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#2 民間交流とは、中国と私

(過去に感想文で書いた文章の改編版であり、私の政治的立場を表明するものではありません。)

 22歳となり、いよいよ子どもと言える年齢から遠ざかってしまった。実際に自分の考えの浅さを痛感する出来事が起こることも増えた。今回訪中団に参加したのはちょうど「自分の頭で考えて、できれば文字に起こす」ことを目標にしたころだったため、貴重な機会を頂いたと思う。

 私は幼少期に中国に住んでいたことがある。当時も日中関係は良いとは言えず、自分たちが住んでいる団地の門の前で反日デモをされて休校になったり、学校にパチンコ玉が撃ち込まれて騒動になったりした。しかし、その瞬間だけを生きる小学生にとってそんなことはどうでもよく、むしろ私は休校になってラッキーくらいにしか思わなかった。
 この感情が、その後また日本で過ごしていく中で、中国に対する一部のマイナスイメージに対して強い反発心を持つきっかけになったのだと思う。

 それから10年近く経った今回、その反発心に1つの答えをくれたのが、上海大学との交流会で出会った1人の女性である。彼女はペアである私たちを案内してくれて、グループ内で誰か1人がしゃべっていないと気にかけて話題を振ってくれるような性格の人だった。

 「2023中日青年友好の夕べ 新しい時代 心の出会い」が終わったあと立食交流会があり、そこで彼女にまた会うことができた。話の流れでもう一人の日本の子が「日中関係が悪いから身の安全を心配していたけど、○○ちゃんみたいに歓迎してくれる人がいて嬉しい。」と言った。これに対して何か引っかかるものを感じたが、彼女が答えて言うには、「政治的な問題は日中だけでなくて、世界で考えていくべき問題だし、今私はそういうことに囚われず、上海で楽しんでほしい気持ちで動いてる。」と。
 それを聞いてやっと、「民間交流」が字面ではなく考え方として理解できた。どこかの政治的関係が悪化するたびに出てくる特定の国批判を聞いていると反発心が出てくるのは、恐らくその批判が、政治と民間を全く分けていないだと腑に落ちた。小学生の頃の自分が反日デモを見ても中国人を好きなままだったのは、政治を知らないからというより、民間を肌で感じて生活していたからだと思う。

 今回訪中団に参加して、私が長年どう処理していいか分からなかった反発心がどのようなものだったか理解することができた。私はこれからも民間交流を続けていきたいと思う。今天先这样,晚安!

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