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#4 チャレンジへの感度はあるか

札幌でちいさな貿易商社を経営している、つじけ(tsujikenzo)です。noteでは、Tweet以上、技術ブログ未満の、アウトプットを行っています。

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Podcast『北海道から世界の食卓へ』

今日は、チャレンジへの感度はあるかについて、文字にしてみたいと思います。

1億総チャレンジの時代に

副業解禁や、リスキリングが、世の中の流れになっているなと感じています。これらを、実際に取り組む人の目線で表現すると「チャレンジ」と言えると思います。そのチャレンジに、ブログ執筆や動画配信などのアウトプットがともなうと、他人からの目線でも「チャレンジ」になると言えます。

つまり、自分もチャレンジしているし、周りのひともチャレンジしているし、という「1億総チャレンジ」の時代に突入します。いまにはじまったことではありませんが、如実に明らかになっています。データはこちらです。(と、いいながらデータを示せるとカッコいいのですが、スキルを持ち合わせていません💦)

次第に、チャレンジは珍しくなくなります。当たり前に生活の一部になります。ある文脈においては、「アウトプットしてないと存在していない」とも言われかねません。

チャレンジと評価

チャレンジ(や活動にともなうアウトプット)があふれかえる社会では、チャレンジしただけではダメで、成果が出ないと評価されないような社会になります。

では、成果はどうやって測るかですが、成果は数値で測ることができます。将来こうなりたい(To Be)という目標を数値化し、現状はどれくらい(As Is)という評価をします。もし、数値化がむずかしい目標(Happyに感じた、などの定性的な感覚基準)は、アンケートを取ったりして、変化が起こせたか、などを評価します。

しかし、世の中のひとすべてが、チャレンジを評価できるよう仕組み化できていると思えますか?

チャレンジは無理をすること?

世の中には、「がんばる」の定義を「自分にとって無理をすること」にしているひとがいます。がんばるの定義はひとそれぞれなので否定しませんが、どれだけアウトプットをしても、「あなたの無理はわたしには価値がない」という構造になることを、理解しなければなりません。

なので、マーケティングが必要で、そこに需要があるから、供給(あなたががんばること)すれば「ありがとう」がもらえるという構造を、理解しなければなりません。

今日伝えたかったこと

ここまで、時代背景、チャレンジとはなにか、という話をしてきましたが、
これらはあくまで、効率の話です。「がんばるの定義はひとそれぞれ」と書きましたが、マーケティング能力がないと、チャレンジの意味がないかというと、そうではありませんよね。

「チャレンジ」は、あなたをあなたらしくする唯一の方法でありう、変わりたいという想いが込められています。受け止めると、普通に感動します。

もし、あなたが上司なら、大切な仲間がいるなら、まず、その想いを受け止める心がまえがあるか、立ち止まってみましょう。
個人の生産性を追い求めるあまり、仲間のチャレンジへの感度が鈍ることで、結果として個人の生産性を下げていないでしょうか。

次回、「リーダーシップ」をお届けします。(内容はとつぜん変更する可能性大です)

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