もう泣かないと決めた日から
「泣くな、男だろ!」
私が学生だった時、父からそんな台詞を体いっぱい浴びるようにして何度怒られたことだろう。今と比べて、ほんの些細なことで注意されたり叱られたりするたびに、わけもわからずにすぐ泣きベソをかいてしまうことが多かった。
加えて、特に小学生だった頃は、人並み以上にいじめを受けていた時期もあった。どれだけ誰かに助けを求めようと、自分なりに声を張り上げたとしても、誰も味方してくれる人はいなかったと記憶している。
それ以来、誰かからちょっとやそっとで叱咤や罵声を受けたりしても、人前ではほとんど涙を流すことはない。同時に、喜び、怒り、哀しみなど…様々な感情が涙を零してまで昂ることも、ほとんどなくなってしまっていた。
「泣く」ことに耐性が付いた代わりに、私は自らの顔に仮面を忍ばせるようにして無表情を貫くという、他人と比べてなんともいえない悪い癖がついてしまったと思う。
泣くだけでは何も変われない。
もしも、自分の感情にどこかしらの欠落があるとするなら、ある意味で紆余曲折を経ていくまでの過程で、唐突に覚えたその言葉に一因があるのかもしれない。
思えば、これまで亡くなった家族の親戚の葬儀に参列した時も、私は決して涙を流すことはなかった。父や母、それに弟をはじめ、その場に集まる人、誰もが故人との最期の別れを惜しみながら、涙を流し続けているにも関わらず。
少なくとも周りにいた中の一人は、泣こうとしなかった自分に対して、忌み嫌われていたのではないかと思う。もしかしたら、あの子に人の感情は持ち合わせていないのかと。
故人の前で、涙の一粒もまったく流そうとしなかった自分の息子を、父は果たしてどう思っていたのだろうか。
いずれ、自分の口から確かなければならないと思っていた。しかしその真相を探ることを、今となっては決して叶えられなくなってしまったのであった。
斎場に訪れるのは何度目のことだろう。
物心がついてから初めて来たのは、唯一おばあちゃんと呼べる人だった曽祖母が亡くなってからのことであった。それから同じ市内に住んでいた親戚の訃報が続き、その度に父が車を運転して、その場所へと家族共々向かっていた。
「ここの駐車場、いつも狭いんだよなぁ〜」と嘆いていた父も、今はもうすでに天国へと旅立ってしまっている。現在この世界に残されているのは、最後の最後まで病気と闘い続け、そして空へ解き放たれるまでに生きた証だった。
それもあと数分後で、父の姿は二度と目に映らなくなってしまう。そこから先は写真か、あるいは夢の中でしか会えない。
私が人の死に直面した際、いつか自分の肉親と、お別れをする日が来るのだろうかと、頭の片隅に留めておいていたつもりだった。だが時は残酷で虚しくも、とうとうこの瞬間を迎えてしまった。
弟を除く私たち家族を乗せた霊柩車は、長い人生の旅の目的地である斎場に到着した。入り口辺りに着くとすぐさま、父が入れられた棺は、先に現地入りしていた親戚や友人たちが待つ火葬炉へと運ばれて行く。
そしてー
父と、ほんとうのさよならがやってきた。
最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!