見出し画像

「来るのが待ち遠しい明日」を迎えたい

昨日、初めて長渕剛さんのライブを配信で拝見した。ほとんど曲は知らなかったけど、とても楽しめた(小並感)

このライブの最後に、長渕さんが

「みんなにあえて、明日が来るのが待ち遠しくなったよ」

と言った。用意してた言葉なのかもしれないけれど、なんだか心を打たれた。

僕は、来るのが待ち遠しい明日を迎えられているだろうか。もし心からそう思えたら、どんな人生になるだろうか。

初めてのサーフィンQAv

今週は、妻のあたたかい計らいをいただき、月、火でひとりで一泊旅行にいってきた。5歳と1歳のこどもがいる親には望むべくもない、素晴らしい時間。

何をするかとても迷っていたけれど、九十九里でサーフィンをやってきた。初心者スクール。ちょっと立つこともできたし、何よりいい天気と気持ちいい海のおかげで素晴らしい時間を過ごすことができた。

半日のスクールに参加して、夜は地元のお寿司屋さんで大将としゃべりながらおいしい魚を食べて早く寝て。次の日、またサーフィンやって(レンタル)、僕の夏休みは終わった。

僕は休みの計画、特に旅行の計画を立てるのがめちゃくちゃ苦手で、2日前まで宿すら取れてなかったんだけど、ちゃんと行けてよかった。

この旅行を計画してからは、この休みが来るのがとても待ち遠しかった。長渕さんのライブで「明日が来るのが待ち遠しい」という言葉を聞いて思い浮かんだのは、この夏休みを迎える前の日のことだった。

全部自分で決めたから、その日が待ち遠しいんじゃない?

そんな楽しいイベント、日々の生活ではそんなにない。会社の仕事は楽しくやってる。でも、「毎日が待ち遠しいなぁ」って程でもない。

この違いは何だろうかと思いを巡らせてみた。

いまのところは、周りから何を言われるでもなく、また必要に迫られるわけでもなく、それをやることを自分で決めてるかどうかの違いじゃないかな、と思ってる。

お仕事も、会社員だったら、完全に自分の意志でやろうとする仕事は限られてる。もちろんいろんな仕事に主体的には取り組むけど、どこかに、周りからの要請がある。割合の多い少ないはあるけどね。

一方で、大好きで、ライフワークとしてやってるコーチングは楽しみだ。完全に主体的でない部分として、資格の取得中で、ある一定時間やらないといけないとか、クライアントさんのご要望をいただいて初めてやるので、自分だけでやることじゃあない部分はあるけれど。やりたいと思ってやってることだから、毎回セッションはとても楽しみ。(コーチングで生計を立ててるわけじゃない、ってのも大きいかもしれない)

だとすると、「明日が来るのが待ち遠しい」と思って生きるには、自分の明日の予定に、「誰がやれって言ってるわけでもないし、やらなくても困らないんだけど、自分がやりたいと決めてやること」を入れておけばいいんじゃないかな?

To Doがいっぱいあることは幸せなこと。周りに必要とされてる証拠でもある。だけど、To Doばかりだと、自分の人生がTo Doに流されちゃう。

時間が空いたらやりたいことをやるんじゃなくて、「あしたはこれをやる日だ、うっしっし。楽しみだなぁ」としたほうが、明日が楽しみになりそう。

ざっとカレンダーを見ると、そんな予定、入ってない。これじゃあ、明日が来るのが待ち遠しくなんてならない。

そういう予定を入れて、明日を待ち遠しく生きる。新しい道標になるかもしれないなぁ。

ぜひ、サポートお願いします。いただいたサポートは、より多くの人にコーチングが届くよう、情報発信に活用させていただきます!