見出し画像

「学校」という"母性のユートピア"あるいは"ディストピア"―③教師の幸福

教師たちは、自分たちの職業をどのようなものだと認識しているのだろうか。
大変な点はどこか、何に喜びを見出すのか、その仕事から受け取るメリットにはどんなものがあると感じるているのか。
小学校と中学校の教員が抱いている教職観について、94年以前の少し古い調査になるが、以下に結果を示す。

①社会的に尊敬できる仕事だ 44.3%
②経済的に恵まれた仕事だ 46.4%
③精神的に気苦労の多い仕事だ 97.2%
④児童・生徒に接する喜びのある仕事だ 93.0%
⑤やりがいのある仕事だ 89.6%
⑥自己犠牲の強いられる仕事だ 82.1%
⑦自分の考えにそって自律的にやれる仕事だ 62.9%

『<講座学校 第6巻>学校文化という磁場』堀尾輝久 久富善之他 1996年
『4章 学校制度の中の教員文化――信頼のゆくえ』山﨑鎮親 p134より

各項目のパーセンテージは、それぞれの質問に対する「強くそう思う」「ややそう思う」「あまりそうは思わない」「全くそうは思わない」の4択の回答のうち、「強くそう思う」「ややそう思う」の合計である。
7つの質問の中でも、約9割の先生が回答している③④⑤の項目が特に注目に値する。教師は自らの職業について、社会的な名声や尊敬あるいは金銭といったものを得られる仕事ではなく、精神的にきつい仕事でありかつやりがいや子どもと接する喜びがある仕事だと認識しているということだ。
そして、③の「気苦労」、④の「児童・生徒に接する喜び」、⑤の「やりがい」の中身を考えると、子どもたちとの関わりが中心にあるという共通点があることがわかる。自分が受け持つ教室にいる生徒ひとりひとりが社会性を発達させていく段階にあること――「未熟」であるということ――は「気苦労」につながるし、発展途上の人間と関わるからこそ「やりがい」が生まれる。大人の1年とは違い、発展途上の子どもたちにとっての1年は長く大きなものだから、劇的な変化を目の当たりにすることもあるだろう。そんな子どもたちと密に接するからこそ「喜び」が生まれるのだ。
これらをひっくるめた毎日に、教師は「幸福」を感じているのだろう。2021年頃の調査(『教職生活を通して得る教員の学びの分析』高木幸子 新潟大学教育学部研究紀要 人文・社会科学編, 巻 14, 号 1, p. 101-114, 発行年 2021-10)においても、教師にとっての喜びは生徒との関わりの中にあることが示されており、この傾向は90年代から変わっていないと考えてよさそうだ。

もちろん、生徒との関わりの中に喜びがあるといっても、教師もひとりの人間である。「分け隔てなく接する」ことを自分に課し、腹に据えかねるものがあってもぐっと飲みこんで、日々子どもたちと向き合っている教師がほとんどだろうが、そこには当然「好み」の感情が入り込んでくる。
少々生々しいデータではあるが、教員が好感を持つのはどんな性質の子どもなのかについて見ていきたい。

『<講座学校 第6巻>学校文化という磁場』堀尾輝久 久富善之他 1996年
「4章 学校制度の中の教員文化――信頼のゆくえ」山﨑鎮親 p129を参考に作成

この調査は、小中学校の教員536名に、17種類に分類した生徒の「タイプ」(「性格」や「能力」の傾向といった意味だろう)についてどう思うか、それぞれ「非常に好感が持てる」「やや好感が持てる」「どちらでもない」「あまり好感が持てない」「ほとんど好感が持てない」の5つの選択肢から回答してもらったものだ。
グラフには、「非常に好感が持てる」「やや好感が持てる」のふたつのパーセンテージのみを示した。
スマートフォンで読んでいる方はグラフの文字が小さくて読みにくいかと思うので、テキストでも記しておく。
左から順番に

①努力家 非常に好感が持てる(グラフ下部(水色)):80.9% やや好感が持てる(グラフ上部(オレンジ)):18.5% 計:99.4%
②頭がいい 非常に好感が持てる:8.2% やや好感が持てる:30.5% 計:38.7%
③素直 非常に好感が持てる:73.3% やや好感が持てる:21.2% 計:94.5%
④積極的 非常に好感が持てる:55.0% やや好感が持てる:40.3% 計:95.3%
⑤さわやか 非常に好感が持てる:72.0% やや好感が持てる:23.6% 計:95.6%
⑥元気がいい 非常に好感が持てる:54.5% やや好感が持てる:38.8% 計:93.3%
⑦要領がいい 非常に好感が持てる:1.3% やや好感が持てる:8.8% 計:10.1%
⑧ちょうしのいい 非常に好感が持てる:1.3% やや好感が持てる:8.8% 計:10.1%
⑨謙虚 非常に好感が持てる:32.6% やや好感が持てる:42.2% 計:74.8%
⑩きどっている 非常に好感が持てる:0.9% やや好感が持てる:2.1% 計:3.0%
⑪独創性がある 非常に好感が持てる:52.8% やや好感が持てる:39.7% 計:92.5%
⑫社交的 非常に好感が持てる:21.7% やや好感が持てる:42.2% 計:63.9%
⑬思いやりのある 非常に好感が持てる:87.3% やや好感が持てる:12.3% 計:99.6%
⑭おっとりしている 非常に好感が持てる:17.9% やや好感が持てる:37.8% 計:55.7%
⑮強情 非常に好感が持てる:2.2% やや好感が持てる:9.1% 計:11.3%
⑯自己主張の強い 非常に好感が持てる:5.2% やや好感が持てる:19.6% 計:24.8%
⑰大人びた 非常に好感が持てる:1.9% やや好感が持てる:8.2% 計:10.1%

実に興味深くもあり、当たり前と言われれば当たり前のような結果でもある。
この17種類の中で9割を超えたものは、
努力家(計:99.4%)、素直(94.5%)、積極的(95.3%)、さわやか(95.6%)、元気がいい(93.3%)、独創性がある(92.5%)、思いやりのある(99.6%)
の7つである。きっとこのような性質の子どもばかりであったら、活気があってとても気持ちのよいクラスになることだろう。
加えて、これらの性質は教師が自分自身が持っているもの、もしくは持ちたいと願っている性質である可能性が高く、教師は生徒の中に自らの志向性が反映しているのを見て「好ましい」という評価をしているのではないかと考えられる。

意外なのは、「頭がいい」(計38.7% 5つの選択肢の中では、「どちらでもない」の回答が一番多く57.9%だった)が上位に入っていないことだ。学校で過ごす時間の大半は授業に充てられているのだから、そこで目指されていることは、基本的には「頭をよくすること」のはずだ。
しかし多くの教員は、「頭がいい」生徒のことを、それほど好ましいとは思っていない。これは不思議なことだ。

教師にとって「好感が持ちにくい」というタイプも確認しよう。17種類のタイプのうち、「あまり好感が持てない」「ほとんど好感が持てない」の合計が10%を超えたもののみを以下のグラフに示す(グラフの棒は「ほとんど好感が持てない」「あまり好感が持てない」を示す)。

『<講座学校 第6巻>学校文化という磁場』堀尾輝久 久富善之他 1996年
「4章 学校制度の中の教員文化――信頼のゆくえ」山﨑鎮親 p129を参考に作成

こちらも、グラフの文字が小さすぎるという方向けにテキストも記載する。

・要領がいい ほとんど好感が持てない(グラフ下部(青)):11.2% あまり好感が持てない(グラフ上部(灰色)):36.4% 計:47.6%
・ちょうしのいい ほとんど好感が持てない:9.5% あまり好感が持てない:38.3% 計:47.8%
・きどっている ほとんど好感が持てない:12.0% あまり好感が持てない:44.8% 計:56.8%
・強情 ほとんど好感が持てない:7.5% あまり好感が持てない:36.2% 計:47.8%
・自己主張の強い ほとんど好感が持てない:3.2% あまり好感が持てない:27.8% 計:31.0%
・大人びた ほとんど好感が持てない:6.3% あまり好感が持てない:29.5% 計:35.8%

実際のところ、調査に回答した教員たちも、ネガティブな生徒のタイプについて正直な回答はしにくかったのではないだろうか。現に、ほとんどの回答において「どちらでもない」のパーセンテージが「あまり好感を持てない」を上回っていた。
唯一「あまり好感を持てない」が 「どちらでもない」を上回ったタイプは「きどっている」だった(「あまり」:44.8% 「どちらでも」:40.2%)。この「きどっている」とはどのような状態を指しているのだろうか。教師よりも物を知っているかのように振舞うということだろうか。あるいは服装の着こなしを崩すなどして周囲とは違う自分を過剰に演出しているということだろうか。
山﨑鎮親氏がどのように考えていたのかは明確にはわからないが、どのような状態にせよ、「きどっている」児童・生徒は教師にとって理解の範疇の外にあるのだということは言えるのではないだろうか。

他のタイプについても同じようなことが言える。
「強情」や「自己主張が強い」タイプは、教師の言うことを素直に聞かず、教室や学校の秩序の外にあることを主張してくる生徒だと予想される。そのような児童・生徒は、教師にとってはコントロールすることが難しい。「大人びた」のタイプに関しても、教師にとっては声をかけにくいところがあり、同じくコントロールすることが難しいと感じるのだろう。
また、「要領がいい」タイプは、教師にとって好感を持てるタイプの「努力家」とは反対に、少ない努力で結果を出したり、あまり教師の言うことを聞かずとも物事ができてしまうという点で、教師にとっては自分を否定されたような気になってしまうのだろう。
「ちょうしのいい」タイプも、教師自身が持っている「まじめさ」の反対に位置するような人格であるため、受け入れがたいものがあるのだと思われる。
特に「要領がいい」と「ちょうしのいい」は、いわゆる"社会でうまくいくタイプ"でもある(外からそう見えるだけで、本人たちは必死なのかもしれないが)。教師は企業勤めをした経験がない者も多いため、社会について無知であるというコンプレックスを持っているケースが多くみられる。この2つのタイプは、教師のコンプレックスをくすぐる存在でもあるのではないか。

これらを総合して考えると、教師から好感を持たれにくい児童・生徒のタイプは、「教師の理解の外にあり、コントロールがしにくい」タイプだと言えるだろう。
逆に言えば、教師が好感を持つ児童・生徒は、「理解しやすく、自ら教室の秩序を把握しそれを守り、教師がコントロールしやすい」タイプだということも見えてくる。

だが、子どもたちを社会で通用する人間に育てて送り出すことが学校の役目であるならば、「自己主張が強い」ことや「要領がいい」ことも貴重な個性のひとつであるはずだ。
学校そして教室における「秩序」――それらは教師がつくったものだ――に沿って行動できるか否か。それが、教師が好感を持てるかそうでないか、ということに大きく関わっている。
本来、意思の強さや自己主張は、民主主義社会では重要な要素だ。それが教師から見ると好感が持てない要素になるのではれば、学校・教室の秩序こそが問題なのではないか。

とはいえ、教師自身も今までそのような秩序しか経験してこなかったのであるから、それに自覚的であることは難しく、教師は日々の学校生活を維持するためにそれまでと同じ秩序をつくり続けるだろう。
その秩序の中で、自身が理解できコントロールできる性質を持った生徒の成長に積極的に関わることで、教師は喜びを感じ続けるであろう。
ならば、その秩序を維持し続けたいと思うことも無理はない。
では次の章で、教師がいかにしてその「秩序」をつくっているかを見ていきたい。

第4章に続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?