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「反証可能性」と「いい人間関係」

今日もこちら。2021年9/100冊目。ひらめかない人のためのイノベーションの技法。

僕はこのnoteを書くために、本を何度か読み返すのですが、この本はめちゃくちゃ示唆に富んでいます。発見が多く、しかもわかりやすい。新しい発想を得るためのtipsだけじゃなくて、コミュニケーションとかマネジメントの部分にまで適用できることがたくさん説明されてます。

僕は、この「自分の頭で考えて動く部下の育て方 上司1年生の教科書」という本を読んで著者を知って、それからファンなのですが、この人の本は間違いないな、と思ってます。おススメです。

で、元の本の中で紹介されてる"「疑う」こそが「過信」を生む"という話、そして「すべては仮説。反証する事実が登場すれば仮説を取り下げる。しかし、そういう事実が出てこないうちから疑うのではなく、とりあえず受け入れる」というポパーの考え方がすごくいいな、と思っています。科学や研究の世界では当然なのかもしれませんが、あんまり事務仕事の中では使わないな、と。

反証可能性って、すごくカジュアルに表現すると、どんな考え方でも「そういう考え方もあるんですね」という態度だと思うんです。これって、コーチングでいう、評価判断せずに受け入れる、ってことじゃないかと。

誰かが何かの考えに至るってことは、その元となる事実があるはずなんですよね。そして、解釈は自由だし、見えてないこともたくさんあるから、一つの事実から人間の数だけ解釈がありうる。

だから、その人の視点では、現時点では考えが間違ってるってことはないんですよね。変わることはあり得るけど。だからすべては仮説、ってことになるんですよね。これは研究の世界でも普通のお仕事の世界でも変わらない。

ここから思うのは「相手を否定することって、とっても難しいことだね」ということです。だって、自分も間違ってるかもしれないんだもの。間違ってる解釈を元に、頭ごなしに意見を否定されちゃうと、いい関係は作れないです。逆に「相手を否定しないことが、いい関係を作る」ってことなんじゃないでしょうか。

もちろん、否定しないってことは、なぁなぁな関係が良いよね、ということではありません。「相手はこう思う、僕はこう思う。」「違うみたいだね」「なんで違うんだろうね」「こういうこともあるかもね」「僕のこの部分は間違ってるかも」「いやいや、僕もここはちょっと曲解してたね」みたいな対話が、いい人間関係を作るんじゃないかな、と思います。

「あの人とうまく行ってないな」と思い浮かぶ誰かがいるなら、自分が相手の意見を否定するところから入っていないか、思い返してみませんか。もしそうなら、その関係を変えるきっかけは、否定をやめることにあるかもしれませんよ。

あ、こういう対話をまさに感じてみたい、という人には、コーチングがおすすめです。そういうコミュニケーションの知識とトレーニングを積んだプロのコーチとの会話は、普通の「相談」とは一線を画すものですよ。


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