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VUCA×サービス化の時代のマネジメント「人が増えても速くならない ~変化を抱擁せよ~」

「ソフトウェア産業の生んだ知見をふんだんに活かしたマネジメント術」。本書の内容を簡単に言えば、そんな感じになるだろう。

多くの企業は、まずソフトウェア開発を手掛け、最適な開発方法を模索して、アジャイルを取り入れる。でも逆の筋道を辿った人もいる。本書の著者、倉貫さんは、アジャイルというソフトウェア開発手法にふれ、それを実践するチームを模索し、それがいつのまにか会社として独立し自身が経営するに至った人だ。その倉貫さんが、12年のソフトウェア開発に学び、12年の経営で磨いた独自の経営思想が、平易にまとめられていた。

マネジメントという言葉はいろんな意味で使われるけど、この本についていえば経営でもチーム運営でもプロジェクト管理でもいい。セルフマネジメントだっていい。どれにでも役立つと思う。そう思う理由は、本書の時代性だ。ソフトウェア開発の知見というものは、それほどいまの時代には、実はどこでも求められるものだと思う。

マネジメントの難しい時代

いまの時代を表すキーワードとして、「VUCAの時代」と「サービス化の時代」を挙げたい。

現代はとても変化の激しい時代だと言われる。それも乱気流のような、次の瞬間の風向きが読めない変化だ。Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字をつなげて、VUCAという。VUCAの時代に企業が困るのは、いまある商品が想定外の早さで古いものになってしまい、でも新しい商品を作ろうと思っても次になにが来るのか分からないことだ。最近の経営のホットワード、例えば「リーン」「心理的安全性」「両利きの経営」などはどれを紐解いても、この変化の激しさ、VUCAをどうマネジメントするかという問いを含んでいる。

それからもう一つ。産業はどんどんモノづくりと販売からサービスの提供にシフトしてきている。マクロに見れば、産業別就業人口のグラフを見ると日本では広義のサービス業である第三次産業が1951年の31%から1972年の50%、2022年には74%に増えている。もちろんそのなかにも製造に携わる人はいる。例えば飲食店はサービス業だけど、就業者にはかなりの割合で調理師が含まれていそうに思われる。でも実際には、全就業者およそ400万人に対して、飲食店の就業調理士数は6万人程度らしい。圧倒的サービス業。

サービス化の時代に企業が困るのは、製造業で培われた生産管理とか建設業で培われたプロジェクト管理の手法が、どうもうまく機能しないことだ。ソフトウェアを組み上げる仕事を、マネージャーたちはよく建物を組み上げる建築業のプロジェクト管理のノウハウでマネジメントしようとしてきた。でも本書に出てくる話だけど、ソフトウェアを作るというのは、家を建てる大工の工程ではなく、設計図をまとめる設計士の工程だと分かってきた。10日間経てば10日分進み、人を10人増やせば10人分捗るものではなかった。

ソフトウェアは「困りごと先進産業」

困りごとだらけの「VUCAの時代」と「サービス化の時代」。だからこそソフトウェア開発の知見は大事になってくる。ソフトウェア産業は、この点でちょっと特別なところがあると思っている。

まずVUCAの時代の本質は、おそらく「ばらばらのことを言う多数のステークホルダー」だ。Web2.0、SNS、情報爆発以降は消費者の声が別の消費者に届き、こだまして売行きを大きく左右するようになった。予想もつかないバズで急増し、ディスで突然退場になる。もはや消費者全員が潜在的なステークホルダーなのだ。しかしソフトウェアは昔からこうした状況に曝されてきた。

2008年に始まり最終的にとん挫した旭川医科大学の病院情報管理システム導入はその一例で、その背景は「医療現場で本当に要件を決められるのは医師」「良いシステムにしたい思いはあるので」「医師たちからの要望が仕様凍結後も収束しなかった」とまとめられている。業務システムでは一般には利用部門一つ一つの代表者が、時にはこの件での医師のように利用者一人一人がステークホルダーという世界だ。ソフトウェア開発の世界は、昔からVUCAの構図の中でもがいてきた。

そしてサービス化。ソフトウェア開発は、かつてはモノ作りだと思われていたけれど、現在はサービス業、それも知識産業だと考えられている。知識やノウハウ、従業員のスキルといった知識資産と、特許などの知財、そうしたものを提供する。この世界では、上でも書いたように製造業のノウハウがいまいち機能しない。例えば本書の第2章「人を増やしても速く作れるわけではない」にこんな一節がある。

「遅れているソフトウェアプロジェクトへの要員追加は、プロジェクトをさらに遅らせるだけである」
これは、1975年に出版された『人月の神話』という非常に有名な本に書かれた文章です。著者のフレデリック・P・ブルックスの名前から、「ブルックスの法則」と言われています。何十年も前に書かれたことが、今もなお通じることに驚きを隠せませんね。

「人が増えても速くならない ~変化を抱擁せよ~」第2章

しかしこれはソフトウェア開発に限らない。例えば巨大案件の重荷になんとか持ちこたえているコンサルティングの現場に、コンサルタントを3~4人応援として追加したらどうなるか。一貫した思考、一貫した提案を欠いて、現場が混沌とするだけだろう。経営会議の検討事案が増大している。では外部から経営幹部を3~4人雇用して参加者に加えたら捗るだろうか。次の販売キャンペーンを練っている商品チームにマーケターを3~4人臨時追加したら。会議室とかレポートとかが必要になるような現場は、大体この法則があてはまるのだ。

本書の知見の多くは、知識産業全般で当てはまると思う。長寿命国である日本は世界に先駆けて高齢化問題に直面する、そのことを「世界に先駆けて取組み後に世界に貢献するチャンス」と前向きに捉えた「高齢化先進国」という表現があった。それに倣って言えば、ソフトウェア産業はVUCA×サービス化の時代の「困りごと先進産業」。本書はソフトウェア業界で先にその時代に叩きこまれた著者らがまとめた困りごとガイドブックなのだ。したがって本書は、きっとソフトウェア以外の業界・業種、これからその時代を迎える業界・業種の人にこそ、より先の役に立つだろう。

ソフトウェアに関わらない人へのガイドブック

困りごとガイドブックと書いたけど、この先に訪れるのは困りごとだけではない。好機もだ。ソフトウェアの世界では、個人の生産性が数十倍とか百倍とかの違いになることがある。第3章「たくさん作っても生産性が高いとは言えない」にこんな話がある。プログラムを作るとは、コンピューターへの指示書を書くことだ。次の二通りが示されている。

  • 「1を表示しなさい」「2を表示しなさい」「3を表示しなさい」と書き連ね、「100を表示しなさい」まで続く100行の指示書

  • 「1から100までの数字を用意しなさい」「順番に表示しなさい」と書かれた数行の指示書

どちらでも結果的には1から100までの数字が表示されるけど、指示書としては後者の方が数十倍短い。書く時間も数十倍短いけど、これがコンピューターじゃなく人間への作業指示なら相手が読む時間も数十倍短くなる。仕事の量ではなく効率を考えると、数十倍効率的だ。後者は書き始める前に考える時間が必要で、その頭のなかだけで行われている作業は計測が難しくて、実は単純に効率を比べられない(そしてそれこそが本書でこの例で示していることなのだ)けど。サービスの時代には、自分もこんなに効率を高められる好機があるかもしれないと受け止めると、ワクワクしてこないだろうか。

多くの産業はまず機械に、そしてITに支援されるようになり、それらを使いこなすことが求められるようになってきた。言い換えれば、作業を「実行する」能力から、作業を「指示する」へ、スキル比重がある程度以上シフトしてきた。サービスの世界では特にそうだけど、次はAIに支援される時代なるだろう。NHKが「異次元のAI」と報じ、大手新聞各紙、経済誌までが特集を組むChatGPTなども、プロンプトエンジニアリングと呼ばれる指示出しの巧拙でお役立ち度合がまったく違うことが分かっている。

もし「ChatGPT、仕事に役に立つかも」と思ったことがあるなら、いまの仕事にもそろそろ「人によって生産性数十倍」の時期が訪れるかもしれないということだ。ワクワクと期待していいし、ドキドキと不安も感じておいた方がいい。

VUCA×サービス化の時代のマネジメント

上ではサービス化の時代のセルフマネジメントと言える例を引用したけど、経営、チーム運営、プロジェクト運営のためのガイドも多い。むしろそちらが本題だ。

「人によって生産性数十倍」ということは、属人性が高まる時代、各人の得意なことを活かし、属人性を伸ばす時代になるということだ。その時、マネージャーは仕事の属人化をどう考えればいいのか。第4章「人に依存せず同じ品質で作ることはできない」ではこのジレンマと向き合っている。指示書の作成が頭の中で考える時間が中心になって実際に書く時間は最後数%となると、所要時間の見積もりも進捗状況の把握もままならない。そんな状態でどうやって目標管理をすればいいのか。第7章「一度に大きく作れば特に見えて損をする」では、これに著者なりの回答を示す。

本書で紹介してきた「変化を抱擁する思考」の数々は、ソフトウェア開発そのものにも有効ですが、それ以上に日本の企業がデジタルトランスフォーメーションや人的資本経営に取り組む際の一助となるのではと考えています。

「人が増えても速くならない ~変化を抱擁せよ~」おわりに

ここまで、この「変化を抱擁する思考」の一端を紹介しつつ、それがソフトウェア開発以上にこれからの時代の多くの場面で役立つ可能性が高い理由を私なりにまとめてみた。もしマネジメントが難しくなってきたなと感じていたり、ChatGPTは自分と無関係ではないかもしれないと思っていたりするならば、まず目次をながめてみて欲しい。そこに並ぶタイトルだけでも気になるところがあれば、きっと本書はあなたを刺激するなにかを持っている。

繰り返すけれど本書は「ソフトウェア産業の生んだ知見をふんだんに活かしたマネジメント術」で「VUCA×サービス化の時代の困りごとガイドブック」だ。ソフトウェアに関わる人だけでなく、関わらない人にこそなおさら役立つ。プロジェクトマネジメントだけでなく、会社経営からチーム運営、セルフマネジメントまで、すべてのマネジメントに共通する知恵が納められている。そんな一冊として、一読をお勧めしたい。


余談ですが、この書名と帯の「不確実な世界では常識が変わる」の一文に、「遅刻してくれて、ありがとう~常識が通じない時代の生き方」を連想したのは僕だけでしょうか。「フラット化する世界」「グリーン革命」のトマス・フリードマンによる、VUCA×多様性時代の一冊です。


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