見出し画像

エッセイへの入り口、人生におけるバイブル

気がつけば先日、自宅の近所にある書店に足を運び、「さるのこしかけ」というさくらももこ氏のエッセイ本を手に取っていた。



いつかまた、自分の手で取って読んでおきたいと思いつつ、社会人になってもなかなか触れるきっかけを見出そうとしないまま、幾星霜いくせいそうの歳月を経てしまっていた。

というのも私は一度、一昔前に「さるのこしかけ」を手に取り、読んでいたことがある。そして、この本をはじめて知ったのは、未だ読書することを習慣づいていなかった中学生の頃からである。



自分にとっては、その時がもっとも多くの文庫分を読んでいた時期であったと思う。学校側で決めた一環として半ば強制的だったとはいえ、振り返れば印象に残る本が幾つも刻まれている。

初めて触れたノベライズ作品である「十五才」や、熱が冷めないうちにもう一度手に取るほど熱中していた「十五少年漂流記」など。もちろん「さるのこしかけ」も、実は何度も読み返すほどに夢中になっていたものであった。

同時に、この本に出会ったことが、私にとってエッセイというものを知るきっかけになったのである。

この本で最も記憶に残っているエピソードといえば、私が過去の記事で書いた、さくら氏がまだ幼少の頃に初めて発した言葉が、カタカナで書かれた超絶長い看板を読み上げてご家族を驚かせた出来事なのは、間違いない。



他にも、さくら氏の姉がお見合いの相手をかたくなに断っていた理由が「ドイツ人と日本人の国民性の違い」と聞いた家族一同が黙ってしまったエピソードも、なかなか忘れ難いものがあった。

そして、私がもっとも印象深く残っていたのは、本編終盤に載っていた「実家に帰る」ことについてのエピソードだ。

そこに、さくら氏の母親が別れ際に「実家に戻ってくるんじゃない」と言ったセリフを、改めて手に取るまでの間も鮮明に覚えている。

そのエピソードが、ほんの僅かな文章でまとめられていながらも、当時の自分にとっては、今後歩もうとしている道が大きく開かれるきっかけになることを、まだ知る由もなかった。


私は未だ独身貴族の身であるが、今後もこのままでいるにせよ、仮に伴侶ができたとしても、実家に戻って長い時間留まり続けることを、おそらく選ばないだろう。

20代前半で上京する前も、先月まで留まり続けていた実家を離れることを選択した時も、いつか必ず独り立ちしなくてはならないと。自分の内に秘めた思いが、昔も今も宿り続ける限りは。


話がやや脱線してしまったが、もしも私が「さるのこしかけ」というエッセイ本に一切触れていなかったら、当時思い描いていた自分の将来を、人よりも薄っぺらいものに仕立てていたかもしれない。

何よりこうして、自分が此処noteでエッセイを書くことを選ばなかったと思う。もはやここまでくると、ただの結果論でしかない。他のエッセイ本に触れるという選択肢だって、十分あり得るのだ。

大袈裟だって揶揄されてもいい。余計なことを考えるよりも、いつか現在が過去へと遡るようになった時、堂々と胸を張って云えるものであり続けたい。

これまで半生の中でさくらももこ氏のエッセイ、そして「さるのこしかけ」に出会えたことが、自分にとってエッセイの入り口であり、人生における聖書バイブルであることを。

この記事が参加している募集

#人生を変えた一冊

7,948件

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!