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英国のストーンサークル: 研究史と近年の動向


はじめに

 英国には、約1300のストーンサークル (環状列石) が点在します。時代としては主に新石器時代後期から青銅器時代に亘りますが、多くは約5000年前頃のものです。最も有名な遺跡であるストーンヘンジと最大の遺跡であるエーヴベリーは、1986年にユネスコ世界遺産に登録されました。これらの遺跡は多くの人々の関心を集め、関連する出版物は膨大な数にのぼります。
 ストーンサークルは、特に17世紀以降、好古家らの関心を集め続けてきました。その人気は、紙媒体・デジタル共に様々なコンテンツを生み出し、現在では、個々の遺跡に関する広範な情報が容易に入手可能です。過去には、ストーンサークルがキリスト教以前の危険な異教的痕跡として破壊されることもあったものの、現在では、その多くが古代遺跡として保存され、その価値は広く認識されています。多くの観光客は、古代から変わらぬ遺跡の外見に魅力を感じることでしょう。しかし、実際には、何世紀もの間に再建・再利用が繰り返された遺跡が大多数なのです。
 本稿では、可能な限り他の事例も用いつつ、ストーンサークルを巡る研究史を中心に、よりテーマ性の高い問題について述べたいと思います。

調査研究の歴史

 ストーンサークルについての初期の調査としては、『Britannia』に遺跡の観察結果を寄稿したウィリアム・キャムデン や、1740年代にストーンヘンジとエーヴベリーの詳細な実測図を発表したウィリアム・ステュークリらによるものが知られています。
 ストーンサークル及びその関連遺跡に関する体系的研究の初見の一つは、オックスフォード大学教授のアレクサンダー・トムによるものです。トムは、1930-70年代にかけ、 500以上のストーンサークル及びその関連遺跡の分類を行い、その多くが太陽と星の動きに合わせて配置されていたことを示唆し、天文考古学分野の基礎を築いた他、標準単位「巨石ヤード」を提案しました(尤も、現在、大多数のストーンサークルは、トムが提案した複雑な幾何学的構造ではなく、人間の平均的な歩幅を尺度に目視で設計されたと考えられています)。天文考古学は、独自の学術誌『Journal of Skyscape Archaeology』を刊行する迄に発展し、今日では、先史時代の信仰における天体の重要性も広く認識されています。
 ストーンサークル包括的調査の伝統は、ハルで考古学を教えたオーブリー・バール が引き継ぎました。建設作業中に一部石列が破壊されたカルナック列石の事例等を除けば、ストーンサークルが開発の影響を受けたことは殆どありません。ストーンヘンジ・リバーサイド計画や英国北部におけるストーンサークル計画等の主要な研究プロジェクトは、多くの新たな知見を齎しています。

近年の研究動向

 放射性炭素年代測定法の進歩と考古学的記録精度の向上により、現在では、ストーンサークル建設過程についてのより多くが明らかになっています。研究の関心は、遺跡の利用目的や最終的な形態等の現代建築にありがちな疑問よりも、建設過程を通しての遺跡と物質世界との関わりに新たな重点が移りつつあります。
 実際のところ、遺跡が完成形であったのかについては、よくわかっていないのが現状です。ストーンサークルの実際の用途については、初期の古代史学者らにより礼拝や儀式に関連する古代の神殿であると示唆されて以来、ほぼ発展を見せていません。ストーンサークル建設は、非常に高リスクの社会的事業であったものと思われます。それらは、指導者の社会的地位向上の為に考案されたものであり、大量の資材と労働力の消費という非常に大掛かりな行為及びそれに伴うあらゆるプロジェクトそのものが目的であった可能性があるのです。
 こうしたモニュメントが建設された社会的背景を理解するには、当時の社会的ネットワークの性質と広がり、そしてそれらがどの様に維持され、再生産されたのかを検討する必要がります。 フィーディング・ストーンヘンジ等のプロジェクトは、遺跡の建設中に振舞われた食事の重要性を実証しています。石材の切り出しという観点からは、成形用のモール、移動用のロープ・ローラー・レバー等といった道具を調達する迄の準備段階が注目を集めています。これらの新解釈には、現在もこうしたモニュメントが制作されている、インドネシアやマダガスカル等といった地域からの民族誌的証言が重要な役割を果たします。

ストーンサークルとティンバーサークル

 現在では、多くのストーンサークルに木製モニュメントが組み込まれていたことが明らかになっています。スタントン・ドリューでは、2つのストーンサークルが「南西の入り江」と呼ばれる大きな石組みの上に並んでいる他、入り江のやや東に位置する3つ目のストーンサークルは、長さ88mの立石の並木道により近くのチュー川と繋がっていました。当該遺跡のグレート・サークルは、エーヴベリーに次いで英国で2番目に巨大なストーンサークルで、直径113m、幅7mの溝に囲まれた直径135mの囲いの中に所在します。地球物理学的調査の結果によれば、現存する立石群は、元々の先史時代からの複合体の一部に過ぎないことが明らかになっています。メイン・サークルには9つの同心円状の穴があり、ストーンヘンジ周辺のウッドヘンジやエーヴベリー周辺のサンクチュアリと同様、巨大な木製支柱が存在したと考えられます。
 近年、イースト・アングリア地方にあるアーミングホールヘンジの再調査が行われ、遺跡の木柱はどの様に作られたのか、また遺跡の核心部の建設前にその場で焼かれたのかという疑問が提起されました。建築に適す石材が乏しい地域では、代わりに木材が用いられました。最近の重大発見の一つが、イースト・アングリア海岸の潮間帯のホルム=ネクスト=ザ=シーに所在する、青銅器時代のティンバーサークル (環状木柱列) です。55本の割れたオークの木柱が一本の逆向きのオークの木を囲んでおり、その根元は死者の遺体を晒す台であったと推測されています。1998年の遺跡発見時には、神聖な地に手を加えるべきではないと考える人々と、発掘調査を望む考古学者らとの間で起こった論争が話題となりました。現在、保存された木材は、地元の博物館施設に展示されています。

月と星々の位置関係

 多くのストーンサークルは太陽軌道と一直線上に位置しているのですが、殊にストーンヘンジでは、夏至と冬至に多くの観光客が訪れます。スコットランド西海岸のルイス島に所在するカラナイス (カラニッシュ) の遺跡には、地元の片麻岩製の約40個の立石が十字型に配置され、中央の円から四方に直線的な石列が延びています。最も高い石は高さ約4.7mで、円の中心にあり、最も低い石は高さ約1mです。月の満ち欠けは、18.6年周期で月が地平線に対し最も高くなる時と最も低くなる時を示し (太陽至点は1年周期)、最も低位置にある時は、通常よりも大きく、且つ静止している様に見えます。カラナイスのストーンサークルは、月が静止する最南端の上昇点を観察する目的で設計された可能性が考えられます。近辺にも複数のストーンサークルが所在します。
 イングランド南東部や東部でストーンサークルは現時点で未発見ですが、西部・北部には、ストーンサークルに典型的な円形の溝や堤防が多数存在します。ヨークシャーでは、ユア川沿い12mの区間内に6つの巨大なヘンジが築かれました。ソーンバラでは、3つの遺跡が1つの巨大な儀式用の複合体を形成し、複数の墳墓を含む一連の関連遺跡を構成しています。アプリ「Skymap pro」を用いた最近の古天文学的研究は、当該遺跡が紀元前3500-3000年頃のミルファク・ポルックス・他40の天体の軌道や紀元前3000年頃の冬至の日の出観測に適していたことを証明しました。これらは国が取得した最も新しい遺跡の一つであり、現在はイングリッシュ・ヘリテイジが管理しています。

角度付きの石と日時計

 秋田県大湯の縄文遺跡と比較して興味深いのは、イングランド南西部ボスカーウェン・ウン (ナインメイデン) のストーンサークルで、その中心の高さ2.5メートルの柱は、後世の日時計とは異なり、意図的に角度を付けて設置されています。この遺跡は、18世紀、ウィリアム・ボーレイズにより調査が行われました。立石19個、花崗岩18個と石英1個が円環を構成していますが、これは、当該地域の他の遺跡にもみられる典型的なパターンであり、前述の月の満ち欠けの周期との関連性が連想されます。
 1980年代には、中央の柱から斧、若しくは足を表す2つの彫刻が発見されましたが、これは、ストーンヘンジの石棺の一部にある大量の斧の彫刻と同様のものでした。従来、46あるとされたストーンヘンジの彫刻は、レーザースキャンの結果、実際には118存在することが判明しています。

儀式複合体の一部としてのストーンサークル

 スコットランド北海岸のオークニー諸島では、印象的な先史時代のモニュメントの存在が有名です。メインランド島では、狭い地峡であるネス・オブ・ブロッガーの両端にリング・オブ・ブロッガーストーン・オブ・ステネスが位置します。北側のリング・オブ・ブロッガーは、元々は約60個の石で構成されていましたが、19世紀半ばの時点で14個を残すのみとなり、現在は直径約103.5mのストーンサークルとなっています。南側には、直径45mの円形の溝で囲まれた、11-2個の石の円からなる4個の立石が現存しています。
 ここ20年の間、ハイランズ・アンド・アイランズ大学が行う毎夏の発掘調査により、地峡には大規模な儀式施設や厚い壁の石造建造物が、周辺のバーンハウスには集落が、それぞれ存在したことが明らかになりました。希少な小型香杯を含む陶器群の発見は、1100km離れたストーンヘンジ地域との繋がりを示唆しています。

おわりに

 本稿では、英国におけるストーンサークルの研究動向を概観すると共に、数百年間の研究史及び関連話題について説明しました。また、ストーンヘンジ・リバーサイド・プロジェクト、ネス・オブ・ブロッガーでの調査、北部でのストーンサークル・プロジェクト等、代表的な主要調査計画についても紹介しました。一連の発掘調査は、遺跡訪問者らのロマンチックな想像力を刺激するものといえます。先史時代のモニュメントは、後世の人々を魅了し、また驚かせ、再利用と破壊の両方を齎し続けてきました。後世におけるその利用法を探求することにより、英国史・欧州史におけるこれら遺産の重要性について新たな視点を提供することが可能となることでしょう。

参考文献

サイモン・ケイナー「英国におけるストーンサークルの研究史と現状」(『月刊考古学ジャーナル』第289号、ニュー・サイエンス社、令和5年、22-26頁、辻󠄀博仁訳)

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