見出し画像

言葉よりも強靭にして繊細な

ひとつ、またひとつと、文章を綴っていく。
そしてひとつ書き終えると奇妙な達成感が身体中を巡り、私をソファへと引き連れていく。
まるで直にバッテリーが切れる寸前のロボット掃除機が、のろのろと自動的にホームベースに戻っては充電し始めるように。

ここ数日の間こうして書き記すうちに私は、どこかにいるようでいないもう一人の自分と対話しているような感覚になっている。
あの頃の自分はどうでしたか?あの頃の私は正直でしたか?など、在り来たりな事で自問自答を繰り返している。そんな気がしていた。

私には、誰かに追い詰められた時すぐ黙ってしまう癖が昔からあった。

相手から一方的に理由を訊かれるような言葉攻めを受けた時、こちらは自然と頭の中が真っ白になって言いたいことが浮かばなくなり、何も言えなくなってしまう。相手の強力な言葉という武器を前に、こちらでは太刀打ちが出来なくなるほどに。

ならばあの日あの時どうして無言になってしまうのかを、私なりに考えてみた。

ただ単に真っ白になったのではない。この人に何を言っても空回りするだけ。平たく言えば無駄だと思うようになり、無意識に黙ってしまうという結論に至った。

かといって、理由を聞かれストレートに回答したところで、それは相手に対して火に油を注ぐようなものだ。
だからもう少しオブラートに包めるような言葉を探して、慎重に発言しないといけない。既に結論は出ているはずなのに、そこからまた新たに過程を踏まなければと思うと、その時間が、労力が、自分にとっては何の利益にもならない。
そう考えた時には、思考は完全に停止していた。

私のように、トランプで常に手札の中にいわゆる「絵柄」の入ったカードを持っていない人間は、限られた「数字」だけで対抗しなくてはならない。
ババ抜きや七並べのように、手札を減らすような動作は得意かもしれないが、ポーカーでは苦手な部類になるだろう。
こちらが「数字」だけのフルハウスやフォーカードなどの役で攻めても、「絵柄」を持った相手に同じ役で対抗されてしまったら為す術もないし、勿論ロイヤルフラッシュを決められたら、言うまでもない。

毒を以て毒を制するという諺があるように、言葉を以て言葉を制さなければいけない。だがどうしたものか、私の手持ちにある言葉だけではどうにもならなくなり、その結果「無言」という悪あがきを必然的に覚えてしまった。
それが唯一、対抗できる手段と認識したからなのだろうか。しかしそれでは、対抗するなら手段は選ばないという非道徳的なことと相違ない。

私は、思わず黙ってしまうことが良くないとは思わない。時に無言を貫くことは、自分自身を守るという意味では必要になってくるだろう。
とはいえ頻繁になってしまっては、狼少年と同じ末路を辿ることに成りかねない。切り札は、いざというときに使うからこそ効果を発揮するものであり、同時にそれを行使する自身にも真価が問われるものだと思う。

最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!