情報弱者が存在するなら、需給調整型規制も選択肢

「大学の獣医学部新設は、一定の品質さえ満たしていれば認可すべき」という考え方は、「人々は、大学の品質は評価できないが、それ以外では完全な情報を持っていて、しかも合理的に行動する」という前提の下では、全く正しいでしょう。受験生が獣医学部に進学する自由は奪われるべきではなく、獣医学部卒業後に仕事が無くても「自己責任」だからです。

しかし、多くの高校生は不完全な情報しか持っていないため、「獣医学部に進学すると将来失業数可能性が高いのか否か」を知ることなく、何となく「獣医という仕事に憧れて」進学するケースも多いでしょう。その結果失業したとして、それを「自己責任だ」と言うのは、チョッと行き過ぎでしょう。極論すれば「タイタニック号に充分な救命ボートが備わっていない事を知らずに乗船した客は、調べなかった自己責任だ」というのに近いですから(笑)。

獣医学部の件は、1校増えるだけですから、「需給関係が劇的に変化するわけではなく、高校生でも容易に自分の将来失業可能性が推測できます。従って、自己責任を問える案件です」というのであれば、そうかも知れません。

しかし、法科大学院は、そうではありませんでした。司法試験の合格者数をいきなり何倍にもした上で、合格者数を遥かに上回る法科大学院の定員を認可したのです。これは、「判断を間違えて」法科大学院に入学してしまった人の自己責任とは言い難いと思います。

「需要を読み間違えて法科大学院を作った大学が悪いのだから、大学が損をしたのは自己責任だ」というのは、百歩譲って認めましょう。法学部の教授に需要予測能力を期待出来るか否かの議論は、やめておきましょう。法科大学院を作って廃校にすることで社会的なロスが生まれますが、それも市場メカニズムのコストと割り切りましょう。

しかし、入学して卒業しても弁護士になれなかった卒業生、弁護士になったけれども低収入に甘んじている卒業生にとっては、予想できなかった世の中の変化によって人生を狂わされたに等しいのです。しかも、彼等には予想できなくても、政府にはある程度予想できたハズでしょう。そうであれば、需給調整型の規制を続ける(続けながら、必要があれば少しずつ緩めていき、丁度良い所で止める)べきでした。

まさに昨日、「法科大学院の過ちを繰り返すな」というブログを書いたばかりで、あまりのタイミングの良さに驚いています(笑)。拙ブログ、ご笑覧いただければ幸いです。

https://ameblo.jp/kimiyoshi-tsukasaki/entry-12310756300.html

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https://www.nikkei.com/article/DGKKZO21122860U7A910C1KE8000/

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