも半分しか終わってないし、切った手で渋皮を剥くのだって大変なことなのだ。
「えっ……?」
私の言葉を聞いて、息子の顔がこわばる。
「えっ?」
私はオウムのように繰り返した。
息子はまだ、栗ごはんをあきらめていなかったのだった。
***
結局、残りの鬼皮は、トンカチでぶっつぶそうということになった。
左手で思いきりトンカチを振り下ろす。
ドンッ! ドンッ!
キッチンからとんでもない音が響きわたる。
そのたびに台の上にあるボウルや諸々が、宙に浮く。
子どもたちは、キャッキャと盛り上がっている。
裂けた鬼皮は、息子が剥いた。
皮が爪に食い込んで痛そうだったけど、栗ごはんのためだから、とがんばっていた。娘は栗を運んだり、あたりに散った皮の片づけをしたりと、かいがいしく働いた。
***
「できたー!」
夜ごはんになんとか間に合った、栗ごはん。
ドキドキしながら、炊飯器のフタをあける。
立ちのぼる蒸気のなかに、黄色い栗がキラキラと光っている。
「いただきます!」
「おいしい~! おいしい~!」
栗、米、塩、水のみ。
100%の海塩を使ったことで、栗の素朴な甘みがぐっと引き立っていた。
ごはんは実家から届いた新米。
息子は茶碗に2杯もおかわりをした。前の晩は何も口にできなかったのに。
ぜんそくの息苦しさも忘れ、栗ごはんをガツガツとかき込んでいる。
ああ、よかった。
あの時、もうあきらめかけたあの時、作ることにして本当によかった。
息子の栗ごはんは今日だったのだ。今日以外になかったのだと、そう思った。
***
息子はぜんそく、母は手を切りながら、みんなで協力して作り上げた、今年の栗ごはん。
子どもたちの記憶の片隅にこれからも残ってくれるとしたら、こんなにも嬉しいことはない。
私の手にも、傷あとが残るかもしれない。
でも、その傷あとを見るたびに、あの日のほくほくした栗ごはんを思い出せるなら。子どもたちが巣立った後も、ずっとそれを思い出せるのなら。そんな傷なら悪くないなと、そっと秋の日に思うのだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
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