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最愛の人たちに遺す『後世への最大遺物』

いつかの夏休み、
書店の名著特集で平積みされた文庫の中で
ふと目に留まった 『後世への最大遺物』。

後世への最大遺物・デンマルク国の話
内村鑑三 著
後世への最大遺物・デンマルク国の話

https://www.iwanami.co.jp/book/b246038.html

著者・内村鑑三氏はその名よりも
『代表的日本人』という著書の方が
もしかしたら耳にすることが多いかもしれない。
ただ私は、数ある名著の中でも
『後世への最大遺物』は何度も読み返してしまう。
今回はちょっと、私の最愛の人へのラブレターとして綴ります。

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未来への楽しみ

私にここに一つの希望がある。
(後世への最大遺物 P16)
私に五十年の命をくれたこの美しい地球、
この美しい国、この楽しい社会、
このわれわれを育ててくれた山、河、
これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない、
との希望が起ってくる。
(同著 P16-17)
われわれが死ぬまでにはこの世の中を
少しなりとも美くして死にたいではありませんか。
何か一つ事業を成し遂げて、
できるならばわれわれの生まれたときよりも
この日本を少しなりとも善くして
逝きたいではありませんか。
(同著 P18)
それではこの次は遺物のことです。
何を置いて逝こう、という問題です。
(同著 P19)

というくだりで始まる内村鑑三氏の『後世への最大遺物』。

数多ある遺産の中でも著者自身、
考え、実践してきたものの中から、
思い浮かぶものを徒然と話していく。
「それができないならば、」と思考を進めていく。

何をするかは各人の自由。
「後世のために私は○○をしてきた」と
再び会い見える未来を楽しみに語り上げられた書籍。


私はこの本を読む度に、
7年前に帰天した3つ上の兄に思いを馳せる。

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人生という最大の遺産を最愛の人に遺す


兄は昔から何をやらせても上等でカッコよくて、
いつもみんなの中心にいた。
中学校に入ってからは家に帰ることも少なくなり、
悪気のない悪さで警察のお世話になるくらいのヤンチャぶりだったが、
高校を出る頃には
「自分は車が好きだから車の専門学校に行かせてほしい」と、
進学を勧める親に対して願いを上げた。
早々に夢を見つけて、夢中になって勉強していた。

私が知る兄はその頃まで。
兄が大阪の専門学校から地元・岡山に戻る頃には
代わって私が大学で家を出て、
それからは年に1〜2回、私が実家に帰ったときに顔を合わす程度。
兄は地元と仲間と車とバイクが大好きだった。

・・・

兄29歳の冬、バイクの自損事故で病院に
運ばれたという連絡を受け私は急ぎ帰郷。
外傷はほとんどないけど脳に損傷があり意識が戻らない。

毎日毎日いろんな人が会いに来てくれる。
いつも一緒に遊んでいた仲間、
遠方から駆けつけてくれた親友、
会社の社長や後輩、お世話になった先生方。
お医者様からはいつ何が起きてもおかしくないと言われていた。

「今日、目を覚ます」
「目を覚ますまでどれだけ時間が掛かっても待ち続ける」
そう信じて毎日祈り続けた。

奇跡の1週間。
目を覚ますことも言葉を交わすこともなかったけれど、
兄はたくさんの方に最後の時を与えて、
たくさんの方に希望を与えてくれた。

2年間社長と通った中小企業幹部育成プログラムを卒業した翌年で、
結婚と離婚を経験した後、新たな恋人ができた翌月で、
好きなことを仕事にして仲間と夢を語り続けた日々で、
兄は29年の人生を生ききった。

私にとって宇宙人だと思うほど未知な存在だった兄は、
たくさんの人たちに愛されていた。
そしてそれ以上に兄はたくさんの人たちを愛していた。
そのとき初めて、私は兄が「愛の人」だったことを知った。

私がドレほどこの地球を愛し、
ドレだけこの世界を愛し、
ドレだけ私の同胞を思ったのかという記念物を
この世に置いていきたいのである
(同著 P17)

亡くなって初めて、その人の尊さが、偉大さがわかる。
限られた人生という時間を神仏から与えていただいていることを知る。
生まれてきたことも死を迎えることも全てに意味があるのだと気づき、
その意味を知ろうと探求し始める。

願わくば、
私も兄のように人生という最大の遺産を、
最愛の人たちに遺していけるように生きていきたい。

それならば最大の遺物とは何であるか。
(同著 P54)
この世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、
神が支配する世の中であることを信ずることである。
失望の世の中でなくして、
希望の世の中であることを信ずることである。
この世の中は悲嘆の世の中にあらずして、
歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、
その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。
(同著 P54)

・・・

「今なんしょん(何してるん)?」
「おめえはええなぁ、自由で」

時折り顔を合わすとこんな風に声を掛けられた。

兄ちゃんが好きなことを見つけて自由に生きてくれたから
私も好奇心の向くままに自由に生きることができるんだよ。

兄ちゃんが父さん母さん家族のこと思ってくれて、
地元を愛してくれてたから、
私は自由にいろんなところで暮らすことができるんだよ。

兄ちゃんが早々に夢を見つけて前進し続けているのが、
私は密かに羨ましかったんだよ。

兄ちゃんが私を愛してくれていた以上に、
私は兄ちゃんのことが大好きだったよ。

今世縁を持てたことは私の魂の永遠の誇り。
その人生、生き様、死に様から、
とても大切なことを教えてくれた。
直接話す機会はなくなったけれど、
年老いて兄妹で語り合う未来はもう来ないと
思うと淋しい気持ちもあるけれど、
今もなお、家族を護り、仲間を愛し、
大切なことを教えてくれているその存在は確かにある。

私にとって大切な人の死は、
私がどれだけ愛されていて生かされていて、
そして彼らのことを愛しているか、
愛しい気持ちに気づく時だった。

同時に、
彼らから教わった大切なことを
受け継ぎ引き継ぎ生きていく、
新たな願いを掲げる機会でもある。

そうして私は私の人生を生ききった後も、
先を生きた人たちがそうしてくれたように、
みんなの幸せを願い続ける存在でありたい。

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愛しい人生

われわれに後世に遺すものは何もなくとも、
われわれに後世の人にこれぞというて
覚えられるべきものはなにもなくとも、
アノ人はこの世の中に活きているあいだは
真面目なる生涯を送った人であると
いわれるだけのことを後世の人に遺したいと思います。
(同著 P69)

『私たちは皆、神仏の愛のおもいで創られた愛しい尊い存在である』
という真理を、
7年経った今、大切な人の死を通して腑に落とすことができました。

そしたら、

今まで人を"自分との比較対象"として見ていたのが、
人を通して"愛を学んでる"という認識に変わっていって、
成長したねって、何だかとっても嬉しい気分。

人の死が、これまで以上に身近に感じる時代になりました。
生きること、死ぬことを考えるとき、
傍らに置いていただく1冊としてオススメします。


著者の軽やかな口調が心地よく、
短い文章の中にキラリと光る言葉が満ち満ちています。

紹介する本が、たくさんの人に読んでもらえたらいいなと願い書いてます。
気になる本があったらぜひ読んでみていただけたら嬉しいです。

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