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『時代遅れのRock'n'Roll Band』を1.5倍楽しめるかもしれない2つのトピック

あなたはもう聴いただろうか?桑田佳祐が作詞作曲した『時代遅れのRock'n'Roll Band』という曲を。
「桑田佳祐の新曲」と聞けば、ファンじゃなくても気になる、という方も多いだろう。
その上この作品には、佐野元春、世良公則、Char、野口五郎、という豪華なミュージシャンが参加しているのだから、音楽好きとしては注目せざるを得ない。

『時代遅れのRock'n'Roll Band』は、2022年5月23日、桑田佳祐のYouTubeチャンネルにてまず音源のみのバージョンが配信開始。
次いで2022年6月6日、同チャンネルにてMVが配信された。

このMVがまた、郷愁を誘う、胸が熱くなるものだった。
桑田佳祐と、佐野元春、世良公則、Char、野口五郎。この5人は”同級生”だ(1955年4月~1956年3月生まれの学年。ミュージシャン以外ではさんまや鳥山明がいる。なんとクリエイティブな学年だろうか。また、学年の概念が日本とは違うと思うが、ビル・ゲイツも1955年10月生まれで同学年である)。

MVは、”同級生”という点を目一杯生かした作品だ。小学校の教室で、同窓会を行うために集まった旧友たちが当時の話に花を咲かせ、心が一瞬で”あのとき”に戻る・・・そんな雰囲気の中、教室の中心に立てた一本のマイクを囲んで、5人のミュージシャンが楽しそうに歌う、というものだ。
MVの途中で、5人がホウキをギターに見立てて弾くマネをする。男子小学生なら絶対にやったであろう行為を5人のおじさんがしているシーンがを見て私は、“この5人が同じ小学校に通っていてクラスメイトだった世界線”を想像してしまった。そんなマルチバースもあるのかもしれない。

実はこのMV、1988年に結成されたとある“覆面バンド”のMVをオマージュしてつくられたものだ。
日本では意外と知られていないそのバンドのことを知ると、『時代遅れのRock'n'Roll Band』のMVをより楽しめるかもしれない。
この記事では、「1.5倍楽しめるかもしれない方法」の①として、その“覆面バンド”「トラヴェリング・ウィルベリーズ」について書いていく。

そしてもうひとつ、「ミュージシャンの在り方」についても考えてみたい。ビートルズやボブ・ディランまで遡って(とはいえ短い考察になっているので、気軽に読んでほしい)、このテーマについて見ていく。これが「1.5倍楽しめるかもしれない方法」の②である。

①友情と音楽の魔法 『トラヴェリング・ウィルベリーズ』というプロジェクト

2021年末にディズニー+で配信されたドキュメンタリー映画『ザ・ビートルズ:Get Back』で、ジョージ・ハリスンがポール・マッカートニーとの人間関係がうまくいかずに苦しむ場面があった。

1943年生まれのジョージ・ハリスンは、ビートルズのメンバーとして19歳でレコード・デビューして以来、「成功のため」の音楽、「仕事として」の音楽と真摯に向き合ってきた。
それと同時に、インド哲学や超越瞑想を学ぶことをとおして、高い精神性、人間としての進化・成長も追求してきた。

ビートルズの後期において、間違いなくジョージは成長していたし(ミュージシャンとしても人間としても)、周囲もそんな自分を認めてくれている、と思っていたに違いない。

しかし、ビートルズという超巨大なモンスターバンドを初期から実質的に牽引してきた、2歳年上のジョン・レノンと1歳年上のポール・マッカートニーにとって、ジョージ・ハリスンという存在はかわいい弟分のようなものだったのだろう。曲に対するジョージの意見は否定され、「こう弾いてくれ」と注文を付けられる。

注文を付ける側にしてみれば、「いつものこと」くらいの軽い気持ちだったのだろう。しかし、「自分は成長した」と感じている20代の若者からしたら、それは受け入れられないことだった。
ジョージは怒り、バンド内に緊張が走った。

もちろん、「Get Back」のセッション全体で見れば、悪いことばかりではなかったのだが、この経験はジョージにとって、忘れられない苦い経験となったはずだ。

そんなジョージが、ビートルズが解散した1970年から18年後の1988年に辿り着いた境地が「トラヴェリング・ウィルベリーズ」というプロジェクトだった。

「トラヴェリング・ウィルベリーズ」は、ジョージ・ハリスンが“偶然に”、その音楽仲間と一緒に結成した覆面バンドだ。
”覆面”の由来はというと、それはメンバーが「ウィルベリー」という名字の架空の人物に扮してバンドを組んでいたことによる。つまり、ファンに対して実名を伏せていたということだ。
とはいえ、歌声を聞けばそのメンバーが誰なのかはすぐにわかってしまう。
それほどのビッグ・ネームたちが集まっているのだ。

メンバーは、「元ビートルズ」のジョージ・ハリスンを中心に、後にノーベル文学賞を受賞するボブ・ディラン、『Oh, Pretty Woman』のロイ・オービソン、日本ではドラマ『電車男』の主題歌である『トワイライト』の他、CMでも曲が使われる「エレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)」のリーダーであり音楽プロデューサーでもあるジェフ・リン、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の際、テレビでよく『I Won’t Back Down(「俺は引き下がらない」といった意味)』 が流れたというトム・ペティ
このメンバーなら実名を伏せていても、歌声をちょこっと聴いただけでわかるだろう。

ただビッグネームが揃った、というだけではない。一枚目のアルバム『トラヴェリング・ウィルベリーズ Vol.1』はグラミー賞を受賞。レコード会社の関係でプロモーションを行っていないにも関わらず、アメリカでは6週連続3位を記録するという快挙を成し遂げている。

私個人としても、大学時代、授業の合間にCD2枚+メイキングとMVが入ったDVD1枚のアルバムを、電車に乗って新宿のタワレコに買いに行ったことが思い出だ。

ジョージはインタビューで、「トラヴェリング・ウィルベリーズ」について
「すべては偶然の結果でできたバンドだ その日は満月だったのかもね」
と感慨深げに語っている。
彼が「楽しむための」音楽、お金や名声のためではなく、仲間と共に楽しむ音楽を求め、それが何かに導かれるように実現したことへの驚きが伝わってくる言葉だ。

「トラヴェリング・ウィルベリーズ」は88年と90年にアルバムをつくっている(非常に残念ながら、ロイ・オービソンは、88年のアルバム『トラヴェリング・ウィルベリーズ Vol.1』に収録されている『End Of The Line』のMVを撮影する前に52歳で死去)。

レコーディングは、デイヴ・スチュワートというミュージシャン(おそらくトム・ペティの友人)のロサンジェルスの家で行われた。
そこのヴォーカルブースが狭く、ギターパートなどはキッチンで録音されている。
ちなみに『RATTLED』という曲には「ガラガラ」という音のパーカッションが入っているが、これはキッチンの冷蔵庫をドラムのスティックで引っかいた音だ。

メイキングのDVDには、打ち解けた雰囲気でレコーディングするとても微笑ましい様子が収められている。5人で歌うパートは一本のマイクを仲よく囲んで録音しているし、ロイ・オービソンが何度も歌詞を間違えるので爆笑するというシーンもある。和気あいあいだ。「友達と音楽をつくる幸福感」が滲み出ていた。

ジョージ・ハリスンはこう語る。
「僕の仕事は友情を守ることだった メンバーが共に音楽を作りビデオを撮る際に 友情が壊れないよう見張っていたんだ」
この言葉は、『ザ・ビートルズ:Get Back』でのセッションでジョージが人間関係に苦労していたことを踏まえると、より胸に迫る言葉だ。

そんな「トラヴェリング・ウィルベリーズ」が最初にレコーディングした曲が、ジョージがつくった『Handle With Care』という曲だ。

『Handle With Care』というのは「取扱注意」という意味だ。ジョージがディランから曲名を聞かれた際、近くの段ボール箱を見ると、「Handle With Care」というシールが貼ってあったので、それをタイトルにしたのだ。
人生の悲喜こもごもを重ねてきた主人公が、愛する人に「ぼくを大切に扱って」とお願いするという歌詞で、それを美しいメロディと歌唱、そしてジョージのスライドギターによって楽しむことができる。

この画面の上部中央をよく見ていただくと、マイクがあることがわかる。
ジョージは映っていないが、このマイクを5人が取り囲んで代わる代わる歌っている。そこに深い友情が現れている。

『時代遅れのRock'n'Roll Band』のMVは、明らかにこのMVをオマージュしている。
「普段は違う活動をしているミュージシャンの仲間が、友情を媒介にして集まり、ひとつのマイクを囲んで歌う」という点が共通点だ。
さらに、両方のMVを観比べていただければ、演出上の共通点も見つかるはずだ。その演出が、「歳を重ねてからのプロジェクトである」ということの意味を強めており、胸が熱くなった。

ぜひ、『Handle With Care』のMVを観て、友情と音楽が創造する魔法を味わってほしい。

②ミュージシャンの社会的発言をどう考えるか

世の中を嘆くその前に
知らないそぶりをする前に
素直に声を上げたらいい

『時代遅れのRock'n'Roll Band』

特設サイトにもあるように、『時代遅れのRock'n'Roll Band』は、世界中で感染症が蔓延し、未曽有の自然災害が起こり、戦争が繰り返されている、という厳しく悲しい状況の中、同級生のミュージシャン5人が、

『あえて“時代遅れ”なやり方で、我々の世代が「音楽という名の協調」を楽しむ姿を発信し、その中で「次世代へのエール」や「平和のメッセージ」を届けたい』

特設サイトより

というものだ。

現在の社会の状況に対して、ストレートにその気持ちを表現するという「社会的」なメッセージのある曲である。

ご存じの方も多いと思うが、桑田佳祐はソロ活動を開始した当初から、社会に向けてメッセージを送り続けてきたミュージシャンだ。
特に、94年のアルバム『孤独の太陽』では、政治、文化、いじめの問題と社会を多方面から扱っている。
また、2014年には紅白歌合戦で『ピースとハイライト』をパフォーマンスした際に、そのパフォーマンスが政治的な批判ではないかと一部で話題になり「炎上」したこともある。

現在の日本のミュージシャンは、坂本龍一やASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文などの一部を除いて、たとえ大物ミュージシャンであっても、社会に向けたメッセージを発する人が少なく、恋などの「個人的」なテーマが歌の題材になっていることが多い。
それはまったくわるいことではないし、詩において恋を扱うことは、和歌以降の日本の伝統でもある。
ただ、社会的な事象を扱うには、和歌は文字数が少なすぎる、という事情もあったのだ。
それなのに、言葉を音に当てはめなければならないという制限はあるものの、文字数を自由に設定できる歌詞においても、社会的な事柄が扱われないのは少々寂しいと、私は感じている。

アメリカでは、それこそボブ・ディランのプロテストソングを筆頭に、『We Are The World』のようにアフリカを激励するプロジェクトもあり、現在もテラー・スウィフトやビリー・アイリッシュといった若手ミュージシャンも積極的に政治的発言をする。
彼女たちは、政治的発言をするどころか、支持政党まで表明する。アメリカが二大政党制を取っているため支持政党を決めやすいということもあると思うが、そういったことは日本ではあまり考えられない。

そもそも、ビートルズだって「そういうもの」だった。差別が色濃いアメリカ南部でのコンサートの際、黒人と白人で席を分けることになっていたのだが、「席を分けるならコンサートはやらない」と言って差別に反対したし、『Revolution』で暴力的な革命の方法を批判したりもしていた。

音楽、特にフォークを取り入れて以降のロックにはそういう伝統があったはずだ。日本でも、フォークソングで社会を批判していた時期があった。にも関わらず、その伝統は日本ではほとんど消失してしまった(というより、政治的な色が濃いミュージシャンがメジャーに出て来られないといった方が正確なのかもしれない)。私にはそのことが少々悲しく感じられるのだ。

日本においては、「ロックミュージシャンが音楽で社会にメッセージを送ること」は、もはや廃れてしまった・・・『時代遅れのRock'n'Roll Band』というタイトルには、そのような意味合いも込められているのではないだろうか。

日本のミュージシャンが、社会的な発言がしにくい状況になっている、ということは、日本の言論空間に充満している空気に原因がある。

ご存じのとおり、現在のような情報発信が容易になった社会では、SNSで社会的あるいは政治的な発言をすると、一部の偏った人々から誹謗中傷を受けるというリスクがある。それは全世界共通の出来事となっている。
その一方で日本においては、ミュージシャン(アイドルも)が社会的な発言をすると「怖い」とか、「そんな発言をしてほしくなかった」といった反応も見られる。

どうも我らが日本では、社会に目を向ける、あるいは政治に関わるということは、「変わった人がやること」「極端な人がやること」と思われている節があるようだ。

こういった空気が形成されてしまうのには、メディアや教育、歴史的経緯などいろいろなところに原因があるのだけれど、『時代遅れのRock'n'Roll Band』において、桑田をはじめとした5人のミュージシャンたちは、社会的な出来事について、もっと「カジュアルに発言していい」と主張しているように思える。

日本人は、社会や政治の捉え方が「重すぎる」。
一生懸命シュプレヒコールをあげてデモをするか、そういった人々を遠巻きに眺めるか。選択肢としてその二択しかない、とは断言しないが、まぁ実際のところそのようなものだろう。
だから社会や政治を身近に感じていないファンほど、自分の大切なミュージシャンやアイドルをも、それらから遠ざけようとする。

でも、一体なぜ、そんなに重く捉える必要があるというのだろうか?社会も政治も、私たちの日常を支える重要なファクターだ。

それは、毎日スーパーで野菜の値段を見て買い物をしたり、外国から入ってきた豆でつくるコーヒーを飲むことと、大きく違う何かがあるのだろうか。

桑田たちは、「もっと軽くていいんだよ」とメッセージを送ってくれている。
デモには参加しなくとも、社会的な問題について調べるべきことを調べ、あくまでも冷静な調子で意見を投稿することもできる。その意見に対して冷静な反論を投じることもできるし、友人や家族と話し合うこともできる。自分の意見で相手を染めようとする必要もなければ、染まる必要もない。だって、私たちは自由な存在なのだから。

主張するミュージシャンも、もっとカジュアルに主張していい。そして、その意見を受け取る私たちも、「カジュアルな社会的な発言を歓迎するよ」という雰囲気を、つくっていかなければならない。

それは、あくまで受け手である私たちの冷静な反応によって、つくられるものだ。

・・・
ここまで、『時代遅れのRock'n'Roll Band』を1.5倍楽しむ方法として、「トラヴェリング・ウィルベリーズ」と、「ミュージシャンの社会的発言」という2つの観点から見てきた。

このような背景を思う時、この曲はなんて優しい曲なのだろう、と思う。ヘコんだときに聴くと一層沁みる。

少し気が早いかもしれないが、今年の世相を考えたときに、ぜひ年末に紅白歌合戦でやってほしい、とも思った。もちろんフルで。

最後に。

この『時代遅れのRock'n'Roll Band』の収益の一部は、世界の子どもたちの命と未来を守るために、セーブ・ザ・チルドレンに寄付される。

だから、ぜひたくさん聴いてほしい。
私たちはちっぽけかもしれないが、何もしないよりは、何かをした方がいいのは間違いないからだ。

私も毎日5回は聴いている。
みんなでよりよい明日をつくろう。Rock'n'Roll!

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