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生きていたんだよな

「死にたい、と思ったことはありますか?」

たまに、わたしは飲みの席で話題を振られると、この質問をしてしまう。え〜!?と笑ってくれるひともいるけれど、大体はシーンとなって場をしらけさせてしまう。空気が読めていない、というのは重々承知なのだけど、ふと聞かれるとつい、口から出てしまう。

わたし?わたしは、大体365日の300日くらいは死にたいと思っている。あとの65日は、消えてなくなりたい。うっすらとうつの状態が続いているから、いつもこんな感じだ。

女の子たちが死んだらしい。

自殺配信をしていた彼女たちの映像がツイッターでたくさん拡散され、みんなにシェアされている。昨日まで無名だった彼女たちが、国中に知られることになった。不安と恐怖と、悲しみと苦しさと、ある類いの人たちには"救い"のようなものを携えて。彼女たちは、もう知ることができない。お悔やみの言葉も、救おうとする誰かの声も、悲しみも。何も、もう届くことはない。

父親に昔、言われたことがある。「自殺するっていうのは、もう言葉を交わせないってことなんだ。一方通行になってしまう、向こうからシャットダウンされてしまう。二度と返してくれることのないコミュニケーションだから、苦しいんだよ、辛いんだよ」と。

きっかけがなんだったか分からないけど、ただ、命が失われるということが、悲しくて、差し伸べられたはずの手を差し出せなかったことが、悔しい。もちろん世界中の自殺志願者なんて救えないのだけど。エゴなんだけど。

わたしだって自殺志願者なのにね、皮肉だね。ほんとは、わたしだって救ってほしい。バーコードみたいな腕と、たくさんの錠剤を抱きしめて生きている今日を。

空を飛んだあの子たちは、きっとネットで伝説になってしまう。この電子の海で、永遠に漂い続けるのだろう。それが幸か不幸か、なんて誰にも決められない気がする。

配信したのは多分、どこかで救ってほしかったから。どこかで、誰かが救ってくれるのを待っていたから。そして、生きていた証を残したかったのだと、わたしは勝手に思っている。

彼女たちの動画を見ないで!といい、動物の癒し動画を貼ったり、心温まるエピソードを投稿したり。ツイッターは相も変わらず、承認欲求と本音が見え隠れしているけれど。まあこうやってnoteを思わず更新したわたしも、たぶん承認欲求で溢れているんだろう。

くだらない、と吐き捨てることは簡単だけど、わたしたちは明日も生きなければいけないから。残された人間たちは、この悲しみを抱えて、明日もしっかりと大地を二本の足で踏みしめなければいけないから。

あの子たちには、きっと羽根が生えただろう。空は飛べたんだよ、きっと。

いつかあなたが天使になりたいと願ったら、わたしに連絡してください。もう少し人間でいようか、なんて思っちゃうくらい、馬鹿みたいに飲もう。歌を大声で歌って、行ったことのない場所へゆこう。見たことない景色を見て、やったことないことをして。

ああ、世界ってまだ捨てたもんじゃないかもな、と思えるように。

電子の海に、こうして文字の花束を流すから。彼女たちへのメッセージボトルを流すから。

たくさんの花束で溢れますように、さよならと告げるから、またね、と告げるから。

ただ死に向かって歩んでいるだけの、このデスロード。死にたがりの自殺志願者と手をとって、一緒に歩いていこう。死ぬときの喜びは、先にとっておこう。

明日なんて知らないよ、何年後かの約束なんてできないよ。

ただ、わたしは、今日を生きている。

"生きて、生きて、生きていたんだよな"

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