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政治講座ⅴ362「米国企業のトルコ経由の迂回ロシア取引の実態」

敵の敵は味方、味方のようで味方ではない。敵のようで敵ではない。とかくこの政治の世界は騙し合い。日本と米国は戦うべき相手ではなかった。米国の政府内部にソ連の内通者がいて「日本が敵である(黄禍論)」と洗脳された部分があるのである。
米国とトルコは仲が悪かったはずなのにトルコを通じて貿易を模索などの抜け駆けをするとは油断ならないのが米国なのである。米国を称してアメーバー似たいな生物のように形を変える生物であると。まさにアメーバーである。今回も報道記事を紹介する。

             皇紀2682年9月7日
             さいたま市桜区
             政治研究者 田村 司

はじめに

支那もしたたかな国であるが、米国も勝るとも劣らないほどのしたたかさを持つ。日本も原理原則に振り回されずに、したたかに対応すべきであろう。

米国企業は、トルコを通じてロシアと貿易する方法を模索している

2022年8月31日, 05:40

© Sputnik / Evgeny Odinokov

トルコの新暁新聞(イェニシャファク)は30日、トルコの財界関係者を引用し、ウクライナ情勢を理由にロシアから撤退した米国企業は、トルコを通じて密かにロシアと貿易する方法を模索していると報じた。

同紙によると、多くの企業が西側による対ロシア制裁を迂回したいと考えており、一定の手数料と引き換えに共同で事業を行うことをトルコ企業に提案している。財界関係者は新暁新聞へのコメントで、過去数カ月でこのような提案の数が増えたと指摘した。

米国企業は現在、ロシアから商品を購入してロシアトルコドバイ米国ルートで事業を行っている。そのために米国企業は、ドバイのフリーゾーンに設立した自社の子会社を引き込んだ。ロシア市場での損失をカバーするのが目的米国企業ロシアから購入したいと考える主な商品は、石油化学製品、化石燃料、貴金属及び貴石、穀物、鉄鋼、肥料と無機化学品、水産物、アルコール飲料だという。

トルコ企業、欧米企業のロシア事業買収に関心

(トルコ、ロシア、欧州、米国)

イスタンブール発 2022年07月04日

ロシアによるウクライナ侵攻の影響で大手外資系企業が撤退傾向にある中、両国に対して中立的な立場を維持しているトルコの企業ロシアから撤退を検討している欧米企業の事業の買収に関心を示す事例が見られる。

トルコのコチ財閥傘下の大手家電メーカーのアルチェリキは6月28日、ワールプールEMEA(本社:イタリア)との間で、家電メーカーのインデシット・インターナショナルワールプール・ロシアがロシア、中央アジア、コーカサス、モンゴルで手がけていた事業を約2億2,000万ユーロで買収することに合意したと発表した。

ほかにも、スウェーデンの家具販売大手イケアが2013年にトルコのフィバ・ホールディング傘下のクレジットヨーロッパ銀行(オランダの登録銀行)との合弁で設立したイカノ銀行のロシア事業のシェア(50%)を、フィバに売却することで交渉していると報じられている。

また、トルコの靴小売りチェーンのFLOがドイツのスポーツ用品大手アディダスの子会社リーボックと、同社がロシアに保有する100以上の店舗約15億ルーブル(約34億5,000万円、1ルーブル=約2.3円)で買収する交渉をしているとされる。

このような動きがある中で、トルコの現地報道によると、多くのトルコの小売り業者が所属する統一ブランド協会(BMD)は5月19~22日の現地訪問などを通じて、ロシア進出に向けた情報を収集したとしている。BMDのシナン・オンジェル会長は「ロシアでは、欧米系のブランドのほとんどが店舗を閉鎖しており、フランスのブランドは既に活動していないが、イタリアのブランドはまだビジネスを続けている。イラン、中国、インドなどのブランドも、ロシアから撤退する欧米ブランドのシェアの獲得を狙っている。われわれも遅れることなく、多くのメンバー企業とロシアを訪問したい」と述べている。ロシアの「イズベスチヤ」紙は5月27日、トルコのエイディエル(adL)、ムド(Mudo)、エルティビ(LTB)、ツイスト(Twist)、イペクヨル(Ipekyol)など、衣類やインテリア、家具などの複数のブランドがロシアで店舗をオープンする準備を進めていると報道している。(エライ・バシュ)

ロシアとトルコ関係深化、対ロ制裁順守に懸念

2022.8.25 3:45 

【イスタンブール】トルコとロシアは経済面での連携を緊密化させている。このため米国やその同盟国の間で、こうした関係強化がウクライナ侵攻をめぐるロシアへの制裁を弱める恐れがあるとの懸念が高まっている。
 貿易・金融面での関係拡大は、トルコとロシアが困難な国内経済を支えるため、いかに頼り合っているかを示している。ロシアは2月にウクライナ侵攻を開始して以来、西側諸国が広範な制裁を発動したのを受け、国際的な孤立を緩和するためにトルコにますます寄り掛かっている。トルコのレジェプ・タイップ・エルドアン大統領は、自身が主導した金融政策が主因となって起きた経済危機の中で外貨を必要としている、とエコノミストらは指摘する。


不倶戴天の敵だったトルコとロシアの接近

トルコとロシアの接近 2021-03-01

最近トルコはシリア、ナゴルノカラバク、リビア等周辺国の軍事作戦に積極的に参加しています。その殆どの紛争で、ロシアが敵側に名を連ねています。古くからロシアとトルコは数多くの戦争を経験し、仮想敵国として対峙してきましたので、当たり前の様に見えますが、最近の紛争を良く観察すると、プーチンとエルドアン両大統領が裏では手を握っている様子が見えてきます。米国の中東離れが加速化する中、ロシアとトルコがこの地域で活動を活発化させているというのが現実の様です。

英誌Economistが「Putin and Erdogan have formed a brotherhood of hard power - But the bond is brittle」(プーチンとエルドアンはハードパワーの兄弟関係を形成した -
しかし、絆はもろい)と題した記事を掲載しました。かいつまんでご紹介したいと思います。Economist記事要約
ロシア政府は、NATOがプーチンを倒そうとしたと非難しました。プーチン氏の政敵であるアレクセイ・ナワルニーをアメリカの代理人として描いており、ナワルニー氏の投獄を非難した欧州連合を「信頼できないパートナー」と呼んでいます。しかし、プーチン氏が満足しているNATO加盟国EU加盟国候補があります。それはトルコです。トルコのエルドアン大統領は、ナワルニー氏の虐待やそれに抗議した何千人ものロシア人の逮捕については何も述べていません。彼の沈黙は、2人の権威主義的指導者の間で発展した注目に値する信頼関係の証です。それは本来はあり得ない関係です。深い歴史的対立がロシアとトルコを分断し、両国は多くの地域で、時には激しく衝突します。それでも、2人は、地域の政治を再形成し、トルコの西側の同盟国に厄介な問題を引き起こすハードパワーの絆を共有しています。
歴史的に、ロシアとトルコは十数回戦争を行ってきましたが、第一次世界大戦の終わりに両帝国が革命によって変容して以来戦争はありません。大陸をまたがる両大国は、彼らの利益が重なる地域で絶えず摩擦を起こしてきました。そして多くの点で今でもそうです。たとえば、彼らは最近、リビアとシリアの内戦をめぐって小競り合いを行っています。9月、彼らはロシアが裏庭と見なしている南コーカサスで向きあいました。トルコが武装し、チュルク語を話すイスラム教徒のアゼルバイジャンとロシアが後見人であるアルメニアの間に生じたナゴルノ・カラバフをめぐる紛争が大きな戦争に広がるのではないかと心配されました。しかし、トルコのドローンがアルメニア側が使用したロシアの戦車を打ち負かしても、プーチン氏はエルドアン氏を取引できる人物として賞賛しました。「そのようなパートナーと一緒に働くことは楽しいだけでなく安全でもあります」と彼は10月に外国の聴衆に話しました。次に、エルドアン氏は、トルコがロシアから購入したS-400防空ミサイルシステムをテストすることにより、プーチン氏に敬意を表しました。11月、彼らはロシアにナゴルノ・カラバフでの軍事的プレゼンスとトルコに南コーカサスでの経済的拠点を与える事にによって戦いを手仕舞いしました。その取引は、ロシアとトルコが反対側にあった冷戦時代とは異なる、地政学的な混乱を表しています。
「彼らは両方とも、重要なのは力のバランスではなく、その力を使用する準備ができていることを理解しています」とロシア国際問題評議会の責任者であるアンドレイ・コルツノフは言います。
アメリカは優れた軍隊を持っているかもしれませんが、シリアに関与することに消極的だったため、ロシアとトルコがその地域を仕切りました

そして、ナゴルノ・カラバフをめぐる30年近くの実りのない話し合いの後、アゼルバイジャンが領土を取り戻したのは、トルコの軍事的支援とロシアの黙認でした。プーチン氏にとって、これは新しい多極秩序のデモンストレーションであり、2007年にミュンヘン安全保障会議で彼が最初に冷戦後の秩序に問題を提起したときから提唱していたものでした。
ロシアの使命は、アメリカの新しい覇権を制限することでした。
ナゴルノ・カラバフは、ロシアが西側諸国の影響を最小限に抑えるためにトルコと協力した初めてのケースではありませんでした。
ボルシェビキ革命とオスマン帝国の崩壊の余波で、ケマルアタチュルクレーニンを同盟国と一時的に見、ボルシェビキはトルコを世界支配の探求の共犯者と見なしました。
彼らはトルコにギリシャ人とイギリス人と戦うための武器を供給し、トルコ人はボルシェビキがアゼルバイジャンの油田を支配し、南コーカサスで彼らの支配を確立することを許可しました。トルコの北東の国境を固定し、南コーカサスでの存在を制限する、1921年のアタチュルクとレーニンの間の協定はそれ以来続いています。
昨年のナゴルノ・カラバフをめぐる戦争は、その取引の残滓でした。エルドアン首相がトルコを以前の勢力圏に投影している間、西側との対決でトルコをNATOのくさびとして使用することを望んでいるのはプーチン氏です。
近年、トルコがロシアと軍事的に衝突した唯一のNATO国であることを考えると、最近の両国の緊密さは注目に値します。
2015年、トルコはシリア上空を飛行した後、領空を侵犯したロシアの戦闘機を撃墜しました。ロシアは、トルコに対して経済制裁を課し、シリア北部のトルクメン民族を爆撃することで対応しました。
トルコは、国境のシリア側でイスラム国とクルディスタン労働者党(PKK)の過激派を追跡することが不可能であることに気づきました。ロシアはエルドアン氏の家族がテロリストから石油を購入したとまで非難しました。
雪解け何が変わったのか?

2016年の夏、プーチン氏がトルコでのクーデターにより約270人が死亡した後、トルコ大統領と会話を始めてから、関係は改善し始めました。「プーチンはすぐに電話をかけました」とトルコの当局者は言います。ほとんどの西側の指導者はそうするのが遅かった。エルドアン首相は直ぐにロシアを訪問し、ガスパイプライン契約に署名し、トルコ南部のロシアの原子力発電所での作業を再開することに同意しました。2015年にロシアの飛行機を撃墜した2人のパイロットは、クーデターに関与した罪で刑務所に入れられました。「戦闘機撃墜事件は、トルコとロシアの関係においてターニングポイントでした」と、イスタンブールのマルマラ大学のロシア専門家であるエムレ・エルセンは言います。
「NATOがトルコの助けに駆けつけなかった後、トルコはシリアへの関与を高める唯一の方法はロシアとの合意によるものであることを理解しました。その合意は今も続いています。」2016年以来、エルドアン首相はプーチン氏と他のどの指導者よりも多くの会談を開催してきました。ロシアは、シリアの内戦においてトルコの敵から、最も重要なパートナーになりました。
トルコは、ロシアの同意がある場合にのみ、シリア北部で軍事作戦を遂行することができました。エルドアン首相の内輪には現在、ロシアと中国との協力にオープンであり、ヨーロッパとNATOに対して敵対的な「ユーラシア主義者」のグループが含まれています。彼らは西側との緊張を高めています。

ロシア製S-400防空システムを購入するという決定は、これまでのところ、新しい関係の最も重要な要素です。2年前、エルドアン氏はこの購入を「私たちの歴史の中で最も重要な取引」と呼びました。システムは安くはありません。トルコが支払った代償には、ハードウェア自体の25億ドル、アメリカのF-35プログラムからの追放、それに伴うトルコの武器産業の契約における90億ドルの損失が含まれていました。12月、アメリカはトルコの防衛調達庁に対して追加の制裁を課しました。
エルドアン首相は、トルコ自身のF-16が彼の官邸を爆撃した2016年のクーデターで発生した種類の脅威に対抗できる兵器システムを切望していた可能性があります。
彼の支持者の多くは、おそらく、アメリカがそのクーデターに関与したと信じています。ロシアの軍事諜報機関がエルドアン氏の生命への差し迫った脅威について彼に通知したという噂もあります。
シリアでは、アメリカが政権との対立を避け、化学兵器の使用というレッドラインを引いたにも拘らず決定的な行動をとらなかったため、トルコ人はロシアと取引するしかなかったと述べています。トルコはまた、地上のオペレーションをクルド人に外注するというアメリカの決定に不満を抱きました。トルコ当局は、アメリカがロシアをシリアの主要な権力ブローカーとして浮上させることを許可しただけでなく、PKKのシリアの分派と協力してトルコを疎外したと批判しています。一方、プーチン氏は寛容であり、トルコが戦闘ドローンでシリアの部隊を打ち負かすことを許可しました。
プーチン氏に関する限り、シリアのアサド氏を助けるよりも、トルコを使って内部からNATOを弱体化させることがさらに重要です。

同じ動機は、トルコがアゼルバイジャンを支援したときの、ナゴルノ・カラバフをめぐるアゼルバイジャンの戦争におけるロシアの黙認を部分的に説明しています。

プーチン氏は、そこでの仲介者としてのロシアの役割を、平和維持軍の形をしたロシア軍の駐留に拡大させることに成功しました。トルコは、この地域での名声と、アルメニアからバクーへの輸送回廊の約束の両方を獲得しました。これは、中国の一帯一路イニシアチブと連携する可能性があります。西側は何も得られませんでした。貿易と投資もトルコをロシアに拘束する役割を果たしています。ロシアのエネルギー輸出が貿易の大部分を占めているため、トルコはロシアとの間で134億ドルの赤字を抱えています。「しかし、ビジネス上のつながりを過小評価してはなりません」とマルマラ大学のBehlulOzkan氏は言います。「エルドアン氏の党AKPに近いトルコの建設会社は大きなプロジェクトを落札しています。」 2010年から2019年の間に、ロシアはトルコの請負業者にとって圧倒的に最大の市場であり、完了したプロジェクトは400億ドルを超えました。

相互支援

両首脳は経済運営では苦戦しています。トルコでは、2018年以来、インフレと失業率は2桁を記録しています。4年足らずで、トルコリラはドル価値の半分を失いました。ロシアの経済の停滞と実質所得の6年間の減少は、クレムリンに対する幅広い不満を煽っています。
プーチン氏もエルドアン氏も、国内の問題から注意をそらすために海外への侵略に訴えました。もう一つの要因も働いています。トルコとロシアは、ヨーロッパから排除されることに痛みを感じています。
トルコのEU加盟の試みは、60年近くにわたって拒絶されてきました。
今日の好戦的で権威主義的なトルコは明らかにEUに居場所がありません

しかし、それはヨーロッパが、8000万人を超えるイスラム教徒の国を恐れたのであり、たとえそれが繁栄した民主主義になったとしても、トルコはおそらくEU加盟を許可されないでしょう。
両方の独裁者は帝国への郷愁を共有しています。プーチン氏は、ソビエト帝国の一部を再建している愛国者として自分自身を描写し、ジョージアとウクライナに対して戦争を行ってきました。彼は、最近では衛生国であるベラルーシとアルメニアを縛りつけようと努めています。
エルドアン首相は、オスマン帝国をトルコの積極的な外交政策の根拠とし、ガスが豊富な東地中海でギリシャ、キプロス、フランスと対峙することについて騒ぎを起こしました。彼は自分自身がイスラム世界を代弁していると自認しています。
「エルドアン首相は、多くの西洋の指導者とは違うプーチンとの個人的な関係を持っています」とエルセン氏は言います。
「どちらも自国で挑戦者がいない実力者であり、決定を実行する力を持っていることをお互いが知っています。」
エルドアン首相は、米国大統領との取引は、独立した官僚機構、世論、議会によって変更されるスクがあることを知っています。しかし、プーチン氏との間では、そんな心配は不要です。エルドアン首相はまた、プーチン氏の「既成事実化」を得意とする外交政策を熱心に学んでいます。ロシアはシリアでトルコ軍を翻弄し、クリミアを併合しました。
「エルドアンはハードパワーの価値を認識しています」とドイツ国際安全保障研究所のキニクリオグル氏は言います。クリミア半島の占領後、トルコの指導者は、侵略が常に罰せられるとは限らないことに気づきました。
トルコ政府は、西側の弱さ、意見の不一致、優柔不断、混乱を見ており、これを近隣に介入する機会と見なしています」とキニクリオグル氏は言います。ロシアはクリミア、ドンバス、リビアに傭兵を送りました。
トルコは、おそらく民間警備会社を通じて、リビア、そしてアゼルバイジャンでの戦闘に参加するために数百人のシリアの傭兵を配備しました。
ロシアは天然ガスを使ってヨーロッパの政府に圧力をかけています。トルコは移民と難民を利用しています。
もちろん、2人の大統領と彼らが率いる国の間には大きな違いがあります。大統領任期の制限を廃止した憲法上のクーデターの後、プーチン氏は独裁政権にはるかに近づきました。一方、エルドアン氏の力はしっかりと定着していません。
トルコ最大の財閥は、大統領を受け入れるが大統領を好まない世俗的なメンバーによって運営されています。
エルドアン首相は、多くの敵対者を拘束し、マスコミを扇動し、法廷を支配しましたが、それでも、激しく争われている選挙に対処しなければなりません。世論調査では彼の党の支持は低迷しています。
2年前の地方選挙で、トルコ最大の都市イスタンブールと首都であるアンカラの支配を失いました。
ロシアとトルコはまだ真の同盟から遠く離れており、決して結論を​​出すことはできません。
「私たちは戦略的パートナーシップについて話しているのではありません」とビルケント大学ロシア研究センターの責任者であるOnurIsciは言います。「トルコには、西側との制度的関係全体が崩壊する危険を冒す余裕があるとは思いません。」二国はシリアで協力しましたが、彼らは敵側に対峙しています。リビアとナゴルノ・カラバフ紛争でも同じことが言えます。
両国はまた、ジョージアとウクライナに対して、ほとんど相容れない見方を持っています。
トルコは両国がNATOの加盟国になる事を望んでいますが、ロシアにとってそれは絶対にノーです。
その結果、ジョージアとウクライナは現在、トルコをロシアに対する重要な対抗勢力と見なしています。これはエルドアン首相が喜んで利用している役割です

トルコはウクライナとの経済的および防衛的関係を強化しています。
2019年には、ウクライナ軍による最初の購入である戦闘ドローンの半ダースをウクライナに販売しました。「トルコは30年前のトルコではありません」とトルコの当局者は言います。「私たちの防衛力と経済力は向上しました。私たちは自分たちが弱い立場からロシアと話しているとは思っていません。」
エルセン氏によると、ロシアとトルコは可能な限り共通点を模索しますが、特に黒海とコーカサスでは、トルコの立場がロシアよりも西側に近いままであるため、利益を調整するのは難しいでしょう。同氏は「地政学的な問題はトルコとロシアの関係の根底にあるものです」と述べています。彼らの長期的な見通しもまた分かれています。
トルコの人口動態の見通しと経済成長の見通しはロシアよりはるかに明るいです。その人口は増加しています。ロシアは減少しています。
現在、トルコははますます西洋の同盟国から遠ざかっている様に見えます。しかし、ロシアとのパートナーシップは最近のものであり、基盤が薄く、可逆的です。バイデン大統領の注意を争う多くの問題の中で、トルコが西側からプーチン氏の手に渡る事を阻止することは、最重要事項の一つに数えられるでしょう。

トルコの将来は

以前セントペテルブルクを訪れた際に、ロシア人のガイドさんから「ロシアとトルコは何回戦争したかご存知ですか」と聞かれ、「クリミア戦争と露土戦争の二回」と答えたら「11回」という答えが返ってきました。

クリミア戦争と露土戦争は11回に含まれるそうですが、それだけ昔からロシア帝国とオスマン帝国は反目し合っていたという事になります。

近代になっても、ロシアの南下政策を封じ込める上で鍵を握るトルコを西側諸国は大事にしてきました。イスラム教徒が大多数を占める国の中でNATOに加盟しているのがトルコだけというのは、それを象徴しています。ここのところ、トルコがロシアに接近しているのは事実であり、その根底には、プーチン、エルドアン両者の個人的関係があるのは間違いありません。

そしてこの信頼関係が固まったのは、2016年のトルコにおけるクーデター未遂事件の際に、プーチンがいち早くクーデターが起こる事をエルドアンに伝えたからではないかと思います。もともと両国は仮想敵国ですので、ロシアはスパイを大量にトルコに送り込んでおり、クーデターが起こる事は事前に察知していたでしょう。
トルコとロシアの接近の理由はそれだけではありません。西側諸国の失策も大きいと思います。Economistが唱える通り、トルコはEUへの加盟を希望していたにも拘らず、EUから屁理屈を唱えられて加盟させてもらえませんでした。これはトルコを欧州から遠ざける原因になっています。またシリアなどの問題についても、口は出すが実行が伴わない欧米は頼りないパートナーと思われています。しかし、トルコがこのままロシア側に近づいていくかと言えば、そうはならないと思います。

ロシアの海への出口を抑えているトルコは、地政学的に言えば敵対するのが自然です。西側諸国は地域大国であるトルコを何としてでも西側にとどまらせるべく努力すべきと思います。トルコが西側にとどまればロシアや中国の影響が黒海、コーカサス、中央アジア、中東に広がる事を効果的に抑える事が可能になります。数世紀にわたりロシアの南下を食い止めてきたトルコの地政学的重要性を、バイデン政権を初めとする西側諸国が再評価する事が期待されます。

My opinion.

エルトゥールル号遭難事件で受けた恩を95年後、121年後に報いてくれる人情深いトルコの人々に改めて感謝する次第である。イラクからの脱出時に自国民より日本人を優先して脱出させてくれたこと2011年3月11日に発生した東日本大震災への大変な支援に感謝している。次にその出来事の記事を掲載する。

トルコと日本の深い関係とは?エルトゥールル号遭難事件や交流の歴史

日本とトルコの交流の歴史は古く、最初の交流は1873年にさかのぼります。この当時フランスに滞在中だった岩倉使節団が、立会裁判諸制度の視察にイスタンブールを訪問したのが最初の交流です。

岩倉使節団とは岩倉具視が率いていた総勢107名もの使節団で、大久保利通や伊藤博文といったそうそうたるメンバーも加わっていました。以降、日本はトルコに度々訪問を重ね、当時の外相や皇帝スルタン・アブテュルハミト2世に謁見するなど交流を図ってきました。

日本とトルコの交流がさらに積極的になったきっかけは、1890年に起こったトルコ船の遭難事件です。この当時の日本の行動により、トルコとの絆は強まったといえます。現代に至っては日本国内に多くのトルコ友好協会が存在しているほどです。

トルコ友好協会はトルコに関心が高い人やトルコが好きな人が集まり、交流を図るイベントなどに力を入れています。日本トルコ文化交流会を例にあげると、日本とトルコの芸術や文化、スポーツなどを取り上げるイベントなどを開催し、両国の親睦を深めているのです。

エルトゥールル号遭難事件は、1890年に和歌山県串本町の沖合で沈没したトルコ船の乗組員を、現地の日本人が献身的に救助した出来事です。トルコが親日国家となったきっかけといわれています。

エルトゥールル号は、1887年にオスマン帝国から日本に派遣された船で、600名を超える特使が乗っていました。事件が起こった場所は和歌山県の串本町の沖合。日本に近づいていた台風の影響でエルトゥールル号が岩礁に衝突し、沈没してしまったのです。

エルトゥールル号が日本での責務を終え、帰路につくタイミングでした。この事故によってほとんどの乗員は海へ投げ出され、500名を超える死亡者と行方不明者が出ました。

このとき、和歌山県の串本町の近隣で村民が協力し、捜索や救助、介抱を行っています。結果として587名の命が犠牲になりましたが、69名は無事に救助することができたのです。

まとめてしまうと簡単な内容に感じるかもしれません。しかし、当時の村民による救助活動は、自分の命まで犠牲にしてもおかしくない必死なものでした。救助には子どもから大人までが参加し、生存者がいないかどうか、荒れる海に飛び込んだといいます。

海岸には大勢の遺体が打ち上げられました。その中に紛れた生存者を見つけては、息絶えないよう自らの体温で温める人もいたのです。亡くなってしまった乗員は村民たちによって手厚く葬られ、生存者には心づくしの介護が続けられました。

オスマン帝国は、このときの日本人による救助活動に大きな感銘を受けたといわれています。後日、この事件を聞いた日本政府は生存者を東京に移送し、医療機関での治療を行って全員が快方に向かいました。最終的には生存者全員を日本政府が故郷まで送り届けています。

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和歌山県串本町では今でもエルトゥールル号遭難事件が語り継がれている

エルトゥールル号の残骸は今でも和歌山県串本町沖の海底に沈んでおり、実は現代に至っても引き上げ作業と調査は続いているのです。事件が起こった串本町では、犠牲者を弔うために建てられた慰霊碑の前で、今でも5年ごとに追悼式典を行っています。串本町には、事件の遺品や写真などを展示したトルコ記念館もあります。
「エルトゥールル号遭難事件」は、トルコの教科書に載っていた時期もありました。しかし、年月の経過とともに次第に取り上げられることは減りつつあります。そのため、「エルトゥールル号遭難事件」について知らない人も増えているといいます。

一方、若い層を中心に「エルトゥールル号遭難事件」についてよく知らないトルコの人でも、親日感情を持つ人は少なくありません。2013年に、日本人女性がトルコで殺害されるという事件が起こりました。その際、現地住民は皆で集まり、女性への謝罪と哀悼の意を示したといいます。2013年の事件を見ても、トルコ人の多くは今でも親日家であることがわかります。

トルコから日本への恩返し:イラン・イラク戦争での日本人救出

日本とトルコの交流の深さがわかるエピソードは他にもあります。ここではイラン・イラク戦争の際、トルコ航空が日本人を救出したときの話を解説します。


救出が必要になったきっかけ

事件が起こったのは1985年のことでした。当時イラクの大統領だったサダム・フセインは「イラン上空を飛ぶ飛行機のすべてを48時間後に撃ち落とす」という恐ろしい宣言をしたのです。飛行機のすべてとは外国籍の旅客機も含まれることになります。

イラク国内に滞在中のすべての外国人は帰国ができないことでパニックに陥りました。このとき、多くの国では救援機を派遣して自国民の救出に当たりました。ところが、日本人だけがテヘラン空港に取り残されてしまいます。理由は、憲法違反を危惧した日本政府が、自衛隊機での救助をできずにいたからです。


「私たちはエルトゥールル号の借りを返しただけです」

他国の人々は次々と救出される中、216名の日本人だけがテヘラン空港に取り残されます。タイムリミットが近づく中、1機の救援機がテヘラン空港に着陸しました。それはトルコ航空でした。トルコもイラクに国民が残っていましたが、自国民ではなく日本人の救出を優先したのです。そして無事に日本へ脱出し、全員が無事に帰国を果たすことができました。

このとき、イラク国内に残っていたトルコ人は500名で、救援機に同乗することは無理だったのです。残されたトルコ人は陸路でイラクを脱出しました。自国民を置いて日本人を救援することは、通常であれば非難の対象になってもおかしくはありません。しかし、この行動はエルトゥールル号での恩返しといわれ、非難する者はいなかったとされています。

トルコ航空が日本人を救出してくれた理由として、当時の駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は、「私たちはエルトゥールル号の借りを返しただけです」と答えたそうです。

東日本大震災でのトルコの援助

2011年3月11日に発生した東日本大震災では、多くの国から救援物資が届けられました。中でも、トルコからの支援は手厚いものでした。32名の救助隊に18.5トンの飲料水、さらに豆やツナなどの缶詰が約6万8800個、そして約5000枚の毛布が届けられたのです。

そのうえ義援金として1,600万リラと、ニューヨークのトルココミュニティから3万ドルも寄付されました。その他にも、トルコ大使館ではトルコの高価な工芸品を集めてのチャリティーバザーが開かれています。

トルコからの恩返しは吾輩の記憶にも鮮明に残っている。この記事を読みながら当時を思い出して感謝と感動で涙ぐんでいる次第である。
どんとはらい!

参考文献・参考資料

米国企業は、トルコを通じてロシアと貿易する方法を模索している - 2022年8月31日, Sputnik 日本 (sputniknews.jp)

トルコ企業、欧米企業のロシア事業買収に関心(米国、欧州、ロシア、トルコ) | ビジネス短信 ―ジェトロの海外ニュース - ジェトロ (jetro.go.jp)

ウクライナ情勢受け、トルコ経由の対ロシア貿易を模索する動き(欧州、ウクライナ、ロシア、トルコ) | ビジネス短信 ―ジェトロの海外ニュース - ジェトロ (jetro.go.jp)

ロシアとトルコ関係深化、対ロ制裁順守に懸念 | WSJ PickUp | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)

不倶戴天の敵だったトルコとロシアの接近 - MIYOSHIN海外ニュース

トルコと日本の深い関係とは?エルトゥールル号遭難事件や交流の歴史 | トルコ旅行 トルコツアー・観光なら、安心の『ターキッシュエア&トラベル』におまかせ! (turkish.jp)

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