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政治講座ⅴ293「韓国の戦後の建国の正統性を論ずる」

数年前に韓国旅行で宗廟などを見学をした。今回は李氏朝鮮時代の歴史を俯瞰しながら、現在に韓国の正統性があるか否かを報道記事から論ずる。

      皇紀2682年7月25日
      さいたま市桜区
      政治研究者 田村 司

はじめに(敬称省略)

  宗廟の見学での解説によると、皇族の方子も夫李王垠と同じ廟に祀られているとのことであった。
儒教では夫婦別姓であり、同性にはならない。そして、「姓」は「血族」を意味しており、結婚により「姓」が変わることはない。
日本の場合は明治から戸籍制度に家族単位として「氏」を定めた。
「氏」は「家」を意味する。結婚は新しい「家族」としての「家」という戸籍を作った。新しく戸籍を作るときは「一家創立」(新戸籍編成)とした。蛇足であるが、夫婦別姓を主張する輩は「姓」と「氏」を混同して使いながら「苗字」の自由を主張していることに気が付かない。「夫婦別氏」の表現が正しいと考えている。
経緯は不明であるが、日本の皇族の王妃を大事に祀られている事には深く感銘を受けたのである。そして、同時に、韓国の正統性について考えてみた。もし、韓国左派勢力の主張する日韓併合条約(国際的に有効な条約と認められている)の無効を主張するなら、何故、李王朝に政権を戻すことを主張しないのか?
 1945年(昭和20年)の日本の敗戦による朝鮮領有権喪失、1947年(昭和22年)5月3日の日本国憲法施行に伴って王公族の身分を喪失し、1952年(昭和27年)4月28日の日本国との平和条約発効による日本の主権回復とともに日本国籍を喪失した(旧朝鮮籍のため無国籍となった)。李垠は財産税法による多額の税を課され、また身分に執着する弱みを握られ邸宅・資産を売却しながら、細々と生活を送っていた。
   大韓民国の初代大統領であった李承晩は、譲寧大君の子孫であることを誇りながら、権力に執着し、現実的には王政復古を怖れ、嫡流の李垠に敵対的であった。権力に執着するあまり選挙違反を犯し、ハワイに亡命した。
 李承晩は黄海道平山郡馬山面大経里陵内洞の全州李氏の没落両班の家に生まれた。父・李敬善(1839年〜1912年)、母(金海金氏、1833年〜1896年)の3男2女の末っ子(ただし、兄二人は天然痘で夭逝)である。族譜では太宗の長男で世宗の兄である譲寧大君の16代末裔である。譲寧大君の長男富林令李順の子孫にあたる。王族としては、13代前の樹州正李允仁、その孫で丙子の役の時に武功を立てて全豊君を追贈された李元約などがいる。その後、数人の子孫が官職に就くも、6代前の李徴夏が陰職で県令となったのを最後に、没落した。承晩自身は李氏朝鮮の王族の分家出身であることを誇りにしていたが朝鮮人に対しては両班意識で接した。朝鮮戦争では真っ先に逃げ出し、それを救ったのが日本に軍歴のある者達の功績である。

下の永寧殿には李垠(旧大韓帝国、高宗第七皇子)と李 方子の位牌が祀られている。


 李 方子:1901年(明治34年)11月4日 - 1989年(平成元年)4月30日)は、日本の元皇族であり、李王垠の妃宮家(梨本宮家)の第一王女子(女王)として生まれ、日本国内で王公族として皇族に準じる待遇をうけた李垠(旧大韓帝国、高宗第七皇子)に嫁した。「李方子」とは、第二次世界大戦後、王公族としての身分を喪失したことにより夫の姓を名乗ったものである。(夫が日本国籍なら夫の氏を名のる事になる。皇族には姓や氏などの苗字がない。)

これは永寧殿、右に正殿がある。

 祖先から受け継ぐ伝統や礼節を重んじる、儒教精神が今も残る韓国。
その儒教の聖地ともいえる文化遺産が、韓国のテレビドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』のロケ地にもなった宗廟(チョンミョ)です。ソウルの中心部にありながら辺りは静寂に包まれ、整然と並ぶ朱塗りの柱に黒瓦の屋根をいただく簡素にして荘厳な建物に、朝鮮王朝(李氏朝鮮)歴代の王と王妃の位牌が祭られています。

1392年、朝鮮王朝を興した太祖李成桂が儒教を国教と定め、2年後に漢陽(現在のソウル)に遷都しました。宗廟が建てられたのはその翌年のことです。宗廟には正殿別廟の永寧殿があり、正殿には李成桂以来の功績ある19人の王とその王妃が、永寧殿には正殿に祭られなかった王と王妃、その他王族が祭られている。位牌を収める小部屋が東西に連なる正殿は、国王らが亡くなり位牌が増えるたびに増築され、101mもの長大な建築になりました。儒教発祥の中国にもこれほど大きな宗廟はなく、単一の木造建造物では世界最長ともいわれます。
 宗廟は独特の建築様式もさることながら、李氏朝鮮時代から脈々と続く韓国最大の伝統行事「宗廟祭礼」でも知られます。年に一度、5月の第1日曜日に朝鮮王族の末裔たちが集まり、歌舞と音楽で祖先の徳を称えるのです。儒教の伝統性にのっとり500年以上も続けられてきたこの儀式は、世界無形遺産にも選定されています。宗廟は中国や台湾にも残っていますが、王朝が滅びた後も宗廟が保存され、伝統の祭礼が継承されているのは韓国だけです。

祭服に身を包んだ王族が、華やかな朝鮮王朝絵巻を再現 写真提供:韓国観光公社
宗廟内で唯一華やかな装飾がなされた望廟楼は、王のための休憩所


左から李垠、李王坧、李太王、不明(李太王の妃の一人)、
徳恵翁主(1918年、徳寿宮にて)


伊藤博文と李垠



李垠


李垠の妻李方子


夫李垠と妻李方子
参謀旅行中の李垠と方子妃(1933年)



韓国の正統性

 韓国と北朝鮮は独立後「どちらの国家が正統か」を巡る対立と競争を続けてきた。「北朝鮮に正統性がある」と北朝鮮はもちろん、韓国の左翼系学者や活動家たちも主張してきた。
 北朝鮮建国の父である金日成主席は、「我々は日本と戦争して勝利したが、南朝鮮の指導者は誰一人戦闘さえしていない。だから、正統性は北朝鮮にある」との理屈を展開した。
 この主張に、韓国人はなかなか反論できなかった。
なぜならば、韓国は独立戦争で勝ち取った国でないという韓国人自らの「脛(すね)の大傷」があるからである。「米軍進駐により棚ぼた式に独立を得た」とは口が裂けても言えないのだ。
 「正統性」は韓国人の骨の髄までしみ込んだ儒教に基づく伝統的な価値観である。自分の家族や家系を語るにも、政治行動や政治判断をする際にも最大の基準になる。朴槿恵前大統領の父である朴正煕大統領(当時)はクーデターで政権を奪取したため、「正統性がない」と常に批判された。政権や政治家が「正統性がない」と批判されると、崩壊や政治的抹殺につながる。
 そこで韓国は「正統性」を作り上げるためあらゆる努力をしなければならなくなった。自分の価値観が自分の首を絞めることになったのである。しかし、もともとないものを作るのだから、嘘に嘘を重ね続けるしかない、これが韓国の苦しみを増幅し続けている

名ばかりの「大韓民国臨時政府」

 1919年3月1日に始まった独立運動(三・一運動)は、日本の総督府によって弾圧されたが、朝鮮半島の外にいた人々は、上海で「大韓民国臨時政府」を組織した。日中戦争が勃発すると、重慶に本部を移す。日中戦争の激化に伴い、やはり重慶に移ってきていた中華民国の国民党政府の好意の下で存続はしていた。臨時政府は、独自の軍隊である「光復軍」を設立したが、この維持費は、国民党政府が出しており、とても独立の軍隊とは言える状態ではなかった。
 
大韓民国臨時政府」の「政府」は自称であって、朝鮮半島の朝鮮人とは結びつきを持たず、孤絶した異郷の地にあって、しかも支配すべき国民も領土も持たない存在であった。それが「大韓民国臨時政府」の実態である。

韓国の正統性の根拠

大韓民国憲法の前文は、以下のような文章で始まっている。「悠久の歴史と伝統に輝く我が大韓国民は、三・一運動により建立された大韓民国臨時政府の法統(中略)を継承し・・・」
 ここでいう「法統」とは「歴史的正統性」のことである。大韓民国は1919年から存在していたと言っているのである。
 韓国の歴史教科書には、「大韓民国臨時政府」の光復軍の戦いぶりが2ページわたって記述されている。
 《日帝が太平洋戦争を起こすと、大韓民国臨時政府は日本に宣戦布告し、連合軍とともに独立戦争を展開した。このとき、韓国光復軍は中国各地で中国軍と協力して日本軍と戦い、遠くインドやミャンマー(ビルマ)戦線にまで進み、イギリス軍とともに対日戦闘に参加した。》
 《わが民族の積極的な独立戦争は各国に知られ世界列強は韓国の独立問題に関心を持つようになった。》《連合国の首脳らが集まったカイロ会談とポツダム宣言で、韓国の独立を約束する土台が築かれた。》と述べ、光復軍の戦いが独立に寄与したことを強調している。しかし、大韓民国臨時政府はまったく実態がともなわず、韓国光復軍も戦績がなく、だからこそ、サンフランシスコ講和条約で韓国が連合国の一員に参加させろと強く要望しても、連合国側から一顧だにされずリストから除外されているのである。結局枢軸国・連合国双方からいかなる地位も認められず国際的承認は最後まで得られなかったのである。したがって大韓民国臨時政府の日本に対する宣戦布告文書は、日本にも無視され、連合国にも無視されている。中学や高校の歴史教科書に、このような嘘が堂々と記載されていること自体が驚きであるが、それを学ばされている子どもたちもかわいそうである。このへんの経緯について、池上彰が書いた文献を紹介したい。池上彰『そうだったのか!朝鮮半島』集英社 2014  P.21 これについて、韓国の歴史家は、次のように書いています。
 「大韓民国が臨時政府の歴史的正統性を継承しているという主張は、憲法はもちろん教科書でも教えられてきたので、多くの国民がこれを常識として受け入れている。しかし1980年代後半以降、民族解放運動史や現代史を専攻する歴史学者のなかで、大韓民国政府が臨時政府の歴史的正統性を継承していると主張する人はあまりいないはっきり言えば、気恥ずかしくて誰も言えないのだ」(韓洪九著、高崎宗司監訳『韓洪九の韓国現代史』)なぜ歴史的正統性を継承していないというのでしょうか。韓氏は、こう言います。「大韓民国政府の高級官僚、なかでも警察と軍においては、それまで日帝に仕えてきた親日派が主流を占めていたのです」
親日残滓勢力の清算や、分断克服などの課題に対する臨時政府の核心となる政策もまた、大韓民国においては継承されませんでした
「そうだとすれば、李承晩政権をはじめとする歴代の政権は、なぜ臨時政府の歴史的正統性を継承しているという主張を繰り返してきたのでしょうか? こうした政権は自らに欠如している正統性を、臨時政府の業績と権威を借用して補おうとしたのです。とりわけ南北分断の状況にあって、満州で抗日武装闘争を繰り広げた勢力が北で権力を掌握し、自身の業績を革命伝統として誇るや、南の政権は臨時政府に託してこれに対抗したのです
 北朝鮮の指導者ばかりが日本と戦っていたわけではない。韓国の指導者も、日本と戦って祖国を建国した。こういう「建国神話」を作るため、「大韓民国臨時政府」の名前に頼ったというのです。
 「48年に樹立された、単独政府としての大韓民国政府が実際に継承したものは、臨時政府ではなく、臨時政府を徹頭徹尾否定していた米軍政でした」(同書)
 北朝鮮は、抗日武装闘争で日本の支配と戦ってきた抗日ゲリラの指導者・金日成によって建国されたと主張しています。これ自体、実は「神話」でしかないのだが、北朝鮮が反日闘争を実践してきたという「正統性」を主張すると、韓国の指導者は具合が悪かったのです。新政府の中枢にいたのは、日本の植民地支配に協力した人物たちでしたし、李承晩は、アメリカでの生活が長く、日本の支配と直接戦っていたわけではなかったからです。
 1940年代にアメリカにいた李承晩は、全朝鮮を代表する正統政府としての承認をアメリカ政府から得ようと工作しますが、相手にされませんでした。臨時政府の実態とは、このようなものでした。
 しかし国民に対しては、朝鮮半島の外にあって、抗日戦争を戦い抜き、日本を敗北させた臨時政府。この臨時政府を継承して建国されたのが、現在の大韓民国であると伝えます。韓国の建国には、この「建国神話」が必要だったのです。 日本が降伏したから、棚からボタ餅式に建国できた。これではなんとも納まりが悪いというわけです。
 
米国人政治学者ロバート・ケリー氏がアジア外交雑誌「ディプロマット」に寄稿した、「なぜ韓国はここまで日本に妄念を抱くのか」という論文において、ケリー氏は、南鮮の反日を次のように分析している。
 韓国が反日の姿勢を崩さない理由は何か。ケリー教授は結論として、歴史や植民地支配を原因とするよりも、本当は朝鮮民族の正統性をめぐって北朝鮮に対抗するための道具として使っているのだ、と指摘していた。
 ケリー教授は同論文で、近年の韓国暮らしの体験からまず述べる。
「韓国で少しでも生活すれば、韓国全体が日本に対して異様なほど否定的な態度に執着していることが誰の目にも明白となる。そうした異様な反日の実例としては、韓国の子供たちの旧日本兵を狙撃する遊びや、日本の軍国主義復活論米国内での慰安婦像建設ロビー工作などが挙げられる。旭日旗を連想させる赤と白の縞のシャツを着た青年が謝罪をさせられるという、これ以上はないほどくだらない事例も目撃した」
 そのうえで同教授は、これほど官民一体となって日本を叩くのは70年前までの歴史や植民地支配だけが原因だとは思えないとして、以下のような分析を述べた。
・韓国の反日は単なる感情や政治を超えて、民族や国家の支えの探求に近い。つまり、自分たちのアイデンティティーを規定するために反日が必要になるのだ。
・同時に韓国の反日は、朝鮮民族としての正統性の主張の変形でもある。自民族の伝統や誇り、そして純粋性を主張するための道具や武器として反日があるのだといってよい。
・韓国が朝鮮民族の純粋性を強調すれば、どうしても北朝鮮との競争になる。しかし朝鮮民族の純粋性や自主性、伝統保持となると、韓国は北朝鮮にはかなわないそのギャップを埋めるためにも日本を叩くことが必要になる。
・韓国は朝鮮民族の正統性を主張しようにも、民族の純粋性を説くには欧米や日本の影響が多すぎる。政治の面で北朝鮮に対抗しようとしても、韓国の民主主義は人的コネや汚職が多すぎる。だから韓国の朝鮮民族としての正統性は北朝鮮に劣っている。そのため、日本を悪と位置づけ、叩き続けることが代替の方法となる。要するに、韓国の正統性の主張は本来は北朝鮮に対して向けられるべきなのに、日本叩きがその安易な代替方法となっているというのだ。
 
日本に矛先が向かうのは、ひとえに朝鮮民族としての正統性が北朝鮮にはかなわないからである。本来、北朝鮮は韓国となお戦争状態にあり、韓国の消滅を正面から唱える敵である。だが韓国は、その敵よりも、日本をさらに激しい怒りや憎しみの対象として非難し続けるのだ。
 この民族感情における異常な屈折は、我々日本人の想像をはるかに超えている。彼らの反日が、自分たちのアイデンティティーを規定するためのものであるという説は、今までもあったし、珍しい説ではない。だが、それが、民族の正統性における北朝鮮への対抗での反日なら、攻撃相手が全く違う。そもそも、自民族のアイデンティティーのための反日ですら、迷惑以外の何ものでもなかったのだ。しかし、同じ民族同士の正統性の争いに、他国を巻き込めば、嫌悪感を持たれて当然だ
日本の嫌韓は、そういう不条理を全て包括した上で共感を得ていると言って、差し支えないだろう。(以上引用終わり)

2017年8月14日現在の朝鮮半島(この原稿を書いている時点)


それにしても、韓国はなぜ執拗なまでに「慰安婦問題」で日本を責め立てているのだろう。それは根源的に「大韓民国建国の正統性」にまで遡る。


そもそも、日本から独立したのなら李氏朝鮮が復活してしかるべきだ。実際、李朝の正当な後継者として李垠殿下がおられた。
 終戦時、李垠殿下は日本の皇族から嫁がれた李方子妃殿下とともに日本に滞在されており、当時、国交の途絶えていた韓国に密航してでも帰国して李朝を再興することを強く望んでおられた。
 ところが戦後、韓国で権力を握った李承晩(イ・スンマン、り・しょうばん)は李朝復活を許さず、自らが大統領となって勝手に共和国を作ってしまった
 これは李朝に対してクーデターを起こしたに等しい
 そして、建国の正統性を担保するために歴史を書き換え
李朝は日本に滅ぼされ、朝鮮は日本の苛酷な植民地支配に呻吟した。
その後、朝鮮人は上海に大韓民国臨時政府を樹立し、その軍隊である光復軍が日本軍を打ち破って独立を果たした」ことにした。これは嘘の歴史
 日本を徹底的に「悪者」にすることで、大韓民国の建国を正当化したのだ。
アメリカが日本を「侵略国」に貶めて原爆使用を正当化しているのと同様の歴史的欺瞞である。
 この歴史歪曲・捏造を定着させるために、韓国では長年、猛烈な反日教育を行って国民の記憶を塗り替えてきた
そして、日本統治時代の実態を知る「親日世代」が社会の一線から引き、教育で嘘の歴史を刷り込まれた世代が言論の中核を担うに至って反日感情は自己増殖し、かつ自家中毒してしまった。 2013年5月7日、朴槿恵大統領がオバマ大統領と初会談した折、「日本は正しい歴史認識を持つべき」という場違いな「日本批判」を展開した。日本に対抗するため、大国アメリカに頼ろうとする事大主義的願望があるのだろう。しかし、2国間のトップ会談で他国の悪口を言い立てるほど見苦しいことはないさすがのオバマ大統領もうんざりしたに違いない
韓国大統領までが「日本批判」は全てに優先すると考えており、国際礼儀を欠く独善的発言で自らの品性を下げていることに気づかないほど、韓国の反日は自家中毒しているのだ。 今や「韓国=絶対善」「日本=絶対悪」という雰囲気が韓国全土を覆っており、「日本の意見も聞いてみよう」というだけで「親日派」(売国奴)とされて社会から抹殺されてしまう
日本を嫌うことが「社会人としての基本条件」と言っても言い過ぎではないだろう。 このように反日教育で韓国人の胸に植え付けられた日本への「恨」は、すでに「日本人に報いを受けさせなければならない」という潜在的あるいは顕在的な願望にまで高まっており女性の人権問題が世界中で取り沙汰される中にあって、「慰安婦問題」は日本に復讐するための絶好の材料になっているのだ。日本が謝罪しても、もとより受け入れる気持ちなどありはしない。 仮に「日本の子供たちが虐めにあうから慰安婦の碑を建てることを止めて欲しい」と頭を下げても、彼らは「当然の報いだ」と勝ち誇った顔で一蹴するだろう。 そもそも、慰安婦問題を宣伝することは彼らの日本への復讐であり、慰安婦問題をめぐって日本人が侮辱されて「報い」を受けることが「戦果」なのだから。


【朝鮮半島】国家権力の正当性が「反日」である国家

2021年5月5日

人類は生態系の一部であり、自然状態では各人が何をしようが自由であるはずだが、共同体を形成する中で規則が生まれ、やがて国家がルール定め、違反者を裁くようになった。

国家が個人に義務を課し、違反者を罰する事が可能なのは、国家権力が正当なものであると国民に認められているからだ。国家権力の正当性は、古代においては宗教や建国の英雄、あるいは軍事力そのものであったが、今日では殆どの国家が「民主主義」を国家権力の正当性としている

ところが「民主主義」では国家の正当性としては不十分である。これは三権分立と民主主義を基盤とする憲法を持つ多くの国で政情が不安定である事を見れば分かる大統領の決定や議会の採決を最高裁判所が否定して政治が混乱するのは良くある話であり、行政府と議会の対立で大統領が何度も交代して政治経済が安定しない国も多い。表面上、立派な憲法を定めているにも関わらず、多くの民主主義国で国家権力の正当性を巡り、対立が続いているのだ。
この典型が昨年の米国大統領選挙である。公正な選挙は民主主義が成立する前提条件であり、その選挙に疑問が生じた途端に国家は不安定になるのである。トランプ陣営が不正選挙を証明出来なかったために事態は収束したが、今年に入りミャンマーでは選挙不正を理由に国軍がクーデターを起してしまった。
アメリカにおける国家権力の正当性は、独立宣言であり、建国の歴史に関わってきた国民の記憶と愛国心だ。ミャンマーでは独立を主導した軍隊が国家権力の正当性となっている点に問題がある。

我が国における国家権力の正当性は、天皇である。政権は不安定であるが、国家として安定しているのは憲法に天皇が位置付けられ、形式的ではあっても天皇が総理を任命するため、正当性に疑問が無いからだ。

さて、ここから本題であるが、朝鮮半島には本来一つの国家であるべきところ、韓国と北朝鮮が存在する。朝鮮人にとって国家の正当性が日本からの独立にあり、その立役者を巡って対立しているからである。

戦後、朝鮮人は李氏朝鮮を継承せずに北と南で建国したため、過去からの継続性ではなく日本からの独立を国家の基盤とした。しかしアメリカと違って自らの手で勝ち取った独立ではなく、日韓合邦に甘んじてきた事実もあるため、独立の神話づくりが必要であった。それが過度の歴史歪曲であり、反日の源泉である。

韓国も北朝鮮も、日本を悪の帝国として決めつけなければ朝鮮半島における国家としての正当性を主張できない。両国とも単一民族であるため国家としての安定性はアフリカや中南米の国々と比較すると優れてはいるが、それでも韓国の場合は政権を維持する上で選挙だけでは不十分であり、反日である事を証明しなければその正当性を主張できないのだ。
国家の誕生が日本からの独立という様々な虚構を含めた神話に立脚し、反日という姿勢を改める事が絶対に不可能な国家、それが韓国であり北朝鮮なのである。

My  Opinion.

李王朝への日本国と皇室の多大な配慮、朝鮮半島への膨大な国家予算投入により、近代化の成功した事は普通の歴史家には分かることである。
そして朝鮮半島は植民地でないことは、韓国人も欧米列強の民族差別的植民地を解放するのために日本人と共に戦った歴史があることで分かる。
その韓国の先人が植民地解放のために戦った名誉ある偉業を李承晩により「反民族行為者」として処罰された者の名誉回復が必要であると考える。
 
韓国の先人の偉業を再点検すると、親日罪で汚名を着せた先人は日本と共にアジアを欧米列強の植民地支配を打破してアジアの独立に貢献した偉業に気付くはずである。正しい歴史認識で先人の偉業の名誉回復すべき時期である。日本は朝鮮半島を植民地とはしていなかった。手を携えて欧米の植民地支配に勇気をもって戦ったのである。その新聞報道記事が次の写真である。

次のような記事からも、併合は植民地ではなく、日本人と同様に優遇されたのである。

1940年頃には日本に非協力的であった朝鮮人の大半が協調的に転向していた。当時、朝鮮人による日本軍入隊のための血書提出は流行しており、1939年には45名、1940年には168名が血書を提出している。後に第5-9代韓国大統領となる朴正煕も血書を提出し満洲新聞1939年3月31日付に掲載されている。


朴鉄柱(韓国 1990年 1月逝去・68歳, 韓国-日本文化研究所昭和 42年 10月)
「ソウルから日本を眺めていると、日本が心という字に見える。北海道、本州、四国、九州と、心という字に並んでいるではないか。日本は万世一系の御皇室を頂き、歴史に断絶がない。それに対して韓国は、断絶につぐ断絶の歴史で涙なくして見る事は出来ない」

「現在の日本の自分喪失は敗戦に起因しているが、元々大東亜戦争は決して日本からの戦争ではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで臨んだ。それまで日本はアジアの盟主だった。
最後はハル・ノートを受けて、 それを承諾することは屈辱を意味した。
”事態ここに至る。争わないで滅亡するよりは、争って滅亡しよう”と言うことが、 開戦時の心境だった。それは日本の武士道の発露だった。

欧米列強と共に戦った朝鮮人日本兵

日本の武士道は、 西欧の植民地勢力に必死的に抵抗した。それは大東亜戦争だけだけではなくて、 露日戦争もそうだった。露日戦争と大東亜戦争-この日本の 2個の戦争が歴史を変えてアジア諸国民の独立を持って来た
この意義は大きく強調しなければならない。」
大東亜戦争で日本は負けたと言うが、敗戦国は、 むしろイギリスを始まりにする植民地を持った欧米諸国だった。彼らはこの戦争によって植民地をほとんど皆失ったじゃないか。戦争に勝ったのか負けたかは、 戦争目的果したのか果さなかった、 で決まる。と言うことはクラウゼビットの戦争論だ。
日本は戦闘に負けて戦争目的を果した
日本こそ戦勝国であり、 日本の戦争こそ ”神聖な戦争”だった。
ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたと言うが、 このような事は直ちに回復することができたではないか2百数十万人の戦死者は確かに帰って来ないが、 しかし彼らは英霊として靖国神社に永遠に暮して、 国民尊崇対象になる。」日韓共鳴2000年史 より

参考文献・参考資料

【朝鮮半島】国家権力の正当性が「反日」である国家 | ネット転向組 (sakura.ne.jp)

韓国の正統性 - hannichi72 ページ! (jimdofree.com)

李方子 - Wikipedia

李垠 - Wikipedia

宗廟|韓国 世界遺産|阪急交通社 (hankyu-travel.com)

李承晩 - Wikipedia

子の認知 | Orange Law Office Blog Ò オレンジ法律事務所

在日韓国人と日本人の方が国際結婚された場合の名字(苗字)について | 行政書士 李法務事務所 神戸·兵庫·大阪 | 帰化申請 韓国証明書 除籍謄本 翻訳 (leehoumu.com)

宮家 - Wikipedia

東京大空襲 - Wikipedia

悲劇の知日家 朴鉄柱氏 韓国が抹殺した韓国人 - 理想国家日本の条件 自立国家日本 日本の誇りを取り戻そう! 桜 咲久也 (goo.ne.jp)

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