政治(法律)講座v1730「氏と姓の苗字の違い」
過去に「姓」と「氏」について、再三ブログに掲載した。
社会の根幹を変える問題を取り扱う者に「語彙」の正しい使い方をして欲しいものである。
特に報道機関の記者には教養知識を取得したうえで記事を書いて欲しいと切に望む次第である。
夫婦別氏であろうが、夫婦同氏であろうが、吾輩はどちらでもよいと考えている。しかし、社会的混乱や家族間の扶養制度の崩壊に繋がらなければよいと考える。
以前のブログにも詳細を説明しているが、未だ、報道記事に「姓」と「氏」を混同したまま、しかも、歴史的経緯も家制度の経緯も把握せずに論じている報道機関の姿は片腹痛いのである。高学歴なのに以外に無知なのに偉そうに主張する報道記事とその姿は惨めさと哀れさを感じるのである。
今回はそのような悪事例の報道記事を紹介する。
皇紀2684年4月13日
さいたま市桜区
政治研究者 田村 司
蛇足:ある小学校の給食のときの礼儀として「いただきます」と言わせている。この「いただきます」に対して、クレームを付けた親(モンスターペアレント)がいたらしい。
その親の主張は「給食費」を払っているので「いただきます」というお礼を言う必要がない。なぜ子供に「いただきます」と言わせるのかとクレームをつけてきた。その親は高学歴者のようで海外出張の生活に馴染んだ人物のようである。
しかし、日本の文化に対する理解が今一つである。
日本人が「いただきます」というのは作った人への感謝というよりも「生き物の命を頂く」という「生命」への感謝の意味合いがあるのである。
このような日本の精神文化・宗教文化を理解せずに自己主張するとそこにはこのような誤謬が生じるのである。
翻って日本の戸籍制度として明治から「氏」になり、「姓」は戸籍には使われない。それなのにまだ「姓」を使う者がいる。そして、驚いたことに外務省の最近の発行されたパスポートの苗字は「氏」ではなく「姓」である。法務省と外務省の横の連絡が出来ていない。まったく情けない。
そこで、1976年に発行されたパスポートの苗字を調べたら、その当時のそのパスポートの苗字欄は「氏」となって正しい。最近の外務省のエリートはおバカさんになったのであろうか。官僚をデするに事欠かない。
「時代劇」の見すぎであろうか、それとも昔、天皇から頂いた苗字であるために特権意識を持ちたいがためなのかと「姓」を主張するのは差別意識の塊と考えざるを得ない。
もう一つ、「姓」を使っている国は中国と韓国である。そして、その「姓」は「血族」を意味しており、中国と韓国は結婚しても「血」は混じることはなく夫婦は別姓である。生まれた「子」は儒教の男尊女卑のため、夫の戸籍に入るのである。翻って、日本の「氏」は「家族」を意味しているので婚姻で夫婦同氏となり「子」も同一戸籍に入るのである。
明治から戦前までは家制度として戸主がある戸籍が作られていたが、家制度(一族)の戸籍から家庭(夫婦と子供)単位に変わって来た。
蘊蓄:源頼朝の妻(北条政子)は姓は平、氏は北条、名は政子のようである。鎌倉時代は、結婚しても姓も氏も変わらなかったようである。詳細は次のブログをお読みください。
政治講座ⅴ1692「日本の苗字は明治から『氏』である。『姓』ではない」|tsukasa_tamura (note.com)
古文に出てくる「肴(さかな)」は酒のつまみと言う意味であるが、その「さかな」としては魚(うお)の肉がその代表的なものとなり、現在では生きた魚(うお)をそう呼ぶようにまでなったが、もともとは魚(うお)の肉に限らなかった。「かたい塩を肴にして酒を飲ませて」と言う古文もある。
翻って、「姓」を一般的な苗字として呼称するには前述したように明治から戸籍において苗字を「氏」と表示しているにも拘らず、「苗字は姓だ!」と高学歴者や知識人や報道機関が主張して「姓」を使う事には大変な違和感があるのである。同じ漢字文化圏の中国も苗字を「姓」を使っているが「血族」を意味しているので、日本の「氏」は「家族」を意味するので、区別する意味で現代においては「氏」を使うべきである。
「このままだと500年後はみんな佐藤さんに 選択的夫婦別姓制度の早期実現を」小島慶子
小島慶子 の意見
タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復してきた小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。
* * *
2531年に、日本人は全員佐藤さんになる……東北大学高齢経済社会研究センターの吉田浩教授がそんなシミュレーション結果を発表しました。夫婦が同じ姓にしなくてはならないのは、世界で日本だけ。このままだと、佐藤さんしかいなくなってしまうというのですね。
選択的夫婦別姓制度の導入はなかなか実現しません。夫婦の名字が違うと伝統的家族が壊れると主張する政治家もいます。選択的夫婦別姓制度は読んで字の如く、選択の幅を広げるもの。夫婦で同じ姓にしたい人も、別々の姓でいたい人もどちらもありというものです。現在同じ姓で仲良くやっている家族に影響はありません。私の友人知人には、夫婦で同じ姓にしたくないが故に事実婚を選んでいる人たちがいますが、当然ながら、彼ら彼女らが別姓のまま夫婦として家族を作っていることが、夫婦同姓を選んだ私の家族関係になんら悪影響を及ぼしてはいません。
結婚に際して慣れ親しんだ姓を配偶者の姓に変えるのはほとんどの場合は女性です。公的書類に記載された戸籍上の姓と仕事で使っている姓が異なることによって身分を証明する際に混乱が生じるなど、不便だらけ。私も講演会などで主催者が手配してくれる飛行機のチケットの登録名は「小島」ですが、マイレージ登録は戸籍上の名字。いちいちカウンターで手入力してもらわねばなりません。やがて全ての人が佐藤になった時には、そんな煩わしさもなくなるのでしょうけれど。
私自身は結婚の際に夫の姓にすることに抵抗はなく、小島ではない名字を名乗るのは新鮮でした。今も二つ名乗り分けるのを気に入っています。でも改姓したくないという友人たちが、それ故に私が難なく選べた婚姻という選択肢を与えられていないことは実に理不尽です。選択的夫婦別姓制度の早期実現を。
◎小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『幸せな結婚』(新潮社)。寄付サイト「ひとりじゃないよPJ」呼びかけ人。※AERA 2024年4月15日号
参考文献・参考資料
「このままだと500年後はみんな佐藤さんに 選択的夫婦別姓制度の早期実現を」小島慶子 (msn.com)
政治講座ⅴ1692「日本の苗字は明治から『氏』である。『姓』ではない」|tsukasa_tamura (note.com)
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