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一生に一度きりの深夜行

二十歳の年にして成人の日という祝日を迎える前の夜、私は悪友の自宅へと向かっていた。

これから居酒屋…ではなく私の実家の一室で、三次会なる催しを行う予定でいる。参加者は私を含め、高校生になってから交流を深めるようになった悪友、それからトミーの2人だけである。

そこに私と同じ中学校だった人間は、クラスメイトも含めて一人もいない。彼ら彼女らは今頃、市内にある駅前の居酒屋で大盛り上がりしていることだろう。

そんなことに気にかける余裕もなく、夜の市街地を走らせていた。過去これまでのことに気を取られるよりも、未来これからのことを気にする方が最優先だ。

 

この日に行われた成人式の会場は、当時通うのに苦痛で仕方のなかった中学校であった。その場所まで、時々しか連みのなかった唯一のグループの中に、身を潜めながら向かっていった。

会場となる多目的室で、何人か見知ったあるいはほんの少し関わりを持っていた人から「久しぶり」と声をかけられることはあった。

だが一方で、かつて共に過ごしていたクラスメイト達には、たったの一声でさえほとんどかけられることはなかった。

当然の反応だった。何せ中学生だった自分と20歳になった自分を比べたら、面影がまるで見当たらないほどに大きく変わってしまったのだから。

それはそれで自分にとっては好都合である。良い出来事を見つけるのが難しいほどの日々を送ってきた思い出を、「あの時は…」「あの頃は…」などとわざわざ語るだけの再会など真っ平御免だ。

故にこちらから「こんなに変わりました」なんて馬鹿げたことを言う必要もない。それはそれで「だからどうした?」と言われ、自ら墓穴を掘るような行動に等しいというものだ。

その後は校長先生ないしお偉いさん方から有難い言葉を頂き、写りたくもない集合写真を撮るために群れの中に入り、貰えるだけ物を貰って会場を後にした。

成人式という大事な儀式とはいえども、一通りの要件を済ますことができたら、これ以上誰かと話をすることやわざわざ長居する必要もない。

 

それよりも式を終えた後、私には大事な約束があった。夜になったら悪友、そしてトミーを自宅まで迎えにいくことだ。

二人とも同じ中学校ではなかったが、今でも親睦のある大事な存在である。その二人を連れて、これから二次会…いや三次会を行う会場とする私の実家まで、車に乗せて行くのだ。

悪友の自宅にたどり着くと、既に二人はある程度出来上がった状態であった。お互いの顔をルームミラー越しに覗けば、先に出席していた打ち上げ会場で最低でもグラス1杯のビールを飲み干してきたところだろう。

私より一足先に酔っぱらっている二人を乗せ、目的地である私の実家に戻る前に最寄りのスーパーに向かい、様々な酒類を購入した。

ビールや酎ハイだけでなく、ウィスキーやワインに日本酒など。合算すればさすがにひとりだけでは飲みきれない量の物が、つまみとして相性抜群の乾き物と一緒に、次々とカゴの中に投入されていく。

やがて私の実家に着いてからその後のことはあまり憶えていないが、たぶん夜が明けるまで思う存分どんちゃん騒ぎしていたことだろう。

こんな一度きりの深夜行を境目に、この先もお互いに年を取ってもこうした関係がずっと続いていくのだろう。

20歳を迎えた若かりし頃の私は、そんなことを純粋に思い描いていた。


最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!