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じょーじ
2021年9月12日 15:09
「祈り」を考える主の前に静まることそれは主を「知る」ため。そのためには「祈り」が必要なのだ。それでは、何を祈りと言えるのか、を考えたい「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい」「主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ(思う)」僕は、祈りとは、「神を思う時のこと」と定義したい。それはもちろん、「天の神様〜」という言葉にする祈りも
2021年8月14日 10:11
「静まること」の大事さを考えたい。教わるではなく、勉強するではなく、「静まる」クリスチャン、つまりイエスを自分の主と告白する者にとって、聖霊が共にいるというイメージはとても大事だと思う。共にいるをもっと具体的にイメージすると、「内側に住まわれる」だ。内側に住まわれる聖霊が、個々人にどう働かれるのかをより具体的にイメージする。それは「助言者」だ。神の御心、意志、これは方向