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瀬戸際に降り立つ

「ゲルニカ」や「泣く女」など、数々の芸術作品を世に残したことで世界的に知られている画家、パブロ・ピカソが放った名言に「芸術は悲しみと苦しみから生まれる。わたしは立ち止まりはしない」というものがある。

我ながら芸術的センスは皆無だと思っている私にとっては、たとえ下手くそになろうとも何かを創作するうえで、最も大事にしている言葉の一つとして胸に刻んでる。

 

特にこれといって公言はしていないが、一応は此処noteで毎日一回は何かしらの記事を投稿している身である。
近頃は毎日デスクの前に座ってはPCを開いて2〜3時間程度と、何かを映し出している画面と向かい合いながら文字を起こし続けているが、実のところ準備が整った所謂ストックしているものはほとんどない現状だ。

ある日のこと、2週間のうち1回おきに実家から東京に構えている自宅へと向かうために移動している最中のことだった。
道中で思いがけない事態に次々と直面し、時間をかなり要してしまったのである。

おかげで家に着いた時間帯は、いつもより遅くなってしまった。そのうえ日付が変わるまであと2、3時間ほどしかない。
なおかつ書き溜めておくべきストックでさえ、まともに形作られていない有り様であった。

まっさらな状況下でどうやって文字に起こしていくべきか。その前に、テーマすらろくに降りてきてない時点でかなり動揺していたのである。
しかし焦れば焦るほど、頭の上を舞っている言葉たちは逃げていくものだ。

このように追い込まれた中で一つの「苦しみ」とやらが、自分の中で滲み出始めていた。

もしかしたらこのままでは、日付が変わるまで投稿に間に合わないかもしれない。けれどなんとかして言葉を紡ぎたい、そんな感情も溢れ出ている。
誰のためでも何のためでもと云い聞かせる前に、自分が自分であり続けるために、しょうもなく空っぽな文面になったとしても、ここで立ち止まる訳にはいかない。

そして考えを研ぎ澄ませた結果、一つのテーマがようやく降り立ったのである。

それはまるで、あたりを一瞬にして眩しい光に包み込んでは轟かす雷のような閃きが、身体中に巡り巡ったかのように。

机の上に置いてあるPCのキーボードを通じて、文字に起こすために打ち込む速度を緩めず、ただ一心不乱に言葉を積み上げていく。
もはや今の私の手を止められるものはどこにもいない。止められるものなら止めてみろと言わんばかりに、突如生まれ落ちた謎の自信(?)が私を強く突き動かしている。

そうしてなんとか投稿を間に合わせることができた。PCの画面端に映し出されている時計を目にすると、時刻は日付を跨ぐギリギリの時間を表していた。

パブロ・ピカソが残した名言をこの場で再現するかのように、ほんのわずかな時間で苦しみ続けるも立ち止まらなかった私の中には、一つの達成感が生まれていた。
評価はどうであれ、一つの作品なるものが産み落とされた瞬間に立ち合えたのである。

別段、体を思いっきり動かしたわけではないのに、なぜかこの時だけ胸の鼓動も早くなっていて、おまけに息も上がっていた。
まさにスリル満点のアトラクションを乗り越えた気分だ。こうしてまた一つ、成長していくための礎を築くことができたのだった。

 

それにしても思い返せば、中学生の時に乗ったレッドタワー。あれは下手したら魂を吸い取られてしまうくらい、本当に怖かったなぁ…。

最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!