政治(歴史)講座ⅴ1606「米国大統領の免責特権と道義的責任」
遠野高等学校の皆さんにはいつも「いいね」の評価を頂き感謝している。そのお礼と言っては何ですが、今回は特に戦争の歴史と政治について、現代のトランプ氏の発言記事と関連して、遠野高等学校の若い生徒の皆様に向けて、作成した。卒業後の社会生活には、政治・歴史の理解が必要になる。「歴史は繰り返される」という言葉があるが、人間の歴史は毎回同じ過ちを犯している。温故知新、過去の歴史を知れば未来(将来)が自ずと見えてくる。
吾輩の拙い文章と浅学菲才の内容であるが、遠野高等学校の若い皆さんの将来の活躍に役立つことを期待して止まない。
さて、本題に戻る。
道義的責任とは、道徳や人として行うべき道理などから生じる、任務を行うべきであるということ、あるいは、任務を行わなかったことによる責めなどを意味する表現である。
改めて米国の国際法違反と言われる非戦闘員(子供・女性)の大量虐殺の責任を問う。東京裁判が公平な裁判と言われるものなら当然、原爆投下を命令して虐殺をしたトルーマン大統領は裁かれるべきであろう。それと、日本国(大日本帝国)という法人の代表者(内閣総理大臣)の東条英機氏を個人の責任として刑事責任問えるかである。まさに、米国が犯した国際法違反の子供・女性などの非戦闘員を大量虐殺を実施したトルーマン大統領こそは戦争犯罪者として裁かれるべきであろう。
ここで、問題になっている米国大統領の免責特権なる者は第三国の日本に通用するかである。米国は東条英機を戦争犯罪者として絞首刑にした。「東京裁判」という形式をとっているが、これは、勝者による権力の乱用に他ならないのである。
今回は、東京裁判にも焦点を当てる。
以前解説した
政治講座v123「Frame-up&Lynchの『東京裁判』を解説」|tsukasa_tamura (note.com)を参照のこと。
この東京裁判でもトルーマンの原子爆弾投下の命令に対する米国の責任を問う提起がされたが有耶無耶に裁判が進んだ。実際は、公表されていないが、(吾輩の想像であるが、)トルーマン大統領の戦争責任(免責特権)と昭和天皇陛下の戦争責任を相殺する裏取引(司法取引)があったのではないだろうか。と推測している。
東条英機ほか数名の絞首刑で終わらせた裏には、トランプの主張する「免責特権」とは違う次元の「道義的責任」「宗教的責任」が存在して「司法取引」で幕引きとしたのではないかと推測している。その司法取引には、ソビエト連邦や中国共産党などの共産主義が切羽つまった現実問題であったことは想像できる。その裁判中に朝鮮戦争勃発という事態に見舞われてきた。
今回はトランプ氏の発言の「免責特権」から過去の東京裁判を俯瞰してみた。
皇紀2684年1月24日
さいたま市桜区
政治研究者 田村 司
トランプ氏、免責特権で“トルーマン大統領が原爆投下決断”と主張
日テレNEWS NNN によるストーリー • 7 時間
アメリカのトランプ前大統領は20日、第2次世界大戦でトルーマン大統領が日本への原爆投下を決断したのは大統領在任中の行為は起訴されない免責特権があったからだと主張しました。
アメリカのトランプ前大統領は2020年の大統領選の結果を覆そうとしたなどとして起訴されたことを受け、大統領在任中の行為には免責特権が適用されると法廷で主張しています。
トランプ氏は20日、選挙集会の演説で、広島や長崎への原爆投下を決断した当時のトルーマン大統領について、「反対勢力に起訴されるなら行わなかっただろう」と述べ、免責特権があったため実行できたと主張しました。
その上で「大統領には免責特権を与えなければならない」と訴え、原爆投下を引き合いに全ての大統領に免責特権が認められるべきだと持論を展開しました。
また、原爆投下について「必ずしも良い行為とはいえない が、第2次世界大戦を終わらせた」との見方を示しました。
日本への原爆投下は「大統領が起訴されない免責特権ある」から?…トランプ氏が法廷闘争受けて持論
FNNプライムオンライン によるストーリー • 11 時間
アメリカのトランプ前大統領は20日、第2次大戦で日本に原爆を投下したことは、大統領が在任中の行為で起訴されない「免責特権」があったからと持論を展開した。
アメリカ・トランプ前大統領「『起訴されるかもしれないから原爆投下はしたくない』と、(トルーマン大統領は)言っただろう」
トランプ氏は演説で、原爆の投下は「決して良い行為ではない」と指摘したうえで、当時のトルーマン大統領が決断したのは、免責特権があったためと主張した。
そのうえで、「大統領に免責特権を与えるべきだ」と訴え、大統領には免責が認められるべきとの持論を展開した。
トランプ氏は、2020年大統領選の敗北を覆そうとしたなどとして起訴され、大統領には免責特権が適用されると訴えて、法廷闘争を続けている。
『東京裁判』を俯瞰して解説
最近、映画「東京裁判」を再度、見た。
その時の感想は、「これが米国の勝者による一方的な公平性を欠く裁判なのか、本当の戦争犯罪国は米国であることの確信を持った映画である。」
訴状内容がフェイクであり、裁判の名を借りたリンチそのものである。東京裁判自体がでっちあげである。
忘却の彼方にあるであろうが、未だ、韓国や中国は日本に対して戦犯国のレッテル貼りをして、企業にまで戦犯企業のレッテル貼りで非難する意見は耐えがたい屈辱を我々日本人に与えている。
悲しいかな、日本人の中にも自虐史観から抜け出せずにいる者もいる。左派系政治家や左派系メディアに多い。慰安婦問題の発端を誤報道した朝日新聞は終戦後大変まともな「日本の正義を訴えた」報道をしていたが、GHQの「War Guilt Information Program」の報道管制の効果により、報道機関としての真実を伝える使命を放棄して、未だ、自虐史観から抜け出せずに「日本を貶める報道」に固執している姿には悲哀を感じる。他に左派メデアも同様である。旭日旗のデザインを社旗にしている朝日新聞よ!「War Guilt Information Program」からの呪縛の呪い解き放つべきである。
十年一昔と言われる。そうすると「東京裁判」は八十年前で八昔の話になりますね。今回は「東京裁判」を解説する。傘寿を迎えた諸君、戦死者の尊厳を取り戻して、子々孫々に日本の誇りを語りついて欲しいものである。
その検証には、参考文献の北岡敏明+「ディベート大学」著『東京裁判はでっちあげだった』から引用して若干構成を変更して述べる。尚、著書を購入してお読み頂くことを著作権者のためにお願いする。
今、なぜ、東京裁判なのか
日本人の自信喪失の根本原因は東京裁判のトラウマにある。
これの東京裁判を問いただすことは、日本の未来のためである。我々の子々孫々のためである。この理不尽な裁判で負った心の傷・トラウマは七十数年間、負の遺産として、日本人の深層心理の中に沈殿してきた。戦後日本人の負の自虐史観の源流はここにある。
すなわち、如何に、経済で頂点を極めようとも、日本が戦後76年間精神のトラウマ、負い目として持ち続けてきた負の遺産は容易なことでなおらない。七十数年前に理不尽な裁判において前科者として裁かれた者は、いかに経済的に成功しても精神的に負った傷は回復しない。
しかも、自信の裏付けである経済がバブル崩壊以後頭打ちである。経済の停滞と負の遺産による二重の自信喪失である。
その上、中国、韓国、北朝鮮は日本の負の遺産を責め立てることが、想像以上の効果があることに気付いた。東京裁判の象徴としての靖国神社を、日本人をいたぶる傷として、対日本の復讐戦の最大の武器として活用している。
日本を停滞と低迷のままに於いておくことは中国、韓国、北朝鮮にとって、最大の国益だからである。
人間は心と物の二つで成立している存在である。肝心の経済も怪しく、日本人の自信も揺らいでいる。
ならば、日本を救うものはいったい何か。日本が立ち直るにはどうしたらいいか。日本を復活させるには、心の傷・トラウマの克服である。すなわち、東京裁判の克服である。
中国、韓国の両国からの理不尽な非難に対して、果敢な反撃を開始できるのである。
前回掲載したイギリス人ジャーナリストのヘンリー・S・ストークス著『大東亜戦争は日本人が勝った』にも英国人から見た世界史観にも東京裁判で裁かれるべきはアメリカであり、アメリカこそ戦争犯罪国であると、主張し、日本はアジアの植民地解放した偉業を成し遂げたと称賛している。世界史上の白人キリスト教徒の残虐史を解説している。
「以前に掲載した政治講座」を読みながら次へ
政治講座v122「Japan was a Victor Nation in the Great East Asia War, "The pacific War " is America’s Brainwashing.」
https://note.com/tsukasa0415/n/n1371b3bb4634
政治講座ⅴ18「自虐史観からの脱却」https://note.com/tsukasa0415/n/nda243e28d7ac
政治講座ⅴ25「日本に蔓延る反日勢力の正体」日本人必読内容(2)
政治講座ⅴ24「War Guilt Information Program」日本人必読内容(1)https://note.com/tsukasa0415/n/n02f5427b6e5b
政治講座ⅴ31「八紘一宇の誤解と現代の偏向報道」https://note.com/tsukasa0415/n/n35da3bc6dade
理論学が教える根本原理
根本原理は「前提が正しければ結論が正しい」「前提が間違いであると結論は間違いである」ということである。東京裁判が間違いであったなら、「A級戦犯は存在せず、日本は犯罪者でない」ということである。
しかるに、戦後、多くの日本人は東京裁判は正しい裁判であり、A級戦犯は戦争犯罪者であるという間違った結論を持ち続けている。
ゆえに、中国や韓国からの非難に対して有効な反駁できず、ただ、反省と謝罪を繰り返すだけとなる。日本が反省と謝罪を繰り返す限り、中国、韓国は靖国神社を持ち出して日本をひざまずかせようとする。この悪しき慣行が繰り返されている。
悲しいかな東京裁判から七十数年が経過して完全に風化している。その詳しい内容や経過について知るものは少ない。一部の研究者しかこの裁判について言及していない。まして、マスコミも一般人もほとんど知らない歴史の彼方の物語となっている。戦後世代の政治家も関心がない。古い世代も中身についての詳細な知識はない。
靖国神社参拝問題で中国と韓国から非難されると一言も反駁できない。A級戦犯が合祀されているからダメだと非難されたら反駁もせずに、ただ「そうかな」とうなずいているだけである。有力政治家までもが「A級戦犯」などと軽々しく使う。
東京裁判を解説したことそのものが、間違いだったら戦犯は全く根拠を失い瓦解するのである。その根拠の有無から論じる。
極東国際軍事裁判所には日本を裁く権限がない
これが、清瀬一郎弁護士が提起した管轄権に関する動議である。
1,東京裁判は、ポツダム宣言に規定してある戦争犯罪(通例の戦争犯罪)についての裁判であって、それ以外のことを裁く権限がない。
2,すなわち、東京裁判には、「平和に対する罪」(侵略戦争)、「人道に対する罪」(非人道的な行為)を裁く権限がない。
3,すなわち、ポツダム宣言当時に世界に存在したものは、戦時法規の違反である「通例の戦争犯罪」のみである。
★日本は7月26日のポツダム宣言を受諾し、9月2日にそれを確認し文章に署名した。故に日本も連合国も、ポツダム宣言に記載されている条項に拘束される。連合国は勝者だからといって、勝手なことをすることはできない。従って、ポツダム宣言に規定されている「通常の戦争犯罪」以外の「平和に対する罪」「人道に対する罪」のような事後に作った新しい戦争犯罪の罪(事後法)によって裁判はできないのである。
4,ドイツと日本は降伏の条件が全く異なる。日本は無条件降伏したのではない。ポツダム宣言という条件付の降伏である。ドイツの方式を日本に適用するのは間違いである。政府が壊滅し無政府状態のドイツときちんとした政府が存在していた日本では全く違う。すなわち、ドイツは政府が崩壊し征服され完全な無条件降伏である。しかし、日本はポツダム宣言という条件を受諾して降伏した。全く置かれた条件が違う。
★ポツダム宣言も、昭和20年9月2日のミズーリ号での降伏文書も「日本国軍隊の無条件降伏」と書いてある。これは極めて重要な点である。ドイツは敗戦の時、ヒトラーは自決、政府は瓦解し連合国に軍事的に「征服」されたのである。無条件降伏したのはドイツ軍であって、ドイツは国家としての降伏を認められず、降伏文書に調印すらしていない。国家が崩壊したとして連合国の軍政下に入っている。
この征服された国家ドイツを裁くニュルンベルク裁判の考えを、ポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印した日本に適用するのは間違いである、ということである。日本には、政府も議会も厳然と存在していたのである。
5,パリ不戦条約は戦争を違法としているが犯罪としていない。
★昭和3(1928年)年から昭和20年9月2日までが起訴の対象期間である。なぜこの期間かというと1928年にパリ不戦条約が成立したゆえに、不戦条約違反として起訴されたのである。
パリ不戦条約の概要
1928年(昭和3年)8月27日にアメリカ合衆国、イギリス、ドイツ国、フランス、イタリア王国、大日本帝国などの当時の列強諸国をはじめとする15ヵ国が署名し、最終的にはソビエト連邦など63か国が批准した。
この条約の成立は、国際連盟規約、ロカルノ条約と連結し国際社会における集団安全保障体制を実質的に形成することになった。すなわち19世紀の国際法によれば至高の存在者である主権国家は相互に対等であるので戦争は一種の「決闘」であり国家は戦争に訴える権利や自由を有すると考えられていたが、不戦条約はこの国際法の世界観(無差別戦争観)の否定であり、一方で連盟規約違反やロカルノ条約違反をおこなう国に対しては不戦条約違反国に対する条約義務からの解放の論理が準備され、「どの国家にせよロカルノ条約に違反して戦争に訴えるならば、同時に不戦条約違反ともなるので、他の不戦条約締約国は法的に条約上の義務を自動免除され、ロカルノ条約上の制約を自由に履行できる」と解釈された(制裁戦争)。
この条約はその後の国際法における戦争の違法化、国際紛争の平和的処理の流れを作る上で大きな意味を持った。一方で加盟国は原則として自衛権を保持していることが交渉の過程で繰り返し確認されており、また不戦条約には条約違反に対する制裁は規定されておらず、国際連盟規約やロカルノ条約など他の包括的・個別的条約に依拠する必要があった。そのほかにも自衛戦争の対照概念たる「侵略」の定義がおこなわれておらず、第一次大戦で多大な効力を発揮した経済制裁(ボイコット、拿捕や敵性資産の没収等)が戦争に含まれるのか不分明であり、また戦争に至らない武力行使、国際的警察活動(海賊やテロリストの取締、とくに他の締約国内での武力行使を伴う)、中立国の権利義務など不明確な点を多く含んでいた。しかもこの条約は加盟国の戦争放棄を一方的宣言するものではなく、あくまで「締約国相互の不戦」を宣言する(前文・1条・2条)ものであり、その加盟国相互の国家承認問題についても曖昧に放置されたものであった(後述)。ケロッグは1928年4月28日にアメリカ国際法協会において演説を行い新条約の説明をした。初めに自衛権について、アメリカの条約案は自衛権を決して妨げるものではなく、あらゆる条約は自衛権を含意しているとした。そして侵略の定義については、無法者にとって定義を悪用するのは容易であるからとして、敢えて曖昧な状態にした。条約批准に際し、アメリカは、自衛戦争は禁止されていないとの解釈を打ち出した。またイギリスとアメリカは、国境の外であっても、自国の利益にかかわることで軍事力を行使しても、それは侵略ではないとの留保を行った。アメリカは自国の勢力圏とみなす中南米に関しては、この条約が適用されないと宣言した。アメリカは1927年にニカラグアへ内政干渉しており、その積極的な役割をヘンリー・スティムソン(のち国務長官)がおこなっていた。また1929年の大恐慌以降、30年から31年にかけて中南米20カ国で10回の革命が発生するなど現実的な事情を抱えていた。一方でアメリカのヘンリー・スティムソン長官は錦州および南満州問題に関する「スティムソン・ドクトリン」(1932年1月)において明示的に不戦条約(パリ平和条約)に言及し道義的勧告(moral suasion)に訴えた。
世界中に植民地を有するイギリスは、国益にかかわる地域がどこなのかすらも明言しなかった。国際法は相互主義を基本とするので、「侵略か自衛か」「どこが重要な地域であるのか」に関しては当事国が決めてよいのであり、事実上の空文と評されていた。
6,ニュルンベルク裁判所を成立させる根拠は1045年8月8日のロンドン協定である。東京裁判は7月26日のポツダム宣言である。
未来の8月8日で過去の7月26日を解釈することは間違いであり、事後法に匹敵する近代法律では許されない。
7,ポツダム宣言当時の戦争とは、大東亜戦争のことである。満州事変や張鼓峰事件やノモンハン事件は対象外である。満州事変の結果の満州国は、国際的に承認されている。張鼓峰事件やノモンハン事件が停戦協定が結ばれ解決済みである。
★ソ連が連合国の一員とはいえ、張鼓峰事件やノモンハン事件を侵略戦争として起訴の対象とするのは、笑止千万である。ソ連こそが中立条約を破り、日本に参戦し、その上、60万人もの捕虜を虐殺した戦争犯罪人である。
以上の7つの論点に分けて、本裁判所には、被告を裁く権限はないと主張。
これに対するキーナン検事の反駁
キーナン検事「被告の動議に対して、我々は法律の問題としては、まったく関心がない。日本は無条件降伏したのであり、軍事裁判条例の管轄下にある。」
キーナン検事は管轄権の法律問題に関心が無い、といみじくも漏らしてしまった。これは重大な発言である。管轄権というこの裁判の根幹に関する法律問題に「関心がない」などとは法曹人が言うべき言葉ではない。
いかに茶番の裁判であり、正当性を欠き、公平さを欠くリンチ(私刑)に他ならないことが垣間見える瞬間である。
清瀬一郎弁護士「ポツダム宣言に書いてあるように日本は無条件降伏したのではない。無条件降伏したのは、日本国の軍隊である。日本はポツダム宣言という条件を受諾し降伏した条件付き降伏である。」
ファーネス弁護士「裁判官は連合国の出身者であって、合法、公平な裁判はできない。ゆえに、管轄権はない。被告は中立国の裁判官によって裁判されるばきである。戦争の熱情と増悪に影響されない中立国の代表による裁判こそ合法であり、公正である。」
ブレーク二―弁護士の原爆発言
昭和21年5月14日、管轄権ディベートの過程で、ブレーク二―弁護士の原爆発言が飛び出した。これは当時、法廷では通訳がストップし翻訳されなかった。速記録にも残っていない。しかし、長編記録映画「東京裁判」が公開され判明した。
ブレーク二―「戦争での殺人は罪にはならない。それは殺人罪ではない。戦争は合法的だからです。つまり、合法的な人殺しなのです。殺人行為の正当化です。たとえ険悪すべき行為でも、犯罪としての責任は問われなかったのです。
キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人になるならば、我々は広島に原爆を落とした者の名を挙げることができる。その国の元首の名前も我々は承知している。我々は殺人罪を意識していたか。してはいまい。・・・
何の罪科で、如何なる証拠で、戦争による殺人が違反になるのか。原爆を投下した者がいる。この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認した者がいる。その者たちが裁いているのだ。」
管轄権ディベート、その後の結果
三日間のディベートの後、5月17日にウエブ裁判長が裁定を下した。
ウェブ裁判長「弁護側の動議はすべて却下しました。その理由は将来に宣告します。休廷」
これから2年6か月後、昭和23年11月4日、判決言い渡しの日に判決文の中で管轄についての回答が発表された。
判決文の言い分は次の通りである。
第一、管轄権は裁判所条例にある。
これは、何のための動議か意味がない。裁判所条例そのものに対して疑問を呈したのに回答が裁判所条例に基づいていると言うのである。何をかいわんやである。釈明できない正当性のない理由で裁いたことの証明である。
第二、極東国際軍事裁判はニュルンベルク裁判所の意見と同一である。
日本の戦争をナチスドイツの戦争と全く同じと看做す見解である。全く、日本の置かれた背景、条件などを考慮していない。
第三、侵略戦争はポツダム宣言の当時よりもずっと以前から国際法の犯罪である。
これは、日本の戦争を侵略戦争と決めてかかっている判断である。ならば二年六か月間も裁判をする必要はない。儀式化された復讐という根拠はここにある。
判決に見る理不尽さ
東京裁判の理不尽さは、法廷において日米の弁護士たちが職をかけて暴いた。11人の判事団も意見が大きく分かれた。インドのパール判事のように日本は無罪であると断定する人もいた。オランダのレーリンク判事やフランスのベルナール判事、そして裁判長のウエブすら多数派の判事と意見を異にしていた。
東條英機元首相の死刑判決は7対4である。11対0の全員一致で有罪となったのではない。判事の間には異論が噴出したのである。4人が反対したのである。広田元首相の死刑判決は6対5であった。松井、土肥原、武藤、板垣、木村の各被告の死刑判決も7対4であった。無期、有期刑の人も同じである。25人の被告の中に、判事11人全員が有罪と判決したのはただの1人もいない。反対者が必ずいたのである。
判決を聞いた検事側のキーナン首席検事すら「重光は無罪である」といった。東京裁判には細部を分析すると驚くべき理不尽さが隠されている。
政治講座v114「東條英機、東京裁判の証言」https://note.com/tsukasa0415/n/ne6a85d69ca7b
東條英機宣誓供述書
★終わりに臨み
「終わりに臨みー恐らくこれが当法廷の規則の上に於いて許される最後の機会であろうが、私はここに重ねて申し上げる。日本帝国の国策ないしは当年合法にその地位にあった官吏の採った方針は、侵略でもなく、搾取でもなかった。一歩は一歩より進み、また適法に選ばれた各内閣はそれぞれに相承けて、憲法及び法律に定められた手続きに従い、事を処理していったが、ついに我が国は彼の冷厳なる現実に逢着したのであります。当年、国家の運命を商量較計するの責任を負荷した我々としては、国家自衛のために起つということがただ一つ残された途でありました。我々は国家の運命を賭しました。しかし敗れました。而して眼前に見るが如き事態を惹起したのであります。戦争が国際法上より見て正しき戦争であったか否かの問題と敗戦の責任いかんとの問題とは、明確に分別の出来る二つの異なった問題であります。
第一の問題は外国との問題であり、かつ法律的性質の問題であります。私は最後までこの戦争は自衛戦であり、現時承認せられた国際法には違反せぬ戦争なりと主張します。私は未だかつて我が国が本戦争を成したことを持って国際犯罪なりとして勝者より訴追せられ、また敗戦国の適法なる官吏たりし者が個人的の国際法の犯人なり、また条約の違反者なりとして糾弾せらるとは考えたことはありませぬ。
第二の問題、即ち、敗戦の責任については当時の総理大臣たりし私の責任であります。この意味における責任は私はこれを受諾するのみならず、哀心より進んでこれを負荷せんと希望するものであります。
昭和22年12月19日 於東京 市ヶ谷 供述者 東條英機 立会人 清瀬一郎
告全員に無罪判決を出したパール判事は『パール判決書』の中で、
「戦争の勝ち負けは腕力の強弱であり、正義とは関係ない。」と記述している。
また「現代の歴史家でさえも、つぎのように考えることができたのである。すなわち『ハル・ノートのようなものをつきつけられれば、モナコ公国やルクセンブルク大公国でさえ戦争に訴えただろう』。」
弁護したベン・ブルース・ブレイクニーの言葉をそのまま判決書に紹介している。これについて、日本の保守系論者(伊藤哲夫:日本政策研究センター)は「『戦争を始めたのは日本ではなく、アメリカなのだ』ということを意図したものである」と主張している。
さらに、パール判事は、「法の真理」が、戦争を超越して存在していることを示唆した次のような言葉も表明している。
「時が熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、また、理性が虚偽からその仮面を剥ぎとったあかつきには、そのときこそ、正義の女神は、その秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するだろう。」
東京裁判における主張 (パール判決書)
パールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではない。
パール判決書は法廷においては公表されず、多数派の判決のみが、あたかも全判事の一致した結論であるかのような角度において宣告された。ブレークニー弁護人は、少数派意見も法廷において公表すべきことを強硬に主張したが、容れられなかった。パール判決書は、未発表のまま関係者だけに配布された。
なお、「パール判事は親日家故に日本に有利な主張をした」「反白人のため、欧米に不利な主張をした」という説は事実誤認であり、自身も強くこれを否定している。また、パールの長男も「(パールは)国際法の専門家として東京裁判を批判しただけであり、日本を擁護することを考えていたわけではない」と2007年に語った。事実、パールは意見書の中で、残虐行為などについても、敗戦国の日本やドイツ、戦勝国のアメリカに分け隔てなく批判的見解を述べ、一方の政策への個人的見解を前提とした恣意を強く戒めている。たとえば訴追理由となった日本軍兵の残虐行為についても、多くは実際に行われていたであろうと判定している。
パール判決書の概要
パールの裁判における判決書は、英文で1275ページに及ぶ膨大なものであり、全7部で構成されている。
一部
裁判官が戦勝国出身者のみで構成されている事の適切性
侵略戦争の責任を個人に求めることの妥当性
二部
侵略戦争と自衛戦争の区別。この中でパールは、日本の戦争を一方的な侵略戦争とは断定できないとしている
三部
証拠および手続きに関する規則の検討
四部
訴追事由の一つである「共同謀議」論の否定
五部
裁判の管轄権。この中では真珠湾攻撃以前の案件を扱うことは事後法となり、管轄権を侵害しているとしている
六部
厳密な意味での戦争犯罪の検討。この中では、非戦闘員の生命財産の侵害が戦争犯罪となるならば、日本への原子爆弾投下を決定した者こそを裁くべきであろうとしている
七部
この部分はパールが裁判に対して行った勧告である。この中で全被告人は無罪であるとしている
南京事件
南京事件については「この物語のすべてを受け入れる事は困難である」と、検察の提示した十数万から数十万もの証言や証拠に強い疑問を呈した。ただし、パールは「宣伝と誇張をできるかぎり斟酌しても、なお残虐行為は日本軍がその占領したある地域の一般民衆、はたまた戦時俘虜に対し犯したものであるという証拠は、圧倒的である」と、犯罪行為その物は存在したと判断している。
ただし、「弁護側は、南京において残虐行為が行われたとの事実を否定しなかった。彼らはたんに誇張されていることを言っているのであり、かつ退却中の中国兵が、 相当数残虐を犯したことを暗示した」として、弁護側が一定規模の残虐行為の存在については争う姿勢を見せなかったために弁論主義の原則から真否を審理せずそのまま判決の基礎とした。そして残虐行為を行った人間は直接の上司と共に既に処罰されている事、「犯罪行為の指示」「故意の無視」といった事実は見受けられないことなどから、被告に繋がる問題ではないとして残虐事件の責任を問われた松井石根に対しても無罪を宣告している。
バターン死の行進その他
バターン死の行進については「実に極悪な残虐である。輸送機関もなく、また食糧も入手しえなかったために止むをえなかったという理由でこれを弁護しようと試みられたのである」)として、その弁護が事実であったとしても正当化できる物ではないとし、「灼熱の太陽下、120キロメートルにわたる9日間の行軍の全期中、約65,000名の米国人およびフィリピン人俘虜は、その警備員によって蹴られ殴打された。病気あるいは疲労のために行進から落後した者は、射殺され、あるいは銃剣で刺されたのであった」として「本官は、このできごとがすこしでも正当化しうるものであるとは考えない。同時に、本官は、これにたいしてどのようにして現在の被告のうちのだれかに責任を負わすことができるか、理解することができない。これは残虐行為の孤立した一事例である。その責任者は、その生命をもって、償いをさせられたのである。本官は現在の被告のうちのだれも、この事件に関係を持たせることはできない。」とした。
また、アジア太平洋各地で、戦争の全期間を通じて、異なった地域において日本軍により、非戦闘員にたいして行われた残虐行為の事例を示し、「主張された残虐行為の鬼畜のような性格は否定しえない」と述べ、「これらの鬼畜行為の多くのものは、実際行われたのであるということは否定できない」と主張した後、「しかしながら、これらの恐るべき残虐行為を犯したかもしれない人物は、この法廷には現れていない。(…)現在われわれが考慮しているのは、これらの残虐行為の遂行に、なんら明らかな参加を示していない人々に関する事件である。」とした。
ホロコーストと原爆投下に関して
連合国側はニュルンベルク裁判と東京裁判との統一性を求めていたが、パール判事は、日本軍による残虐な行為の事例が「ヨーロッパ枢軸の重大な戦争犯罪人の裁判において、証拠によりて立証されたと判決されたところのそれとは、まったく異なった立脚点に立っている」と、戦争犯罪人がそれぞれの司令を下したとニュルンベルク裁判で認定されたナチス・ドイツの事例との重要な違いを指摘したうえで、「(米国の)原爆使用を決定した政策こそがホロコーストに唯一比例する行為」と論じ、米国による原爆投下こそが、国家による非戦闘員の生命財産の無差別破壊としてナチスによるホロコーストに比せる唯一のものであるとした。また、戦争の遠因となった人種差別問題の観点に触れつつ、「最初の原子爆弾の実験台として、決して彼ら(米英)は白人国を選ぶようなことはしなかったであろう」と述べた。
あらためて問う。トルーマン大統領の免責特権で済む者であろうか? 大変な道義的責任を負っている。しかも民主主義国家における国民に選ばれた大統領の行為の結果責任は米国民に帰属すると考える。以前の中国のロケット軍におけるロケット燃料が「水」という横領・着服の腐敗体質を『樽の中のワイン』の寓話で解説したが、民主主義は責任の所在が不明になる欠点を内在しているのである。その例が原子爆弾の投下の責任の所在が曖昧または「免責特権」で、結局、国際法違反で子供・女性の非戦闘員を数十万をも虐殺した命令者の大統領の責任なしとなる。民主主義とはこれほど無責任体制である。
寓話の『樽の中のワイン』における“自分一人くらい…”の心理
ケアラー支援カウンセラー|惠然庵
2021/08/13 16:59
イソップ寓話の「樽の中のワイン」という話をご存知でしょうか。
昔、祝い事のために、村人たちがワインを持ち寄ることになりました。
持ってきた人は決められた樽の中にワインを入れておくように、というルールです。
当日、さあみんなでワインを飲もうとなって樽から注ぎますが、
飲んでもワインの味がしません。
なぜかというと。
「高価なワインを寄付なんかしたくない。自分一人くらい水を混ぜても分らないだろう」
という考えを、皆がもってしまい、皆が水をいれていた、という話。
「自分ひとりくらい」と思ってやってしまうことは、結構ありますよね。
しかしそれを思いつくのが自分だけではない。
結局皆が「自分だけズルをしよう」として、皆が同じことを考えていた。
似たようなことはよく身近で起こる気がします。
自分一人くらい、ポイ捨てしてもいい。
自分一人くらい、を手抜きしてもいい。
自分一人くらい。
100のうち1人なら、もしかしたら。
でも100人が100人やれば?
誰もが持ちうる心理だからこそ、自分一人くらいは「ちゃんと」やったほうが、価値がありますよね。
皆がポイ捨てしても、自分は捨てない。
皆が手抜きしても自分はしない。
自分一人だけだとしても。
民主主義の選挙の有権者に対する不適切な指導者を選んだ道義的責任も問われなければならない。投票には権利と責任が発生するものであると考える。 どんとはらい!
参考文献・参考資料
トランプ氏、免責特権で“トルーマン大統領が原爆投下決断”と主張 (msn.com)
日本への原爆投下は「大統領が起訴されない免責特権ある」から?…トランプ氏が法廷闘争受けて持論 (msn.com)
政治講座v123「Frame-up&Lynchの『東京裁判』を解説」|tsukasa_tamura (note.com)
北岡敏明+「ディベート大学」著 『東京裁判はでっちあげだった』総合法令 2006.12.7 初版発行
半藤一利著 『マッカーサーと日本占領』PHP 2016.5.6 1版1刷
渡部昇一著 『東條英機 歴史の証言 東京裁判 宣誓供述書を読みとく』祥伝社 2006.8.1 初版1刷
色摩力夫著 『日本人はなぜ終戦の日付を間違えたのか』黙出版 2000.12.8 初版発行
名越二荒之著 『世界から見た大東亜戦争』 展転社 1992.4.8 2刷発行
ヘンリー・S・ストークス著 藤田裕行訳・構成『大東亜戦争は日本人が勝った』 ハート出版 2017.4.27 第1刷発行
政治(寓話)講座ⅴ1591「嘘だろう?『ミサイル燃料に水!』まるで『樽の中のワイン』の寓話みたい」|tsukasa_tamura (note.com)
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