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100日後に死ぬマクベス。ロンドン疫病大流行時シェイクスピアが書きあげた悲劇を今読む。

全国一斉休校高校野球の中止東京オリンピックの延期、イタリアで1万人以上の死者緊急事態宣言などなど、新型コロナウイルスは世界に大混乱を巻き起こしているのである。そのような大変な状況の中でカミュ『ペスト』が売れているそうだが、シェイクスピアがあまり注目されていないことが私は不思議なのである。

シェイクスピア時代のロンドンはとてつもなく疫病が流行していて、劇場の閉鎖などに追い込まれることがよくあったそうである。シェイクスピア好きの私としては、そういった解説をよく耳にはしていたがいまひとつ実感がわいていなかったことを今、思い知らされている。「へえ」ぐらい、「昔のやつって路上でうんちとかしてたらしいし、ぜってえ臭かったんだろうな。」ぐらいだったのである(それも今となっては懐かしい)。

実はシェイクスピアの戯曲には、そうした疫病に対しての描写はほとんどない。「あいつめ、疫病にかかるがいい!」みたいに、怒りに駆られた主人公の呪いの言葉の中でちょろっと取り上げられてるぐらい。そういうところも今ひとつ実感がわかなかった理由だろうし、カミュの方が今人気がある理由であろう。

しかしそれも今思うと、ほとんど取り上げていないだけにむしろリアルだったのである。だってまさに演劇人の仕事ってまじでなくなるのだから。野田さんとか平田さんが怒っていた気持ちもわかる今、疫病のせいで生活の影響をモロに受けていたシェイクスピアが劇中でそう簡単に疫病のことを取り上げるわけがない。このようにイベントが次々と中止になっている状況も考えると、わざわざその場で、わざわざ世間の目の敵にされかねない疫病について演劇内で触れるだろうか。だからこそリアルに、客観的にではなく「主観的」に、当時疫病がとても怖ろしいものだったという事実が、「世界中のありとあらゆる人間を描いた」と評されるこの劇作家が、このことだけについては全然詳しく描いていない事実によって、むしろありありと描かれている気が僕はする。

以下は、ロンドンで疫病がよく流行っていた時に執筆されたと考えられる作品であり、元々私が大好きな「マクベス」を、2020年にあらためて読んだ、その感想である。


■疫病蔓延の恐怖の中でシェイクスピアが書きあげたマクベスを今読む

シェイクスピアが劇作家として活動を始めたのは1590年から1613年頃までであった。疫病が流行ったのは彼がまだ駆け出しの頃だった1592年、それから劇作家として一番あぶらの乗り切っていた四大悲劇を書いていた、1603年~1606年頃と言われている。

当然その時は演劇の公演も打たれなかったため、シェイクスピアは家で一生懸命新しい劇作に励んでいたことであろう。

1606年に初演されたマクベスもそうして完成された作品の一つと考えられる。

実は僕は、自分のブログで初心者向けのシェイクスピアのおすすめ記事を書いていて、マクベスについて「一番読みやすくて展開も速くて、面白いよ!」と推薦している作品である。この記事を書いて2年くらい経つが、1番よく売れている。

でもこの作品を今読み直してみると、本当はもっと面白かったのである。直接的に疫病の言及はないとはいえ、門番のあのノックの音をはじめとする、「迫り来る恐怖」の描写は、なるほど疫病が蔓延していたという視点で読み直してみると興味深い。マクベスの時は疫病の蔓延が収まっていたのかもしれないが、あくまで一時的なものであろう。1600年から頻繁に起こっていたようであるし、「また流行するのでは…」という懸念、命の危険性は常にあったものと思われる。なにしろ当時の医療では原因はまったく解明されず、ただの隔離しか対策が取れていなかった。安心は流石にしていまい。

Fair is foul, and foul is fair
きれいは汚い、汚いはきれい

という最初の魔女の予言も、それまでの僕ならば「価値観は一つに決まらない」程度の理解だったのだが、そんな生やさしいものではなかったと今思い知らされる。目に見えない微生物のせいで病気に冒されてしまう、何一つ確信できるものはないパンデミックの危機的状況を踏まえると、実はもっと根の深い言葉なのではないだろうか。

実際予言はこう続く。

Fair is foul, and foul is fair:
Hover through the fog and filthy air.

きれいは汚い、汚いはきれい
不潔な霧の中を飛んでいけ

それから手をいっくら洗っても満足できない潔癖症、「動く山」「女から産まれなかった男」といったまさかの事態によって死ぬ、「ぜったい大丈夫であっても、十分注意しても、十分確認しても、やっぱ死ぬ」というマクベスの運命、恐怖、絶望、無念。なるほどパンデミック大爆発の渦中で生み出された作品であることを併せて考えると壮絶だ。そしてめちゃくちゃ、面白いのである。

そしてマクベスの最愛の妻が死んだ時、この「究極の虚無」の台詞に繋がるわけである。

Out, out, brief candle!
Life's but a walking shadow, a poor player
That struts and frets his hour upon the stage
And then is heard no more:

消えろ消えろ、つかの間の灯(ともしび)!
人生とは、所詮幻影があちこち歩き回ってるだけのことだ。大根役者が
舞台上で見得を切ったりイラだったりしたあげく
結局幕が閉じれば何も聞こえなくなるようなもの。

しかし実は、何と言うか、僕はここの台詞をちょっと原文でも調べてみて、不思議なことが起こったのである。

奥さんに亡くなられて辛いというマクベスの気持ちは十分わかるわけだが、ちょっと不謹慎なのだけれども、僕はニヤついてしまったのである。

そして気付けばこの英語を何回も何回も大声で読み続けていたのである。上記の引用をもうちょい前から引用してみるとこれだ。

She should have died hereafter.
There would have been a time for such a word.
Tomorrow, and tomorrow, and tomorrow,
Creeps in this petty pace from day to day
To the last syllable of recorded time,
And all our yesterdays have lighted fools
The way to dusty death. Out, out, brief candle!
Life's but a walking shadow, a poor player
That struts and frets his hour upon the stage
And then is heard no more:

「奥様が亡くなられました」という伝令を受けた、マクベスの嘆きの言葉である。訳はあんまりわからなくても、君も英語が少しでもわかるならば声に出してみてほしい。

すごく、かっこいいのである。

特に「トゥモロー、エントゥモロー」のところから「ダスティ、デス。」まで、かなり長い文章が続いた直後、「アウ、アウ、ブリーフキャンドーッ!」という叫びに繋がるところなんかもう。まるで「はあ――っ!」と目一杯いら立ちのため息をついて、それから、苛立ちの言葉を叫ぶかのような流れ。ところどころの舌打ちにも似た「d」の音の連鎖。かっけーの一語。だからニヤつく。

英語のリズムの良さもカッコいい上に、表現されている哲学的思想もカッコいいと来る。かっけー。「かっこいい」って、こういうことを言うんだなと思う。

そして僕は、全身にみるみるエネルギーのようなものが湧いてきたのである。

奥さんへの追悼の言葉だし、本来もっと湿っぽいはず、あるいは「いやあ人間って素晴らしいよね……」的な葬式特有のほんわかな気持ちになるはず、なのに、この台詞は、とにかく100mを全力疾走したくなるような、全身を生命のエネルギーに充溢させる力に満ち満ちている。

今の世界でも、いろいろ政府がどうとか、「もうこれで世界はぜったいだめだぜ」とかつぶやいている人もたくさんいるのである。そういうのを読んでいると僕の気持ちはどんどん沈んできてしまうのである。別に内容や思想について問題があるわけではない。それぞれが自由に意見を言えばいい。でも、やっぱりなんていうか、そこにカッコよさと元気がほしい。「いやそういう問題じゃないだろ!本当に大変なんだぞ!」って思うかもしれないが、ちょこっと、なんというか、軽くダサいのだ。「言いたいことは全部言っておかなきゃ損だ!さあ急げ、急げ!」みたいな精神がであろうか。別にこれだけじゃなく、ネット上でよくなされている議論全般諸々が、色々辛いのだろうけれども、もしもう少しマクベスみたいにカッコよく嘆けれていれば、僕はもっと共感するような気がするなあ。

つまりシェイクスピアが永遠に愛されてる理由とは、悲しいことや悪いことや怒りを書いても、どこか聞く人を元気にするエネルギーに満ちあふれてることなのである。悲しい未来や悲しい現実をただ愚痴るというのも少し芸がない。スパム、デマ、ノイジーマイノリティなど、「SNSの限界」が浮き彫りになりつつある現在、もしこの先この騒動が収束し、また元通りの世界に戻った時には、このような読んだ人を元気にする、神妙にするというよりも元気にする、カッコいいつぶやきができるような人間になりたいものである。


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