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#014 教養ってなんだろう?

今日は、教養についての話。

我が家では、これまで何百回、何千回と話題に出ている言葉、それが「教養」です。教養って、なんじゃろ?というところから、1回目はスタートした気がします。教養とは、Googleの日本語辞書によると「学問・知識を(一定の文化理想のもとに)しっかり身につけることによって養われる、心の豊かさ。」とあります。東大のとある教授は、「情報を正しく選別する力。情報を結び付けて活用する力。」といっていて、情報リテラシーのような意味合いでしょうか。他にも、アメリカのとある文化人は、「教養とは、相手の気分を害さず、自分の自信も失わずに、人の意見を聞く能力のことである。」と言っています。1回目から、家族には同じことを言いましたが、教養が何であるかについて明確な答えは無いのだが、どうやら、ぼんやり、「心の豊かさ」のレベルを上げるためのインプット(学問・知識)とトランザクション(思考・姿勢・習慣)のことを指しているようである、と。

さて、我が家では、教養があると、どんなメリットがあるのか、ということについては一つの答えが出ています。教養を身に付けていると、「自分を含めて周りの人々を間違った方向に向かわせないことができる」ということです。決して、成功するための必要条件でもなければ、これがあれば、何も心配はいらないというものではありません。これがあれば、最悪の事態は防げるという類のものが教養であると考えています。人によっては、えっ、それって必要?と思うかもしれません。しかし、人類の歴史、個人個人の歴史をみてみても、これこそがもっとも大事なことである、というのが私の結論です。

タモリさんが、愛という感情があるから、争いはなくならない、と言っていました。それは私も同意です。一方で、教養を持つ賢者がたくさんいたら、戦争のような悲惨なことは起こらなかったかもしれません。個人同士、チーム間、企業間での小競り合いも、教養を持つ賢者がたくさんいたら、共存の道を探し出せたかもしれません。誰かが利己的な判断や感情のままに行動したから、相手の背景を知らずに正義をふりかざしたから、起きてしまった間違いは日常にたくさんあります。それを防ぐものこそ、教養であると私は考えています。

教養を身に付ける意味を示す一例ですが、この前、出雲大社について、旅行者から質問されたら、なんと答える?と息子たちに聞いてみました。小6の長男は、10月は日本全国の神様が出雲大社に集まって、次の年に起こることを話し合って決める会議を行う、と言われていて、その決めることの一つに、結婚のご縁もあるから、出雲大社は縁結びの神様としても有名です。また10月に神様が集まるので、他の地方では、10月のことを神無月といいますが、出雲地方では神在月と言います、と答えてくれました。とても素晴らしい説明です。しかし、これは誰に説明したのですか?彼が想定した旅行者はおそらく日本人です。でも、外国人の旅行者だとしたら、この説明で合っているでしょうか?おそらく、外国人の中の何人かは、なぜ、そんなに神様がたくさんいるのですか?という質問をするかもしれません。私の信じている宗教では、神様は一つです、と。そうなると、日本は古くから万物に神が宿るという信仰があることを話さなくてはなりません。その石にも、その木にも、山にも、海にも、家にも、神様が宿っている、八百万の神々、という考え方があることをまずは説明する必要があるかもしれません。相手に合わせて、適切な受け答えをすることができる能力、それこそが教養である、と伝えています。

さて、その「教養」を誰が子どもに教えるのでしょうか?リベラルアーツとよんで、教養を教えている高校や大学は日本にも海外にも多くあります。でも、教養ってもっと早いうちから、子どもに関心をもたせて良いのではないかと考えています。学校での、教科の勉強も勿論、大切ですが、家の中で、教養と呼ばれる知識や考え方を日常的に、話すことも同じように大切ではないかと考えています。

我が家では、「教養」は、文法(話し方)、論理的思考、芸術・音楽、宗教、哲学、経済(お金)の五つと定義しています。

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